見出し画像

[S.A.A.]市陸でコレオ!@アルビレックス新潟

さて、サッカーの試合のスタジアムの華といったら、やはりコレオグラフィだと考える人が多数かと思う(いきなり本題に引きずり込む
実際のところ、2024年11月2日ルヴァンカップ決勝@国立競技場のアルビレックス新潟のコレオグラフィは、闘う選手たちを後押しする美しさと力強さに満ちていて、テレビ観戦ではあったけれども胸の震える思いがした。

そして、24年前に市陸(新潟市陸上競技場)で初めて見た「チームカラーのストライプのコレオ」が、直接的ではないにしろ、この国立決勝のストライプにつながっているような気持ちになった。

私は「中の人」(広い意味でも狭い意味でも)ではないので詳細な事情を知る立場にはないけれど、過去のコレオのいくつかの準備をお手伝いしたり見聞きしたりはしているので、正史としてではなく、自分の知っている範囲でのことを記録としてまとめてみたいと思っている。
まずは、アルビレックス新潟が市陸をホームスタジアムとしていた時代のコレオから。掲載している写真は、特に記載のあるもの以外は全て、自分で撮影したものである。


前夜

とはいっても「暗闇の時代」というわけではない。(笑)
コレオグラフィができるくらいのクラブになるには、それ相当の道のりが必要だったのだと、やってみる段階になってようやく分かるのだ。スタンドをチームカラーで埋め尽くすサポーター、そんな土台がなければ簡単にできるものではない。
そこに至るまで、なんとかスタジアムをオレンジ(アルビレックス新潟のチームカラー)で染めようと、先人たちの苦労があった。

JFL(1998)時代

自分の手元にある写真では、そもそもオレンジ色のものを着用してる人はあまりいない。オフィシャルグッズなどもあまりなかった頃。
コーナーあたりで100連フラッグを広げている人たちと、G裏でオレンジのバンデーラ(というの?)を広げている人たちがいる。複数の応援団体が存在してたと聞くけれど、詳しい事情は知らん(笑)

1998/04/12 FC東京(東京ガス)戦
1998/05/10 鳥栖戦 (めりのさんにいただいた写真)

J2市陸(1999~2001)時代

私がよく試合を見に行くようになったころ。
観客は少しずつ増えてきた。選手のための個人横断幕も増えてきた。
それでもスタジアムのオレンジ化には程遠く、選手入場時にスタジアム全体でオレンジのタオルマフラーを掲げる、という今では当たり前になっている光景も、この時にはまだ一部だけだったと記憶している。2000シーズン中盤には、DENのメンバーがタオルマフラーを掲げていたようだ。

1999/04/18 大宮戦
2000/09/02 大宮戦

スタジアムをオレンジに染めよう、という趣旨で「スタオレ」(正式名称を知らなくてごめんなさい)のみなさんがオレンジ色のビニール袋を配り、選手入場時に膨らませていたのも、たぶんこの時代。すべて自腹でやっていたと聞く。

2000/11/19 札幌戦

初めてのコレオ

2000/06/10 浦和レッズがやってきた!

2000シーズン、浦和レッズがJ2に。
あの浦和レッズが市陸に大挙してやってくる。96年に市陸で行われたベルマーレ平塚vs浦和レッズの試合を見に行き、生であのド迫力のコールを聞いているだけに、正直怖かった(笑)

1996/05/18 ベルマーレ平塚vs浦和レッズ@市陸

きっと、みんなそうだったんじゃないかと思う。これは何とか迎え撃たねば!選手の後押しをせねば!ということになったに違いない。
そしてこれが、たぶん、アルビレックス新潟の初コレオ。

2000/06/10 浦和レッズ戦のバックスタンド
2000/06/10 浦和戦のホームG裏
2000/06/10 浦和戦アウェイG裏

この日の観客は11,662人。通常の入場者数が3,000~4,000人くらいの新潟市陸上競技場が、まったく違った光景となった。それまでで最大の入場者数だったはず。
試合結果はみなさんご存知、6-1での勝利。
かの有名なドッジボール事件。永井雄一郎選手がボールをぶつけた相手というのが、何を隠そう、現在の寺川能人強化部長である。

話を本題に戻そう(笑)
このコレオは、おそらくスタオレのみなさんが自腹で準備されたのではないかと思う。たしか、「スタオレボード」と呼ばれていたように記憶している。
市陸はベンチ席なので、単純な図柄とはいえとにかく大変だったろう。
現在新潟スタジアムで行うコレオのように「事前にデザインを座席表上にプロットして配置図を作り、試合開始前に、前からはどんな図柄か見えないように、イスの後ろに隠れるように輪ゴムで止めてボードを配置する」というような手順はもちろん使えない。座席にやってくる来場者に、いちいちその場でお願いして「選手の入場のときにこのボードを上に上げてください」とお願いしたのだと思う。
「なんでこんなことさせられるの」と文句を言われたこともある、と後日聞いたことがある。
自腹で、自主的に、とは言っても、大きなものをスタジアムに持ち込むわけだし、上述のように他の観客とのあいだでトラブルになる可能性もないとは言えないわけで、当然のことながら事前にクラブと折衝したり、許可を取っていたものだと思うので、そのあたりの苦労も含めて頭が下がる思いがする。

2000/07/29 ベガルタ仙台戦

来場者数4,291人。
浦和戦よりもブルーのボードが増えて、よりストライプらしさを出すことに成功している。

2000/07/29 仙台戦のホーム側バックスタンド
2000/07/29 仙台戦のアウェイ側バックスタンド

2000/10/01 浦和レッズ戦

ふたたび押し寄せてきた赤軍団。
来場者数は8,411人と6月よりはだいぶ少ない。アルビ側のコレオは、バックスタンドからコーナーあたりまで伸びていた。

2000/10/01 浦和戦ホーム側バックスタンド
2000/10/01 浦和戦のホームG裏

それから

アルビレックス新潟はJ1昇格争いに加わるチームとなり、新潟スタジアム(ビッグスワン)でのホームゲームも増えた。当然のように来場者数も増え、市陸での試合が手狭に感じられるようにさえなってきた。
選手と同じオレンジのユニフォームをまとった人びとが掲げる、ゲーフラやタオルマフラーで埋まるスタンド。これ以上なんの装飾が必要だろうか!

2002/11/24 水戸戦
市陸横の歩道橋には覗き見防止のネットが張られている


いや、これ以上のことが実はあった(笑)
反則と言われた「市役所ビッグフラッグ」。
「3Dコレオ」という言い方もあるらしいのを、最近ネットで知った。
厳密にはコレオとは言わない(※注2)ものだと思うが、アルビレックス新潟と言えばこれは欠かせないと思うので、記録として加えておく。

こぼれ話

この稿を書くにあたり、資料を調べるうちに疑問に思うことがあった。
2000年版のAlbirex Official Hand Bookの「ホームスタジアム・ガイド」のページに掲載されているコレオグラフィの写真だ。
2000年版のハンドブックに写真が載っているということは、その前の1999シーズンかそれ以前にコレオが行われたことがあったのか?自分自身にその記憶はないけれど、そんなに熱心なサポーターであったわけでも過去の試合すべてに参戦しているわけでもないので、実際はどうだったのか解明できずにいた。
念のためktmr先生(※注1)にお尋ねしてみたところ、このような見解であった。

さらによくよく調べてみたところ、この2000年版のハンドブック自体がシーズン前に発行されたものではなく、第20節(2000/06/21)以降に発行されたものであることに気づいた。「戦績記入」のページにすでに20節までの結果が印刷されていたのだ。「奥付」をよくみたら、発行日が「平成12年7月1日」だったのだ。
これで疑問解決。2000年ハンドブックに載っているコレオの写真は、2000/06/10の浦和戦のもので間違いないようだ。


※注1
ktmr先生は、アルビレックス新潟サポーターカンファレンス'06(サポーター主催による初のカンファレンス)の席上で中野社長から「あなたのように昔からアルビを一人でも応援してくれた人もいるように、人数は少なくても応援にくるクラブのサポーターもいるわけです。」と言われた、アルビレックス新潟伝説の古参サポーター。実在する(笑)

※注2
サッカースタジアムにおける「コレオグラフィ」の正式な定義は知らないが、「パネル等を使って何らかのデザインを表現したもの」とここでは定義させていただく。
「コレオ」=人文字、と訳されることもあるけれども、文字に限らず、ストライプやチェッカーなどの柄を描く、チームのエンブレムを描き出すなども「コレオ」である。


いいなと思ったら応援しよう!