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君は市役所ビッグフラッグを見たか?

2002シーズンの終盤は、ほんとうに慌ただしい日々だった。
J2アルビレックス新潟は、しばらくは昇格圏内をキープしていたものの、2002/10/9のホーム甲府戦で引き分けて以来、3位から浮上できていない。
そこに、2002/10/23アウェイ大分戦での船越選手のアキレス腱断裂。皆で鶴を折りつつ、祈るような気持ちでなかなか勝てないチームを応援し続けた。

2002/11/15 車に満載された船越選手への千羽鶴(その総数、約45,328羽)
「折るという字は祈る字に似てるわ~♪」(「悲しみは駆け足でやってくる」の替え歌w)

今でも多くのサポーターの記憶に残っている2002/11/16アウェイC大阪戦での完敗により、このシーズンの昇格は完全に消滅した。
その夜に反町監督が辞意を漏らした、という情報がサポーター内を駆けまわる。あっという間に「俺たちは反町のサッカーが好きだ!反町監督の続投を望む会」の運動が起こる。

数日後、反町監督の続投が発表され、私たちの周りは幸福感と、来シーズンは必ず昇格するという期待と決意に溢れかえった。
こうした流れの中で迎えたのが、最終節ホーム水戸戦だった。
前日の夜から市陸バックスタンド外には入場並びのテント村ができ、11月末の夜というのに鍋パーティが開かれたりしていた。あほや(笑)

2002/11/24、好天にも恵まれ、新潟市陸上競技場は多くのサポーターで埋まっていた。そこに!

市役所の屋上に、ヘルメットをかぶった作業員が。何やらロープを垂らしているね?
おおお?
おおおおお??
おおおーーーー!!!!

市陸ではサイズが大きすぎて広げるのは難しい、とされていたビッグフラッグ。それがなんと市陸の隣にそびえる市役所の壁を使って広げられたのだ。

これについては、昔の私の掲示板にこんな紹介があった。

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ビッグフラッグ市役所壁面掲揚の件については
最終的には市長さんのGOかもしれませんが、
実際、一番骨を折ってくださったのは
新潟市の体育課の方々とアルビレックス後援会の皆さんです。

そして、実際の掲揚は専門の業者さんにお願いしてます。
その費用は後援会とビッグフラッグ制作時にみなさんから
集められた募金の残金を使わせていただきました。

体育課の皆さんにはお礼のメッセージを!
市長には練習場お願いのメッセージを出しましょう!(笑)
練習場の件は今がチャンスだと思います。
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Everyday Albiday BBS 過去ログより

骨を折って下さった関係各位、本当にありがとうございます!

反町監督続投運動のページのコラムを読んでいただいてお分かりの通り、この当時のアルビレックス新潟はクラブハウスも自前の練習場もなく、市内のあちこちの施設を借りての練習が常態だった。反町監督とJ1昇格を目指すならそんな環境のままではいけない。多くのサポーターがこれを機に声を上げ、その後のアルビレッジ建設につながる一つのきっかけにもなったのではないかな、と思っている。

フナツル(船越選手へ鶴を贈ろう)、反町続投運動、市役所ビッグフラッグ。それぞれのイベントにたくさんのサポーターの参加と協力があった。私がお礼を言うのはヘンだけど、一つ一つのことがあって今があると思うと、本当にありがとうございますという言葉しかない。

つたない文章でごめんなさい。
ルヴァンカップ決勝で国立競技場に広がるビッグフラッグを見た後、どこかに市役所ビッグフラッグの経緯と写真を残しておきたいと思ったので。
次はたぶん、ビッグフラッグ作成についてのお話を知っている範囲でまとめたいと思ってる。できたら(笑)


【追記】
この試合より前、新潟市陸上競技場開催の2002/10/19横浜FC戦でビッグフラッグを広げたときの写真が出てきた(salvage!)。お広げ隊隊長のにいがみくん主導によるお広げだったと記憶している。すばらしい。

やはりフラッグが大きすぎて、バックスタンドからはみ出ている。
仙台弁で言えば、上下が「たごまっている」状態(笑)


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