いまさらウィル・スミスのビンタ事件の話をする
こんばんは、ニコイチです。
もう半年ちかくも経つのに、ふと思い出す「ウィル・スミス ビンタ事件」
日米でリアクションが大きく違ったので、「日本とアメリカ、文化のちがい」を象徴する出来事として、とても気になるトピックでした。
日本で多かった「脱毛症を弄ったコメディアンが悪い」という反応は、わりと感覚的にしっくりきます。
いじめダメ、絶対。
容姿弄りとかサイテー。
嫁をかばったウィル・スミス男前!
英語に慣れ親しんでいる分アメリカ文化に馴染みがあるだろうと思い、オンライン英会話の日本人講師の先生たちにも意見を聞いても、ほとんどみんなハッキリとウィル・スミスの肩をもちます。
ならなぜ、アメリカの世論はちがうの?
ウィル・スミスはあそこまで徹底的に干されるハメになったの?
「殴ったウィル・スミスが悪い」サイドの理由、言い分はなんなんだろう…
「アメリカ人あんな普段ポリコレだのルッキズムだのにうるさい癖にウィル・スミスに厳しすぎやろ」と思ったあなた!
文化の向こう側の思考パターン
どういう理論で「Aが正しくてBは悪い」と判断しているのか、気になりませんか?
個人的にこのネタはとてもとても気になったので、あれ以降、機会があればあちこちに質問してまわり「ウィル・スミスあかんわ」サイドの言い分をインタビューしてきました。
だれかの役に立つかもしれないので、まとめて記録しておきます。
「ウィル・スミスが悪い」派インタビュー調査対象
英語ネイティブの友達…アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス。
オンライン英会話で話す機会があったアメリカ人の先生達にも、できるだけ大勢聞いてまわりました。
人種や性別もできるだけまんべんなく。白人、黒人、アジア系、南米系。
「ウィル・スミスがやった事は正しい」と答えるひとも(数は少ないものの)いましたが、今回は「ウィル・スミスが悪かった」サイドの意見のみを取り上げます。
「コメディアンのジョークにガチギレはないわー」
「コメディアンは、イジるのが仕事。ジョークにイラつくのはわかるけど、怒って暴力は完全NG」
これが1番多い意見でした。
わたし自身、スタンドアップコメディが大好きなので、この意見は理解しやすかったです。
わかりやすいように、日本のお笑いにシチュエーションに置き換えてみましょう。
想像してください。
全国生放送の特番中、司会のダウンタウン浜田雅功が女性ゲストを「なんでやねん!」とツッコミながら軽くはたいたら、ゲストの夫がブチ切れて、浜田雅功をぶん殴って「俺の妻に触るんじゃねえ!」と恫喝。
「え?…なんで?? …これってヤラセ?」
「ガチ??うわ、放送事故…」
…これが、あの場の凍りついた空気に1番近い雰囲気ではないかと思います。
「ロースト」というお笑い文化
英語圏のコメディって、日本のお笑いとはかなりスタイルが違います。
どちらのレベルが高い低い、どちらの方が面白い面白くないではなく、やっている事のスタイルがちがうんです。
たとえば、日本の漫才で「ツッコミがボケをはたく」のは「定番」ですがこれ、海外の方からはよく「なぜそんな酷い事をするの?何が面白くて笑うの?」と眉をしかめられ、あまり理解されません。
そして「なにが面白いの?」「なぜ笑いとして成立するの?」と聞かれても…これ、うまく説明するのって難しくないですか?
欧米で人気のスタンドアップコメディーでは、辛辣なイジりは「定番」メニュー。
そのなかでも、コメディアンが政治家やセレブを本人の目の前で手厳しく弄る「ロースト(炙る)」は、「面白い(funny )」と「感じが悪すぎる(too offensive )」のギリギリの線を攻め、どう鋭く面白く切り込んでいくかコメディアンの才能のが試される人気のスタイルです。
クリス・ロックのあのジョークは、ゲストのジェイダに投げかけたローストで、「特定のコメディアンの下品な芸風」ではありません。れっきとしたエンターテイメントの型なんです。
「え?でもアカデミー賞みたいな公式でパブリックな場面にはそぐわないんじゃ…?」
そんな事はないんです。
ローストは大勢の有力者、政治家、セレブリティが集まる場では、わりと人気の余興。
たとえば、ホワイトハウスで行われる記者協会主催の夕食会でも、毎回「ロースト」のためにコメディアンが招かれます。
この夕食会でスピーチをするのは、政治ネタもお手のものな意識高い系一流のコメディアンの証ですから、誰が招かれ、どんな風にローストを披露したかは毎回ニュースで注目の的です。
司会のコメディアン、クリス・ロックはジェイダに対して「個人的な好き嫌いで場違いな意地悪」を言ったのではありません。
ごく普通にコメディアンとしてロースト芸を披露していただけなんです。
…ただ、その笑いのスタイルに慣れないわたしたちは、このあたりのノリが分かりにくいですよね。
「なぜそんな酷いこと言うの?みんな何が面白くて笑うの?」と理解に苦しみます。
「ツッコミがはたくのがなぜ可笑しい?」と同じで、ジョークに笑っているネイティブに何が面白いかを聞いても、しっくりとくる回答はなかなか返ってこないと思います。
だってコメディってそういうものだから。
ジョークがなぜ面白いか解説するほど、ナンセンスな事はありません。
もちろん好き嫌いがあります
日本人の中にも日本のお笑いが好きではない人、たとえば"女性芸人への容姿弄り"を嫌う人はいますよね。わたしもあれ、苦手です。
それと同じように、アメリカ人の中にもスタンドアップコメディを嫌う人がもちろんいます。
ただ、好き嫌いは別として「コメディってそういうものだから」という前提があるので、わたしたちが感じる「容姿弄りひどい…」という感覚とは、少しちがったリアクションが返ってくるんでしょうね。
芸人さんから「押すなよ押すなよ!」と言ってる芸人を誰かが後ろから押しても「暴力だ!酷い!!」と批判するひとは居ません。
「"お気持ち"なんてしょうもない事のために、黒人のイメージを悪化させた」
これは黒人の方からいただいた意見でした。
BLM運動の発端になった事件が代表するように、アメリカ社会で黒人として生きていくのはハードモードです。
「治安のよくない地域に住んでる黒人だというだけで、警察に意味もなく補導され殴られるのは日常。対応を間違えると逮捕されたり、うっかり撃ち殺される事もある。」
「どんな理不尽な理由で逮捕されたとしても、ちゃんと弁護士を雇う金銭的余裕がなければ、有罪を認めて裁判を受ける権利を放棄するしかない。裁判を受けたいというと"反省していない"と言われ罪が重くなる。終身刑、死刑もあり得る。」
これは極端な例ではなく、裕福ではないエリアに生まれ育ったアフリカ系アメリカ人にとっての「日常」です。
理不尽な司法制度、貧困、身近すぎる暴力。
「言葉の暴力」に傷つく余裕はありません。精神的にタフであることが、悲しいことに強く求められます。
そんな厳しい黒人たちのリアリティと比べると、お金も、名声も、キャリアも、安全な暮らしも、すべて手に入れたこのスーパーセレブ夫妻。
彼女の美貌が脱毛症のせいで"ほんの少し"損なわれたくらいのことは、可哀想ではありますが「大した問題ではない」のです。
「おいおい、それだけ全部持ってる君に、脱毛症程度は痛くも痒くもないだろう?」
その空気を汲み取って弄ったのが、同じアフリカ系アメリカ人コメディアン、クリス・ロックのジョークです。
コメディアンはそういった"世間の空気"の代弁者ですから。
それに対して、ウィル・スミスが暴力で応えてしまったのは「衝撃」でした。
「がっかりした」「見ていてとても辛かった」という声は、心からの本音だと思います。
「黒人男性は感情をコントロールする力に劣り、すぐに暴力を振るう」
この偏見こそが、黒人が警察や法的機関から理不尽な扱いを受け、最悪の場合は死に至るほどの暴力にいたってしまう元凶です。
ウィル・スミスはその「偏見」通りの行動を、公衆の面前、ライブ放送中にとってしまいました。
「偉大な力には偉大な責任がともなう」
ウィル・スミスには、黒人スターという立場上、そういった偏見や差別意識を払拭していくために、模範となる振る舞いが求められています。
個人的には、そういう「黒人だからと」いう理由で、模範的な行動のプレッシャーや、人種を代表するようなプレッシャーがあるというのは、それもそれで問題だと思うのですが…
ただ、そういった人種問題を抜きにしても、セレブリティなら、ローストを受け流す程度の事はできて当然のことです。言い逃れはできません。
(だいたい、いじられたジェイダ本人は、あのジョークも軽く受け流してます。)
一緒に映画を撮った仲間達、自分のために働いてくれているスタッフたちの努力に泥を塗る行動ですし、こんな小競り合いよりも、もっともっと注目を浴びるべきだった人たちが彼のせいで霞んでしまいました。
対照的に、想定外の暴力に対してとっさに両手を後ろに組んで非暴利の意を表し、ビンタを甘んじて受け、その後も冷静に司会進行を進めたクリス・ロックの態度が、プロフェッショナルとして賞賛されたのは、そういった理由でからでしょう。
グッジョブ!
例外編「わたしが感じたこと」
これはものすごく個人的な疑問なんですが
「GIジェーン」に例えることって、そこまで侮辱なの…??
わたしなら大歓迎なんだけど!!!
興行的にはイマイチだったかもしれないですが、デミ・ムーアきれいでカッコよかったですよ?!?
わたしがもし脱毛症になって、丸刈りにする決断をした場合は、ぜひGIジェーンに例えてください。勇気づけられます。
西遊記の三蔵法師でも歓迎です。
MAD MAXのフュリオサもいいなぁ…