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「正しさ」より大切にしたいこと
「今やっていることは正しいのか?」と思うことあるんだけど、それがその瞬間にわかることはないんだよね。何年も先になるかもしれないし、ずっとわからないかもしれない。だけどそれが自分で考え抜いてやっていることなら大事にしたいところ。それ自体が自分自身の財産になるのだから。
— KUBOCCHI (@y_kubocchi) May 23, 2021
正しいかどうかを考えるのはあまり意味がない
仕事をしていると「何が正解なんだろう...」と思うことありませんか?
ぼくは難しい課題にぶち当たる時ほど、悶々と考えてしまいます。いてもたってもいられなくて、いろいろな人にヒヤリングしたり、そこから何とか生み出したものをまた人に見せてどうにか正解を見つけようとするのはよくある話。
しかしこのいろいろな人に聞くという作業をやっていくと気付くんですが、人によって判断基準が結構違うんですよね。
例えば資料を作っていて、Aさんは「ここの表現はいいと思うからこのままでいこう」と言われたと思ったら、Bさんは「ここの表現は曖昧だからもう少し練ったほうがいいね」と言われ、「結局何がいいのかわからない...」と堂々巡りになることも。
でもこれって元も子もない話ですが、仕方ないことだなと思います。
それは人にはそれぞれの価値観や想いがあるからこそ、世の中にはそれに応える商品やサービスがあるわけです。
もし仮に全員一律の答えが決まっているのなら、もう既にその答えになるものは世界中出尽くしていますし、それ以上何も新しいものを生み出す必要がないということになります。
ただ生活していれば日々新しい商品は出てきますよね?
それはやはりそれだけ人によって価値観は違うのとまた同時にその価値観自体も変化していくのだと思います。
正しさより自分の価値観に従おう
では正解を求めるのではなく、どうすればいいか?
ぼくは自分が信念を貫いていくということだと思います。
信念の意味を改めて考えてみると、
それが正しいと堅く信じ込んでいる心
とあります。つまり自分で「正解」を作っていくということです。
例えば日本のみならず、大リーグでも偉大な記録を打ち立てたあのイチロー選手でさえ、最初プロ野球ではあの独特の打ち方(いわゆる振り子打法)が認めらなかったというのは有名な話です。
しかし今では誰もそれを否定する人はいないでしょう。
それは自分の信念を貫き通したからというのは大きな理由だと思います。
そして継続すること
そしてそこに辿り着くまでは当たり前ですが、継続が必要です。
誰になんと言われても自分で決めたことはやり通す。
もちろん全く結果が出ないことをただひたすらにやり続けるということではなく、日々のメンテナンスは必要です。
しかしその継続があってこそ、自分の信念が成果となり、その成果の積み重ねが結果として「正解」となる。
ついつい「正解ってなんだろう?」って考えた時に思い出したいことです。