大学になんて行きたくなかった。
高校生の頃、私は大学になんて行きたくなかった。
私の高校は進学校で、高校を卒業したら大学に行くのが当たり前。
そんな環境の中にいた高校2年生の自分にはやりたいことがあって、進みたい未来があった。
その未来に、"大学"は必要なかった。
就職みたいにいい大学出てれば有利とかそんなこともなくて、むしろ大学にいく時間が惜しかった。
今思えば、中学高校と家庭で色々あって、反抗期らしい反抗期は送れなかったからあれが私の反抗期だったのかもしれないし、夢を理由に受験から逃れたかっただけかもしれない。
両親にも相談したけれど、親はその道に進むことには反対こそしなかったけれど、大学には行けと言った。
大学に行ってからでも遅くない、と。
そこで親に反対されたから家を出て夢を追う、とかいう勇気はなかったし周りと違うことをする勇気もなくてなんとなく受験をすることになった。
勉強はあまりやってこなかったから得意ではなく、ただなんとなくうちの高校では私立文系志望ならMARCH以上、つまり早慶上智MARCHに行きましょう的な雰囲気があって、
確かに私立文系ならそのくらいにいくべきか、と志望校はその辺りのレベルに設定。
憧れてた塾のチューターさんの出身大学だったこととオープンキャンパスで受けた早稲田の異文化コミュニケーションの授業に惹かれてなんとなく第一希望は早稲田。
愚か極まりなかった。
世間の人たちの中で早慶上智MARCHがどんな評価を受けるのかは知らないが、一般的に言って上位校。
成績も良くない。
加えて、大学にいく理由も目的も、行きたい気持ちすらもない人間が生半可に挑んで受かるほど簡単ではなかった。
早稲田と明治、立教、青学を受験して見事に玉砕。
友人達が志望大学に決まったり、滑り留めの大学に進学することに決めた中、流されるように浪人する道への進んだ。
この時もまだ、大学に行く意味も目的も、ましてやそのために18歳から19歳という貴重な1年を捧げる意味もわからないままだった。
そうして始めた一浪生活。
某大手予備校に通い、朝から夕方まで授業、その後自習室に行く日々。
そんな中、同じクラスだった子達と仲良くなった。そこからは浪人という社会から隔離された環境でのみ生じる、謎の現実逃避が始まった。
女子校だったから、予備校で毎日同じメンバーでしかも共学で授業を受けるのは新鮮で。
仲のいい友達ができてからはまるで高校の延長かのような日々だった。
毎日授業を受けて自習室に行っていたから、勉強した気になっていたのだと思う。
実際、全然全くもって気合も意識も勉強量も足りてなかったのに頑張ってると思ってた。
夜ご飯の時間に、仲良い子たちと約束して集まって駄弁るのが日々の楽しみで、誰が好きだの浪人生とは思えないほど"楽しい"日々だった。
大学生活を送っている高校の同級生たちが羨ましくなかったわけじゃないし、楽しんでたと言っても毎日毎日勉強しかない日々が楽だったわけではなかった。
だからこそ、同じ環境にいる同じ歳の子達と日々に楽しみを見出そうとするのは必然とも言えた。
そんなこんなで1年が過ぎて、2度目の受験を迎えた。
早稲田と青学と立教と女子大も受けたかな。
でも、びっくりするくらい散々な結果だった。
思えば日本史が本当にひどくて、やればできる科目だけにやらない代償が大きかった。
一浪最後の試験は2/22の早稲田の社学の試験。前日の21日に仕事中の親に泣きながら電話をした。
自分的には1年やってたつもりで、でも本当に散々な結果で、明日の社学と無理かも知れない。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
何回も謝って、その時の母はとても優しくて、逆にそれが苦しかった。
何度も何度も一浪中そんなんで大丈夫?と言われていたのに。
あの時初めて、両親への申し訳ないという感情が生まれた。
1年間、高いお金を払ってくれて、ダメダメな自分をそれでも信じてくれて。
なのに自分はそんな両親の想いに1ミリも応えられなかった。
こんなどうしようもない子供を持って、両親が可哀想でしかない。
自分なんて、消えてしまえ。
両親への感謝と申し訳なさと、本当にどうしようもない自分の弱さをあの時、本当の意味で初めて自覚した。
結果は散々で、この先どうしようと本気で悩んだ。初めはもう自分はがんばれない人間なのだと、受験は向いていないのだと元々進みたかった道に進もうかとも思った。
二浪だけはありえない。
そう思った。
でも、どれだけ考えても、二浪はしないと決めても私の進む道はひとつもなくて、
喉が詰まって息が苦しくて目の前の景色がモノクロだった。
ただ、自分なんて消えてしまえと思ってた。
3月の10日頃。
母と姉とアウトレットに出かけた。
久々のお出かけ。楽しいはずなのに笑えなかった。景色がモノクロで息ができなくて。
帰りの車、私は助手席に座った。
後部座席で姉が寝てしまい、母と2人の空間だった。
本当は分かっていたけれど、どうしても避けたくて、それだけは嫌だと見て見ぬふりをした。
でもどんな道を探しても、あの日自分に絶望してしまったから。
もう、自分を1ミリも信じられなくなったから。
このまま別の道に進んだって、わたしは何もできない。このまま、息苦しいモノクロの世界のままだと思った。
涙は止まらなかった。
嗚咽混じりになるほど、泣いた。
嫌だった。嫌だと思えるほどに1年は長い。
今度こそ、やらなきゃいけない。
もうその次はない。苦しい。苦しい。
「もう一年...頑張ろうと思う...」
今思えば、頑張らせてください、とお願いするべきだくらいに思うけど、当時の自分にはあれが限界だった。
そうして、私は初めて自分の意思で、
『大学に行こう』と決めた。
本当なら、やりたいことをやりたかった。
たくさんやりたいことがあった。
若いうちの1、2年は誤差だと良くいうけれど、
18-20という時間はわたしにとっては夢に捧げたかった時間で、あまりに貴重すぎる時間で。
それを大学受験に捧げることは生まれて初めての"覚悟"だった。
この日、わたしは生まれ変わった。
***********
こんにちは、Yuiです。
いやあ、なんか始めの挨拶とか色々考えたけどピンとこなくてとりあえず書いてみました笑
まずは人生の分岐点①である”浪人”から!
今回は現役と一浪について振り返ったので、次回は二浪!
当時のことを振り返ると今でも鮮明にあの日々を思い出すしあの頃の気持ちが蘇ります。・・・正直楽しくない。笑笑
次回も浪人編かあ。。暗いだろうなあ。。二浪だしなあ。。。でも今の自分にかなり影響してる時期なので書いておこう!
Yui☺︎