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ジャズの名曲研究 「Spain」 (Chick Corea) 楽曲の方向性を決めた3つのヴァージョン 【熊さんのジャズ雑談】

昨年、惜しまれつつ他界してしまったチック・コリアですが、「チック・コリアの代表曲は?」と聞かれたら、多くの人が「Spain」と答えるのではないでしょうか。この曲はチックの楽曲の中でも「La Fiesta」と並んで最もファンの間で人気が高く、多くのミュージシャンに取り上げられて、今ではジャズのスタンダード曲のひとつになっています。1970年代のジャズ・シーンが生んだ名曲のひとつだといっていいでしょう。ジャム・セッションなどでこの曲が演奏されることも少なくないですね。でも実はこの曲、3つの決定的なヴァージョンが楽曲の方向性を決めてしまったという、スタンダード曲としては非常におもしろい「進化」を遂げた曲なのです。

『Light As A Feather』 Return To Forever

1972年、チック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエヴァー(以下RTF)のセカンド・アルバムとしてリリースされた『Light As A Feather』のラストに「Spain」は収録されていました。これがこの曲の初演ヴァージョンです。チックが1971年にスペインへの憧憬を込めて書いたというこの曲は、マイルス・デイヴィスも『Sketches of Spain』で演奏した、スペイン出身の作曲家ホアキン・ロドリーゴの「Concierto de Aranjuez (アランフェス協奏曲)」をイントロに用い、そこから続く哀愁を帯びたメロディ、フラメンコを思わせるメカニカルなキメやピックアップ・メロディのカッコ良さ、「Spain」なのにかぜかサンバのリズムの躍動感などがひとつになり、“名曲”と呼ぶのにふさわしいナンバーに仕上がっていました(ちなみに1999年にリリースされた『Light As A Feather』の“完全盤”では、この曲の別テイクを聴くことができます)。さらにアイアートのカスタネット、メンバーによる手拍子、フローラ・プリムによるヴォイスが、よりフラメンコ感を醸し出していました。

しかしこの曲、ステージでは何度も演奏されていましたが(1996年にリリースされたRTFのアンソロジー『Return To The 7th Galaxy - The Anthology (第7銀河への帰還)』には、スティーヴ・ガッド(ds)が入った1973年の貴重なライヴ演奏が収録されています)、チック自身が彼のリーダー・アルバムでこの曲を再度レコーディングするのは、意外にも1989年のチック・コリア・アコースティック・バンドによる『Chick Corea Akoustic Band (スタンダーズ・アンド・モア)』までないのです。つまりオリジナル・ヴァージョンのレコーディングから17年間、本人はこの曲を再レコーディングしなかったことになります(公式のライヴ・レコーディングもないようです)。その後チックは、ボビー・マクファーリンとのデュオ・アルバム『Play』(1992年)、オーケストラとの共演作『Corea. Concerto』(1999年)、ソロ・アルバム『Solo Piano - Originals - Part One』(1999年)、芸歴40周年を記念したセッション・ライヴ盤『Rendezvous In New York』(2001年)、上原ひろみとのデュオ・ライヴ『Duet』(2008年)など、「Spain」が収録されたアルバムが次々とリリースされるようになりましたが、いずれもこの曲が“スタンダード化”してから”の演奏なのです。つまり「Spain」という楽曲は『Light As A Feather』のヴァージョンひとつで、ジャズ・ファンやプレイヤーたちに認知されてスタンダードになってしまったというわけです(チック自身は“1970年代にライヴでこの曲を演奏しすぎて、演奏することに疲れてしまったので、1980年代以降はほとんど演奏していなかった”と語っていました)。それだけこの曲が魅力的で、そして他のプレイヤーたちに演奏したいと思わせる“何か”を持っていたのでしょう。ソロを取りやすいコード進行だし、リズム隊も演奏していて楽しいし、キメの部分は複雑だけどバッチリ合うとカッコいいし。ただしオリジナル・ヴァージョンでは「ピックアップ・メロディ」「Aメロ」「Bメロ」「キメ」という4つのパートがあって、場所場所でその組み合わせが違ってくるという、ちょっと複雑な楽曲でもあるのです。それでも頻繁にセッションで演奏されたというのは、さすがチックというか、すごく“よくできた”楽曲なんだと思います。

『Two For The Road』 Larry Coryell & Steve Khan

そしてこの曲、RTFのオリジナル・ヴァージョン以外にも決定的なヴァージョンが2つ存在するのです。そしてそれがこの曲のスタンダード化に大きな役割を果たし、さらにこの曲の演奏スタイルをも方向付けてしまうことになります。
その1つが、ラリー・コリエルスティーヴ・カーンのアコースティック・ギター・デュオによるアルバム『Two For The Road』。これは1975年から1976年にかけて彼らが行なったデュオ・ツアーのライヴ・アルバムで、冒頭に「Spain」が収録されています。2人のユニゾンによるキメがメチャクチャにカッコいい。そしてこの演奏一発で、今度は「Spain」がアコースティック・ギター・バトルの定番曲になってしまったのです。それ以降、アコースティック・ギターによるセッションで、この曲が頻繁に演奏されるようになっていきました。しかもどのセッションでも、ピックアップ・メロディのユニゾンから入り、次の“タータッター”の部分はコードの合奏。そしてテーマは1人がメロディを、もう1人がバッキング・パターンをプレイして、そしてユニゾンでキメへという、コリエル & カーン・ヴァージョンの構成 / アレンジが、他のギター・セッションでもそのまま踏襲されている場合が多いのです。いかにこの演奏が鮮烈で影響力が強かったか、ということがこのことからもわかると思います。バッキー&ジョン・ピザレリ、ビレリ・ラグレーンのアンサンブル、ロサンゼルス・ギター・クァルテットなどがこの曲をレコーディングしていますし、ライヴではアル・ディメオラと渡辺香津美のデュオや、スーパー・ギター・トリオなどでもプレイしていました。きっとアコースティック・ギターの歯切れのいいサウンドと、キメのメロディとのマッチングがいいのでしょう。元々スタンリー・クラークのベースでもユニゾンで弾けるように作られているキメだから、ギターにもフィットするわけです。ということでこの『Two For The Road』は「Spain」に新たなる生命を吹き込み、ピアニストが作曲した曲なのにもかかわらず(しかもオリジナル・ヴァージョンにはギターは入っていない)、“ギター曲”にしてしまったわけです。こういう演奏のされ方は他のスタンダード曲にはあまりないパターンだと思います。
ちなみにギターによる「Spain」の異色作として、B'zのギタリスト松本孝弘のソロ・アルバム『Thousand Wave』(1988年)で、ハード・ロック調に弾いてるヴァージョンなんかがあったりします。あとギターではないですが、後にチック・コリアとのデュオ・アルバムを制作することになるバンジョー奏者のベラ・フレックが1988年の『Daybreak』、マンドリン奏者のデヴィッド・グリスマンが『DGQ20』(1996年)、ウクレレ奏者のジェイク・シマブクロが『Crosscurrent』(2005年)でこの曲にチャレンジしていて、これも聴きものです。またミシェル・カミロ(p)とトマティート(g)の『Spain』(2000年)での演奏も迫力満点です。日本でも寺井尚子(vln)がライヴの定番曲として演奏していますね。

『This Time』 Al Jarreau

そしてもうひとつの「Spain」の決定的なヴァージョンになったのが、ヴォーカリスト、アル・ジャロウの1980年のアルバム『This Time』です。驚異の音域とテクニックを持つ天才ヴォーカリストのアル・ジャロウは、それまでにもインストゥルメンタル曲である「Take Five」に歌詞を付けて歌ったりしていましたが、なんと「Spain」に歌詞を付けて歌うことを思いついてしまったのです。ちなみに彼はチックが信奉していた宗教哲学“サイエントロジー”の信奉者だったこともあり、チック・コリア・エレクトリック・バンドの「Eternal Child」のビデオ・クリップにもチラリと出演していたりします(このビデオ・クリップには同じくサイエントロジーの信奉者だったジョン・トラボルタも出演しています)。
そこで彼は自身で歌詞を書き、「(I Can Recall) Spain」というタイトルにして、堂々と歌い切ってしまったのです。スペインでの恋の哀しい想い出と「Spain」という曲への印象を巧みに歌詞に盛り込み、あのメロディとキメにピッタリと合う歌詞を乗せてしまったのだからすごい。ご丁寧にイントロの「Aranjuez」にまで歌詞を付けてます。そして圧倒的な歌唱力でこの難曲を歌いきってしまったのです (ちなみにスティーヴ・ガッドのドラミングもすごい。実は彼も、短期間在籍していたRTFでこの曲をプレイしていたのでした)。そしてこのアル・ジャロウのヴァージョン一発で、今度は「Spain」がヴォーカル曲として認知されてしまったのです。「Spain」2度目の再生ですね。
この曲を歌い切るにはかなりのテクニックが要求されることもあってか、ヴォーカリストが自分のチャレンジとして挑む“課題曲”のような楽曲になっていて、ジャズ系のみならずポップス系のシンガーたちにも歌われるようになっていったという点でも、この「Spain」のヴォーカル・ヴァージョンは異色だといえるでしょう。特に日本のシンガーの間で人気が深く、マリーン、中西圭三、佐藤竹善、久保田利伸、MINAKO OBATA、Coco d'Or(SPEEDのhiroのソロ・プロジェクト)などが歌っていました。つまりチック・コリアの「Spain」は、作者本人がまったく意図しないところでポップなヴォーカル曲として生まれ変わってしまったのです。
ちなみにボビー・マクファーリンや平原綾香は、アル・ジャロウ・ヴァージョンではなく、独自のスキャットでこの曲を歌ったりしています。
それまでにも、インストゥルメンタル曲に歌詞を付けてヴォーカル曲にしたのは「ラウンド・ミッドナイト」や「ミスティ」など様々な例がありましたが、1970年代以降のジャズのインスト曲でこのようにポピュラーなヴォーカル曲になったのは、この「Spain」や、マンハッタン・トランスファーが歌ったウェザー・リポートの「Birdland」など、数えるほどしかないと思います。

「Spain」という楽曲は、作曲者本人は初演以来ずっとレコーディングしていなかったのにもかかわらず、曲そのものがひとり歩きを始めて、2組のチャレンジ精神旺盛なミュージシャンによって新たなる生命を吹き込まれ、それがまた多くのミュージシャンたちにカヴァーされていくという独特の歩みを経て、永遠の生命を持つようになった不思議な楽曲なのです。もちろん楽曲そのものの持つ魅力が大きかったからこそ、こういう「進化」が可能になったのだと思いますが、楽曲と演奏者の両方がクリエイティヴィティを発揮することができる、まさに“名曲中の名曲”ともいうべき素晴らしい楽曲なのだと思います。

© 熊谷美広



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