Home ─いつかの曖昧な記憶
2020年10月、惜しまれながらも解散したシェアハウス「あいまいえ」。
ここ4年ほどの私の社会人生活は、このシェアハウスとここで出会ったたくさんの人たちに支えられてきた。曖昧で大切な記憶をたくさんくれたこの家との思い出を、少しだけ書き残しておこうと思う。
* * *
出会い
最初に出会ったのは2016年10月ごろ。
新卒で就職ししばらく経ったころ、そろそろ実家を出ようと思い、シェアハウスを検討していた頃だ。
たまたまfacebookで目にした「住人募集」の文字。facebookの直接の友人ではなかったけれど、友達がいいねを押していたようで、フィードに出てきていた。当時の職場から程近いエリアでシェアハウスを始めるというのだから、とりあえず話を聞いてみたいと思い、メッセージを送ったのがはじまりのはじまりだった。
iPhoneを遡ったら、内覧に行った時の写真が出てきた。ピカピカのキッチン
いろいろと条件なども聞いて検討し、いいな〜と思ったけれど結局、住むことにはならなかった。なぜ住まなかったかについては、あいまいえだけに曖昧にしておこう。
コミュニティの存在
住むことにはならなかったものの、なぜ4年もの間このシェアハウスと関わり続けているか。それはこのシェアハウスから広がるコミュニティの存在が大きい。
もともとは「ワークル」という言葉で。今は呼び名もなく、若手社会人を中心とした、ゆるっと広がる人と人のつながり。
ここに住む住人や、ここで開かれたさまざまなイベントが人を呼び、その人がまた別の人を呼び、住人がまた新たな住人を呼び…。兄弟姉妹を連れてくる人もいたり、仕事を受注する・発注する関係になる人がいたり。プライベート・仕事問わず、これといって定まらない、住人ですら把握しきれない、さまざまな関係性がここで紡がれてきたと思う。
記憶・光景・関係性
ワークル時代の1on1(対話)では、激務でシにそうになっていた私のこれからの働き方や生き方についてたくさん対話させてもらったからこそ今のキャリアがあると思っている。
毎月開催されていて今も続いている読書会『ホンカツ』にもたくさん参加した。いつか雪の降る日にめちゃくちゃ少人数で開催されたホンカツで『ヤノマミ』という本を紹介したらその内容の衝撃さに、いまだにそこにいた一人ゆかりちゃんには「ヤノマミのさとゆか」と認識されてるだろう。笑
ホンカツの運営メンバーであるゆかちとはここ数年、毎年忘年会をする仲だし、今は武蔵新城のメディアとかいろいろやっててその行動力にいつも純粋にすごいなって思う友だち。
今年のはじめ当時住んでいた森下のシェアハウスでちょっとした危機的状況に見舞われたときは、あいまいえに泊まらせてもらったこともあった(このnoteで書いたな)。その夜住人のPonさんと、深い話をしたような光景も印象的におぼえている。ちなみにPonさんは3度も危機を救われたらしい(泣けるnoteなのでぜひ)
たくさんの仲間・友達と出会うことのできたこの家。
本当にありがたい存在だった。
考えてみれば、社会人になってからの「友達」というのは、人によってできたりできなかったりするもので、このコミュニティの話を小学校からの仲の良い友達にしたときに、いいな〜!と言われてそのことに気づいた。
無冠帝とあいまいえ
あとちなみに、この家に何本も置かれてた「無冠帝」というお酒。
これは私が編集としてお手伝いしている菊水酒造さんのメディア「BREW」での執筆を、ここに住んでいた住人たくやくんに依頼し、その謝礼として届いているお酒だった。その話をすると「ああ、そういうことだったの!毎月届くんだよね!笑」と住人のるかさんが納得してたり。るかさんとも、別の仕事でとてもお世話になった。そういう、何気ないようできっととても貴重な日々の記憶が、この家にはたくさん詰まっている。
解散した実感が、まだあまりない
たまに訪れる居場所として私の中に存在した、あいまいえ。
今年はコロナであまり行けなかったし(最後にホンカツとお掃除で行けたのはよかった)、正直、解散したという実感がまだあまりないのだ。
解散した実感がないのは、あいまいえが単なるシェアハウスではなかった証拠だと思う。そこにたくさんの関係性が形成され、そのキーワードで繋がる記憶や光景がたくさんある。あいまいえはコミュニティであり、概念だ。
ずっとこれから時間が経っていつかふと思い出すとき「あいまいえ」という言葉はより曖昧になり、そのことを実感するだろう。私が本当の貴重さ・ありがたさに気づくのも、これからもっと先のことかもしれない。
ここではじまった関係性はこれから継続していったりなくなったり、いろいろだと思うけれど、私はこの家をとりまいた人を、光景を、空気を、なるべくずっと憶えていたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?