【エッセイ】ミルクシェイクとマスクのジョブ/コンフォートゾーンを飛び出す(2020年8月)

このエッセイは、仕事の話、創作の話を雑多に書いていくものです。
興味関心があるところをご自由にお読みください。

報告:【受賞】カクヨム『コロナの時代の読書』特選3作に選んでいただきました

角川書店とはてなが運営する小説投稿サイトカクヨムにて、
公式企画「読書で考える新型コロナウイルスとの共存」の特選レビューに、森博嗣『すべてがFになる』を扱った書評「私たちは距離をどう捉えるのか」が選ばれました。

ダ・ヴィンチニュース、KADOKAWA文芸Webマガジン「カドブン」にも上げていただきました。
(ダ・ヴィンチニュース)
決定!「コロナの時代の読書」特選レビュー3作 その1
(カドブン)
https://kadobun.jp/news/publication/56wdy2rn3c84.html

 選んでくださった編集部の皆様、読んでくださったすべての方へあらためて御礼申し上げます。

仕事の話:ミルクシェイクとマスクのジョブ

 新しい生活様式、ソーシャルディスタンス、New Normal といったいかにも時代遅れになりそうな言葉が流行している。
 私たちはすでにその言葉にとらわれて生活を送ってしまっているのではないだろうか。
 マスクの着用は日本社会においてはさほど違和感のないものであったが、欧米社会ではマスクをすることの意義が見直されているようだ。

 数年前、大学院に通っていた頃、留学生や海外から来た先生には「君はいつもマスクをしているね」と言われた。そして、「日本人はなぜマスクをするのか」と問われた。私は、「予防」とだけ答えていたが、「何の?」と聞かれると、答えに窮していた。「病気」と答えれば、「マスクはどんな種類の病気を予防できるの?」「エビデンスは?」と問われるに決まっている。なんとなく、マスクをしたほうがいいと分かっているが、それがなぜなのか答えられなかった。そして、その問いの答えは今も闇の中である。

そんな本質的な問いとは別な歯がゆさもあった。
「予防」という答えでは、日本人がマスクをする理由全てを網羅しているわけではない。

 少し買い物に出るくらいの外出においての身だしなみ
 移動中や睡眠中の喉のケア、粉塵や花粉を防ぐため。

 そのことを思い出した時、ふと、疑問が生まれた。

「マスクが不足していたさなかで、今までマスクで満たしてきたさまざまなニーズにこたえる商品が生まれてきただろうか? マスクがないことを嘆いてきただけではなかったか?」

 こうした問いが浮かんできたとき、すでにビジネス分野で多く引用されている2017年のクレイトン・M・クリステンセン『ジョブ理論』をぼんやりと思いだした。有名な同書について書くことで、手垢のついたエッセイになるかもしれないが、思考法としては、仕事に役立つかもしれないので、拙いながら少し抽象化して書き記しておきたい。例によって、私の方が詳しいという人はたくさんいると思う。

 余談だが、この本は、帯のコピーに結論が書いてあるにも関わらず、ベストセラーになっている。もちろん、面白いからではあるが、時間のないビジネスマンに本の内容を分からせ、購買行動を促すというジョブを帯のコピーが見事に果たしていることも大いに関係しているだろう。

 さて、本題に移ろう。

 このジョブ理論の内容を端的に表すのは、やはり帯の一文

”顧客が「商品Aを選択して購入する」ということは、片付けるべき仕事(ジョブ)のためにAを雇用(ハイア)する」ことである”

だろう。

シンプルかつ平易な文章で、分かったような気になる、でももっと知りたいと思わせる名コピーである。

 この本の導入には、ジョブ理論の概要を解説するために、とあるファストフード企業の商品であるミルクシェイクの事例が載っている。

 著者を含んだ調査チームは、
 あるファストフード企業のミルクシェイクの売り上げを上げるにはどうしたらよいだろうかというテーマを追っていた。

「値段」、「量」、「味」、「硬さ」について、数か月にもわたり、丹念なヒアリングと精緻な分析を行い、商品に反映させていった。そうした調査の結果をミルクシェイクの改良を重ねた。

 では、肝心の売り上げはどうなったのだろうか?
 
 全く変化はなかったのである。

 この結果を受けて、調査チームは視点を変えることにした。
 
 まず、「ミルクシェイクが売れる時間帯」という視点を加えた。
 調査の結果、ミルクシェイクは午前9時前後になるとよく売れていることが分かった。

 そこで、調査チームは、実際にミルクシェイクを買った人にその目的(ジョブ)を尋ねた。
 結論として、ミルクシェイクを買った人間は同じジョブを抱えていた。
 それは、「仕事先まで、長く退屈な運転をしなければならない」(本文P.32)というものだった。

 このジョブを満たすには、油でハンドルを握る手を汚すドーナツやベーグル、すぐにお腹が空くバナナやスムージー、コーヒーではだめだったのだ。ミルクシェイクは飲むのに適度に時間がかかる。トッピングにフルーツでも入れれば、食感にも飽きずに昼までの空腹も満たせるのだ。調査の結果として、ミルクシェイクを買う人間に人口統計的有意差はなく、したがって男女や年齢の偏りもなかったという。ミルクシェイクを買う人の共通点は、午前中に仕事がある人だった。

 これは、ミルクシェイクが必ずしもその商品自体の魅力から購入されていたわけではないことを意味している。

 ミルクシェイクを買う目的は、昼までの空腹を満たす上で運転や健康志向の邪魔にならず手に取りやすい商品を購入することにあった。
 車の運転をしながら食べづらいドーナツやお腹が空くバナナ、健康志向からは罪悪感のあるスニッカーズ等では満たせない仕事(ジョブ)をこなすにちょうど良いミルクシェイクが雇用(ハイア)されたのだ。

 この事例を単なるマーケティングの齟齬と片付けることは簡単だが、このジョブ理論が指摘するところはもっと深いところにある。ニーズといった抽象的なものの解像度を上げろということだ。少なくとも、この事例に登場する企業のシェイクに限ってみれば、求められているのは、ハンバーガーの最良の友ではなく、昼までの空腹を満たす最良の友であることだったといえる。

 なお、この調査にはさらに続きがあり、ミルクシェイクのジョブは多岐に渡ることが示されている。午後や夜になるとミルクシェイクの売り上げはまた上がる。通勤客以外にもだ。なぜだろうか。ネタバレになるのでここで止めておくが、その時間帯にはどんな客がいるのか考えると答えは想像できるかも知れない。

 さて、適度に顔が隠れ、喉を潤し、粉塵の吸引を抑制する。これらのジョブを全てこなすのがマスクだ。
 マスクがハイアされているジョブにピンポイントで訴求することができる商品を開発すれば、その市場でマスクに対抗できるものもあるだろうか? 今のところ、真逆のジョブとして顔を隠さないフェイスシールドなどの商品は生まれている。少し飛躍が許されるならば、自分のビジネス界隈で今売れている商品はどんなジョブのためにハイアされているのか観察するのも良いかも知れない。

 その商品が売れている(ハイアされている)という現象をただ見つめるだけではもったいない。マスクがないことを嘆いているだけでは新たな価値は生み出せない。そこにはどんなジョブがあるのか、私たちは注意深く見つけていく必要があるだろう。

創作の話:コンフォートゾーンを飛び出す

 人の成長には、コンフォートゾーン、ストレッチゾーン、パニックゾーンがあるそうだ。
 
・コンフォートゾーンとは、自分が快適だと思って伸び伸びと動ける領域。
・ストレッチゾーンとは、自分の実力から少し背伸びをしなければ成果が出せない
 領域。
・パニックゾーンとは、自分のキャパシティを超えた状態で、ストレスや負荷がか
 かり、ある種のパニックを引き起こす領域。

 今までの創作は、自分の手癖から、書ける物を書いて来た。それなりに努力をしていたが、自分がやりやすい中で戦ってきたのだ。そのことに気づき、公募原稿は今まで書いてきた物と異なる物を書こうと決意した。

 6月、7月と月末に公募の締め切りがあり、ぎりぎりまで良いものにするため、このエッセイも休んでいた。悪戦苦闘しながら二つの小説を書き上げた。一つ目は大学生が主人公の青春もの、二つ目は時代小説だ。

 一つ目を投稿した新人賞は、エンターテインメントを求められていたので、普遍的な面白さを追求した青春ものを書こうと決意した。自分が今まで書いてきたものはミクロで、静かな小説だ。誰も大きな声で笑わず、泣かない小説だった。それも気に入っていたし、第一次選考までは確実に通ってきた。
 しかし、そのさきにはなかなか進まない。だからこそ、主人公が大きな声で笑って泣くものを作ろうと思い執筆に取り掛かった。すると、すぐにそれまでの自分のコンフォートゾーンからストレッチゾーンに入った実感があった。大きな感情の動きには、そこに至る大きなストーリーが必要だったからだ。それには、物語のセオリーを勉強しなければならず、様々な創作論と創作物を勉強した。自分では納得の出来になったが、結果はまだ分からない。ただ、その小説を書くことを通じて、自分の表現とは何かを見直すきっかけとなったことは確かだった。

 そして、二つ目の時代小説は、書き始めたときには、パニックゾーンに近い苦しみを味わった。のちに一つ目の小説を書き上げたことでそれがストレッチゾーンに変わってきた感覚を得たが。
 歴史には大局的な正解のようなものがあると感じている。その中で個人や出来事にフォーカスして創作をすると、その当時の時代背景との整合性や文化慣習からどの程度逸脱させるのかといった細やかな調整が随所に必要となる。さらに、年代が下ると、今までの常識が通じない社会的な混乱も描く必要がある。ミクロな小説を書いてきた自分にとっては、時代というマクロなもののダイナミズムを組み込むことで小説自体がハレーションを起こすリスクが大きかった。それでも、そのゾーンに意識的に入っていかなければ、これを仕事にすることはできないと感じていたので、とにかく進めた。これは、正直自分でもどんな物語と捉えられるのか分からないところではある。しかし、自分が最も書きたいと思っていたテーマを盛り込むことには成功した実感はある。

 今年は勝負の年にしたい。さらに長編を二本書き、毎年三本が限界だった長編の創作量を更新していこうと思う。


いいなと思ったら応援しよう!