ならやまのプロフィール
最近、ありがたいことにブラジリアン柔術界隈の方々から知っていただく機会が増え、どんな経歴なのか尋ねられることがあります。
確かに人伝に伝えるにはあまりにややこしく、また、自分自身あまり過去のことは話してこなかったこともあって、実際誰から見てもよくわからない人になっていることでしょう。笑
なので今回の記事ではちょっとした自己紹介と、柔術との出会い、そして出会ってから今に至るまでのことを少し書いてみようと思います。
はじめまして
では改めまして。
はじめまして、楢山と申します。
僕は21歳の頃にブラジリアン柔術を始め、
現在柔術歴約6年、27歳の紫帯です。
現在は東京に住んでいますが、地元福井で柔術を始めてからは、
フィリピンのセブ島へ行ったり、
帰ってきて一瞬滋賀に住んだり、
と思ったら急に上京して東京暮らしを始めたり、
かと思えばニュージーランドに突然渡ったりと、
わりと気まぐれにあちこち行き来しながら柔術を続けてきました。
(そんな自由な生活ができるほどお金に余裕があるってわけじゃないんですけどね…小声)
ちょっとややこしいので図にするとこんな感じです↓
そんなこんなで要はあちこちフラフラ行ったり来たりのフーテンライフを送ってきたわけですが、その中で柔術を通してたくさんの人と繋がることができ、何にも変え難い体験をすることができました。
特に言語能力に優れているわけではありませんし、卓越したコミュニケーション能力を持っているわけでもありません。
柔術があったからこそ、できたことなんですよね。
そしてその体験は、どれもとても素晴らしいものでした。
だからそんな体験を今後もしていきたいと思っていますし、SNS等で発信していきたいなとも思っています。
今回は自己紹介なので一旦話を戻しますが、僕が柔術を通して得られた諸々の体験はまた自己紹介の中でも少し触れられればよいなと思います。
では、話を戻して、まずは柔術との出会いから書いていきますね。
柔術と出会うまで
学生時代
柔術に出会うまで、僕は一言で言うとド陰キャでした。(たぶん今もだけど。)
子どもの頃から運動が苦手で、毎月通院するほど体も弱く、教室の隅で絵ばっかり描いているような子でしたね。
体育の時間は本当に苦痛。
試合でもないのにアツくなるスポーツガチ勢陽キャ達の中をどう生きていくかということに毎日必死でした。
とにかく学校での僕はさえない奴で、目立たず普段からボーッと適当に、漫然と日々をやり過ごしていたように思います。
・格闘技との出会い
そんな毎日でしたが、その中で興味を持って取り組めたのが格闘技でした。
僕と格闘技の関係を出会いまで辿れば、小学生の頃に始めた空手が最初になります。
結局空手はすぐやめてしまいましたが、中学生になると知人のすすめで少林寺拳法を始め、高校生になると柔道部に入りました。
どちらも目立った成績を残すことはありませんでしたが、球技ができなかった自分にとっては人並みにできるだけでも救いに感じられました。
なので休日の日は家に引きこもり、有名な武道家の逸話や格闘技関連の動画を見てあさりました。
(ちなみに推しメンは養神館合気道の塩田剛三先生でした。推しメンとか言ったら怒られそう。)
キラキラした青春なんておおよそ送れずにいた僕でしたが、格闘技に夢中になれたのはそんな僕にとって唯一青春の記憶と呼べるものだったのかもしれません。
日のあたらない生活の中で、唯一見つけることができた楽しみ、それが格闘技だったんです。
社会人になって
高校を卒業後、僕は警察官になりました。
大学に進む道もありましたが、学校という場所が苦手で早く仕事をしたいと思っていたので選んだ道です。
警察官は、父親の勧めでした。
大阪に出たこともそうです。
やるなら忙しい場所でやれと。
これだけ聞くと無理やり警察官にさせられたような印象を与えるかもしれませんが、僕自身中学生の頃にはもうその気になっていて、あの頃は警察官になることが唯一の夢だったんですよね。
だから一応夢が叶って、当時、とても嬉しかったです。
・警察官として過ごした三年間
それから三年間、雨の日も風の日も、交番のお巡りさんとしてスーパーカブを乗り回し大阪の街を走りまわる日々。
体育会系のノリが苦手で持病持ちの僕にとっては肉体的にも精神的にもしんどい毎日で、勤務中に同世代の大学生達が楽しそうに歩いているのを見てうらやましく思うこともありました。
元々気が弱いこともあり、正直やめたいと思うことはいくらでもありましたね。
でも唯一の夢だったから、一応三年間は続けることができました。
そして、ちょうど三年が経つ頃、仕事に慣れ気持ちも落ち着き、やっとやりがいを感じられるようになった頃、僕は警察官をやめました。
やめた理由をよく聞かれるのですが、一言で言ってしまえば結局、“若気の至り”でしょうか。
まだまだ自分は若いということにある時気づいたんですよね、当時21歳だったので。
だから、またなれないわけでもないし、一度警察官をやめて、他のことにもチャレンジしてみよう。
そう思い、夢であった警察官をやめ、地元福井に帰りました。
ただ、後悔はまったくありません。
そのおかげで柔術に出会えたのですから。
ブラジリアン柔術との出会い
地元福井に帰郷、柔術を始める
仕事をやめ地元福井に帰り、一番最初に思いついたこと。
それがブラジリアン柔術でした。
日常的にしばりの多い仕事をやめ、開放的になった気持ちで新しいことを始めたくなっていたんですよね。
そこで、高校の頃の部活の友人が柔術をやっていたことを思い出し、自分一人じゃ続かないかもしれないけど知っているやつがいたら続くかも、と思い早速体験にいくことに。
その友人には事前に連絡を入れておらず、およそ4年ぶりの再会。
名前を覚えていてくれませんでした…。泣
始めて半年で3大会に出場
こうして晴れて柔術ライフをスタートさせることができ、それから半年間で3大会(内1大会は非公式大会)に出場。
各大会で入賞することもでき、これは楽しい!!とドハマりしてしまいました。
今までスポーツで何か成果を残したこともなかったからでしょうね。
ただ確かにいくらか入賞はできたんですが、優勝だけはいつまでも遠く、悔しい負けを経験する日もあり、恥ずかしい話自分が情けなくて泣いたこともありました。
しかしこれだけのめり込めたことも、それだけ感情を揺さぶられたことも今までなかったので、僕にとってはその体験こそが貴重なもので、もう手放したくないものになっていたんですよね。
こうして僕は柔術にどっぷりハマり、いつの間にか柔術中心の生活を送るようになっていました。
初の一人海外、語学留学でセブ島へ
福井で半年を過ごし、その後僕はセブ島に渡ります。
理由はシンプルで、海外に興味があったからです。
仕事をやめて自由がきくうちに行っておこうと思ったんですよね。
ただ海外に一人で行くのは初めての経験で、しかも英語なんて話せないし、そもそも陰キャだし…。
大丈夫か???
という気持ちは絶えず強くありました。
しかし新しいことにどんどん挑みたいという気持ちも同じ位強くありました。
なのであれこれ考えるのをやめ、柔術着2着をキャリーバッグに詰め込み、2017年10月、セブ島へ渡りました。
・初海外、セブ島生活の始まり
いよいよ初の海外生活が幕を開けます。
セブ島はリゾート地としてのイメージが強いですが、やはり発展途上国ということもあり、実際都心部近郊はすさんだ街並みが広がっています。
初日からウヨウヨいる野良犬に追いかけられたり、やかましく行き交う車にひかれかそうになったりと面食らうことばかりで、
「これ生きて帰れんのか……。」
という心境になりました。
しかしもう帰る選択肢はありません。
とりあえず気を引き締め直して、まずは練習できるジムを探すことにしました。
――そしたら、ありました。
近くに4つほどのジムが。
そして一週間ほどして滞在先の一番近くのジムで練習を再開。
柔術ライフ in セブの始まりです。
柔術というたった一つの共通言語
平日は語学学校に行く前に朝練で週2日汗を流し、土日は朝昼と2部練をして過ごす日々。
なんとなく充実した生活を送れているような気がしますが、まったく英語ができない中いきなり飛び込んだこともあって、普段の生活の中では言語の壁を感じることも正直たくさんありました。
ただ、英語はうまく話せなくても、“柔術”という共通言語があったおかげで、現地にたくさんの仲間ができたんです。
柔術を通してできた仲間は、出会って間もない頃からとても親身になってくれました。
助けられることも多く、また言葉をうまく話せずとも、一緒にロール(練習、スパー)する中でコミュニケーションを取って楽しく練習することができたのです。
もちろん初の海外生活だったからというのもありますが、その体験はとても新鮮なものでした。
「言葉の壁があっても、柔術で繋がれる。」
まさにそんなことを感じた日々でした。
帰国直前、首都マニラへの遠征
そんな充実した日々もずっと続くわけではなく、いよいよ帰国の日が迫ってきました。
セブ島に来て数ヶ月、何かやり残したことはないか?
――はい、ありました。
大会への出場です。
せっかく海外に来ているので、一度は海外の大会に出ておきたいという気持ちがあったんですよね。
そしてちょうどその頃、チームメイトが首都マニラの大会に参加するというのを聞き、僕もその大会への参加を決めました。
セブ島からの参加者は、自分のチームから参加する5人のみ。
小数チームで地方セブから、首都マニラに乗り込んでの参戦です。
大会はいつもより減量幅が大きかった上、環境的に水抜きができなかったので、一ヶ月以上かけて英語の勉強そっちのけで減量に励み、体重は高校生以来の50kg台に。
準備万端、やれることは全てやりました。
そしていよいよマニラへ出発です。
・過去最多の試合数!激闘の中で得たもの
大会は一日に3大会。
Philippines International “Gi”& “Nogi”、とPhilippines “Novice”。
3大会が順に行われ、せっかくなのでその全部に参加しました。
勝ち進めば試合数は優に10を超えます。
もちろん経験したことのない試合数でした。
そしていよいよ試合開始。
1大会目のInternational Giは、決勝まで勝ち進むも、判定により敗退し準優勝。
2大会目International Nogiは、序盤コーチと練習し続けていたテイクダウンがうまく決まるも、なぜかポイントが入らず判定により二回戦敗退。
ここまでで6試合をこなし、昼の3時を回る頃に3大会目のNoviceを迎えることになりました。
その日の全トーナメントを含めて一番大きなトーナメントとなり、計28人程が参加していたので、5回勝てば優勝です。
ただ疲労から、本当に今からまた試合できるのか…?という気持ちに自ずとなってしまいました。
そんな僕の心境に関わらず、時間が来て、3大会目が始まります。
1試合目、2試合目は、なんとか勝利し駒を進めることができましたが、疲労はますます蓄積され、言葉では表せないほどに体力を消耗していました。
勝った試合でもその後には、
「次は負けてもおかしくない。」
と心の中で思ってしまう程、弱気になっていました。
ただそんな中でも、トーナメントで戦った相手や、見てくれていた人、会場のスタッフやその場にいた日本人の出場者がいつの間にか応援してくれる仲間になっていてくれていて、たくさんのエールをくれたんです。
それがすごく新鮮な体験で、そしてとても嬉しかった。
そのおかげで、僕は気持ちをふるわすことができました。
結果、最後のトーナメントは決勝まで勝ち進み、決勝戦は序盤から苦戦を強いられましたが、途中で入った三角絞めのアドバンテージ差で逆転優勝。
柔術を始めてちょうど一年の節目に、初優勝を飾ることができました。
ずっと手が届かなかった表彰台のトップ。
柔術以外のことを含めても初めて手にする金メダルに、感極まりました。
ただ、優勝できたのは何よりサポートしてくれた周りの人達がいてくれたおかげですし、それがなければ優勝なんて一人では絶対できなかったでしょう。
なので試合を全て終えた後は、感謝の気持ちがあふれました。
あのチームの一員になれて、そしてあのチームの一員として優勝できて、本当に良かった。
心からそう思います。
そしてその喜びや感謝の気持ちやその他諸々の感情は、柔術をやっていなかったら得られなかったものでしょう。
この日、心から柔術を始めてよかったと思いました。
こうして、柔術を始めた最初の一年が締められましたが、思い出すと柔術を始めたこの一年は本当に濃く、そして幸せな一年でした。
それからのこと
セブ島で仲間に別れを告げる日、最後にビッグサプライズがありましたが、それはまたいつか機会があれば話せたらなと思います。
そして既に話が長くなってしまったので、それからのことはさらっと書きますね。
セブ島での大会後、僕は日本に帰り、それから東京、ニュージーランド、大阪と点々とすることになります。
東京では、トライフォース池袋に所属。
柔術を始めた頃から憧れていた早川先生に実際にお会いし、そして先生から直接ほめていただけたのはとても嬉しい経験でした。
東京での生活は職場とジムと家を行き来するだけの毎日でしたが、柔術ができるだけで僕はとても幸せでしたし、仲間もできて、応援してくれる人がいたのでとても充実した生活を送れました。
東京を離れ渡ったニュージーランドでも、やはり柔術を通して繋がりを持つことができました。
いきなり日本から来て英語もまだそんなにうまくなかった僕にとても親切に接してくれて、
「例え一年でも出稽古料はいらない、何より楽しんでほしいからね。」
と言われた時は深い感動を覚えました。
しかもみんな強いのに、何より楽しんでいて。
やっぱり柔術って良いなと思うと同時に、そんな今まで訪れた柔術道場とはちょっと違う道場の形を知れて、とても刺激になりましたし、
いつかこんな道場が持てたらいいな、
なんて思えたりもしました。
コロナの影響で練習できたのはほんの一瞬の期間だけでしたがとても良い経験ができたと思います。
そして帰国し、始まった大阪での二回目の生活。
以前の大阪での生活と大きく違うのは、柔術を始めていたことです。
素晴らしいジムと、素晴らしい練習仲間に恵まれ、今まで以上に真剣に柔術に取り組むことができました。
そしてそんな仲間達に別れを告げ、今また、思うところあって東京に戻ってきています。
ただこの柔術を始めてからの数年間は、やはりどこに行くにも、
柔術を始めてよかった。
そう思わずにはいられない、そんな時間を過ごせました。
柔術に出会えて本当によかった。
今こうして長ったらしい文章を書いていますが、こうやって今まで自分に起きたことを思い出してみると、改めてそう感じさせられます。
とにかく僕は、柔術と出会えたこと、柔術を通して多くの人と知り合えたこと、そして柔術をできていることが、今幸せでなりません。
さいごに
今回、この記事で自分の過去をさらけ出すことにはやはり少し抵抗がありましたが、自分にとって柔術はどんなものか、そして柔術は僕にどんな体験を与えてくれたのか、そんな体験を与えてくれる柔術がどれほど素晴らしいものなのか。
そんなことが少しでも読んでくれる人に伝わればと、そういう気持ちもあり包み隠さず書いてみました。
僕自身、人としても柔術家としてもまだまだ未熟で、これから学んでいかなければいけないこと、身につけていかなければいけないこと、まだまだ山ほどあります。
その成長の道のりはまだまだ長く、いつ終わるのかもわかりません。
いやむしろ、終わりなんてないのでしょうね。
ただその過程も楽しみながら、今までと同じように、柔術をしながら旅をするようにのらりくらりといけたらいいなと思っています。
僕はまだ、そんな"柔術旅"の途中にいます。
――以上、長くなった上に関係ない話も多分にありましたが、これで自己紹介は終わりにしたいと思います。
こんな僕ですが、これからのこと、少しでも応援していただけたら嬉しいです。
一言の声がけでも、僕には励みになります。
そしてすでにこんな僕を応援してくださっている方々、周りでサポートしていただいている方々、いつもありがとうございます。
(改めて言える機会も中々無いので。笑)
ではこれでこの長ったらしい自己紹介も終わりとさせていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは。
■大会について:https://www.kinyaboyzinvitational.tokyo/kit-06
■チケット購入:http://kinyaboyztokyo.zaiko.io/item/352718
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