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虚実皮膜でヒトは泣けるか -マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画-

「私は今からあなたを騙します。」

あなたはどう思っただろうか。
「いやいや、私が騙されるはずがない」
「騙せるものなら騙してみろ」
身構える人が多いのではと思う。

作風、芸風として、これを観客に言ってから自分の作品を見せる。
そんな事を毎回しているのがこの作品の監督、佐々木誠だ。

もちろん世の中には、それを楽しむエンタテインメントは他にもある。
「タネも仕掛けもありません」はタネも仕掛けもある事を意味している。
その上で騙されるのを楽しむのがマジックだ。
だけれども、驚かすだけならわざわざいう必要はない。突然ハトを出す方がよっぽど驚いてもらえる。
それでも「今からあなたを騙します」と言い続けているのが、佐々木誠監督だと思う。

「マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画」
これはネタバレなしに感想を書くのが難しい…。

色々な食材がふんだんに使われた『ちらし寿司』…。
ミシュランシェフが丁寧に下ごしらえした食材でちらし寿司を作った後に、こうしたら面白いんじゃね?って変に混ぜ返した料理。
しかしそこには狙いがちゃんとある。
そんな印象。
(この後に「愛について語るときにイケダの語ること」が作られたのは必然に感じる。
まさに素材と作品の関係であり、新規素材が追加出来ないからこそ、イケダはマイノリティの次の最高のチャレンジなのだ。)

タイトルにもあるマイノリティに対しても、単に身体ハンディキャップのマイノリティを取り上げるだけでなく、精神疾患のマイノリティ、非日本語母語話者までを取り上げる。
さらにそこにセックスについての話題を多層的に重ね、マジョリティの代表だった撮影者を性的不能者としてマイノリティにして重ねる。

その上で、何を描くのか、何を伝えるのか、観客にどういう感情や驚きを与えるのか。

やはり佐々木IZMがそこにある。
是非ネタバレなしで鑑賞して欲しい。



以下ネタバレアリの感想。

真犯人フラグのように
(というとチープだし2022の人々にしか伝わらないだろうが)、
これは嘘、これは本当と答え探しをしながら見てしまうと、もはや佐々木作品でしか味わえない、『もやもやと一緒に踊る』感覚に誘われている。

はじまりの登場人物のうち、誰が役者としてハンディキャップがある人なのか、役としてハンディキャップを演じて大丈夫なのか、撮影者はそもそも佐々木監督なのか、
最初から疑問の渦だらけの展開だ。

マイノリティとしてカバーしている範囲や対象は極上で、精神疾患者と身体ハンディキャップ者がどちらが辛いかについて当事者同士が語るシーンがある。身体ハンディキャップ者が自分の子供がハンディキャップを持つ事が(あるいはハンディキャップの子供を持つ事が)嫌だと語る。
ドキュメンタリーとしてピックアップすべき極上のネタを、本作は華麗にスルーする。
それぞれの繋ぎ合わせは雑であり、通底するであろう性的不能の若者=撮影者が愛を得て不能を乗り越える、物語=フィクションにおける感動的な展開が、あえて"感動させないように"描かれる。
(彼女を探しに行く先が明らかにおかしい国、突然アメリカ?で、知らない他人の家の網戸を開けて侵入。家主に追い出される…のだが、何故かまだ庭で彼と会話をしている。かと思えば、なぜか再会出来た彼女と雪の上で戯れて、子供も出来てゴールイン。)

もはや趣味の悪いイタズラだ。
マイノリティを描きながら、ふざけている。

車椅子で牽引してもらっていたスケボーで転倒したのに、車椅子は颯爽と撮影者=健常者を見捨てて走り去る。
マイノリティを酷い人のように描いている。

だが、だからこそ、それこそが、マイノリティを普通に扱っているのだ。

障害者に求める清廉潔白さと、
マイノリティでふざけてはいけないという感覚の何が違うのか。
佐々木監督は自分の作品の「背骨の部分」で、批判を覚悟で、表現している。

素材としては極上だ。
精神疾患を持つ人への偏見、
ハンディキャップを持つ人に清廉潔白を求める差別、
日本において日本語が話せない人への差別、
アメリカにおける日系人への差別、
性的不能者への差別、

だが、それら極上のドキュメンタリー素材について何かを押し付けない。
主張しない。
虚実皮膜という佐々木スタイルだからこそ、
虚の中に実として忍ばせることで、
他のドキュメンタリーではできないやり方でマイノリティの現実を強調している。

そうなってくると、もはや趣味の悪いイタズラとしてのストーリーラインは必然で、
敢えてどうでも良いと判るように描写されている気がしてくる。
さらにアグレッシブに解釈すれば、ノンフィクションとして出演していたハンディキャップがある人達すらどうでもいいと言っている気すらしてくる。そして、この映画の外にいるリアルなマイノリティの人に目が向いていく…。
それこそが佐々木監督の計画なのではないだろうか。

相変わらずの佐々木誠節、佐々木IZMである。
佐々木誠監督にしか出来ないやり方でやっている。

その一方で、ふと考えた。

イケダにしても、この作品にしても、僕は泣けなかった。
ノンフィクションでは感動する。
フィクションでも感動する。
でもイケダもマイノリティも感動しない。

なぜか。

佐々木IZMのせいだ。

虚実皮膜は佐々木監督が僕に挑戦状を叩きつけている。虚実を混ぜて僕の足場を不安定にさせる。
これは虚なのではないか?佐々木監督の罠だから簡単に感動してはいけないのでは?
だから僕は完全に身を任せられない。自分の感情にノれない。

佐々木監督が、虚実皮膜で、全ての観客を泣かすことが出来る日は来るのだろうか?
そもそも人は虚実皮膜と理解した上で、グラグラする足場の上で泣けるのだろうか?

マジックでは、タネを必死で探しながらも、それを隠して、へぇ凄いね。と言えるようになってきた。
佐々木誠監督の全力で泣かしに来た虚実皮膜で、虚実を忘れて思い切り涙を流せたら最高だ。

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