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地球福祉✌️
コミュニタリアニズム
福祉の思想流派の1つで「コミュニタリアニズム」と呼ばれるものが、最近勃興している。
超簡単に言うと、国家でも個人でもなく、地域コミュニティを福祉の基盤として考えよう、という考えだ。
その特徴として、コミュニティには多様な文化や道徳があることを前提に、普遍性を目指すのではなく、コミュニティごとに異なる共通善を重視するというものである(特定主義)。
またそうすることで人間にとっての「善き生」とは何か?について、積極的に語っていこうという立場である。
コミュニティの単位をどう考える?
福祉の単位を、国家でもなく、個人でもなく、コミュニティで考えていこうというのは、なるほど1つのアイデアだと思う。
それではそのコミュニティとは何のことを指すのだろうか?
え?市町村じゃないの?それとも都道府県?もしかして、大字とか町内会?
そんな声が聴こえてきそうだ。
コミュニティとは地域関係における1つのまとまりを指すが、それは何を基準にまとめるのだろう?
例えば上に述べた市町村などは行政区分だ。
この便宜上分けられた行政区分をコミュニティと呼んでいいのだろうか。(もちろん悪いというわけではないが。。。)
少し考えを歴史的に遡らせてみる。
もともと昔に「〇〇村」などの生活単位が出来たのは行政が「ここからここが〇〇村だ」と線を引いてできたものではなかったはずだ。
では何をもとに「ここからここが〇〇村だ」となったのか。もっといえば「俺たちは〇〇村の人間だ」と思うようになったのか。
それは恐らく「同じ生を生きている」という感覚が共有されている単位だったのではないかと思う。
それではその同じ感覚はどこから生まれるのか。
「流域」という単位の提案
「同じ生を生きている」という共有感覚。
これは恐らく、同じ山や川で動物や魚や植物を獲ったり、同じ平地の田畑で農作物を育てたりしていたことから生まれた感覚だと考えられる。
言い換えると「同じ自然の恵み(災いも)を享受していること」。これが「同じ生を生きている」という共有感覚の元であり、これがコミュニティの始まりなのではないかと考えられるのだ。
つまりコミュニティの元となっていたのは、行政の管理ではなく「自然」だった。
しかし、現在のコミュニティではおよそ自然を元にした発想にはなっていないと思われる。
そこでコミュニタリアニズムをはじめ、今から福祉を地域コミュニティに基づいて考える際は、そのコミュニティを「自然」を単位に捉え直してはどうだろうか。
このさらに具体的にすると「流域」という概念を採用したらどうかという提案になる。
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この「流域」という考え方は進化生態学者の岸由二氏が提唱している考え方で、「その地形により降った雨が水系に集まる、大地の範囲・領域」のことである。岸氏は主に治水や災害対策や生態学・教育などの文脈で「流域」思考を提唱されているが、私はこの「流域」思考で福祉を捉え直したらどうかと提案する。それは現在、福祉を考える上で重要となっている「コミュニティ」の概念を問い直すという意味でもある。
自然に"接続”する。
福祉におけるコミュニティを「流域」単位で考えるのは、1つは「同じ生を生きている」という昔持っていたはずの共有感覚を再び取り戻すという意義がある。
同じ自然の恵みを享受し、あるいは同じ自然の脅威に影響のもとに生きている感覚は、取りも直さず、他のことに対しても共通の感覚を生みやすい。
ということは「善い」とするものに対しての共通理解も得やすいということであり、つまり「共通善」が生まれやすいということだ。
それが「公共」の感覚に育っていく。そこに福祉が生まれる。
もう1つ。
「流域」でコミュニティを考える意義は、「人間をもう一度自然に"接続”する」ということだと考える。
福祉問題を考えるとき、どうしたってその問題の中心は「人間」となる。それはそうだ。福祉とは人間の幸福についての学問であり営みであるからだ。
しかし人間は独りでは生きられない。
これは「人間は複数でないと生きられない」という意味ではない。
「人間は人間という種のみでは生きられない」という意味でもあるのだ。
私はよく「介護の問題は環境問題と同じレベルの社会問題だ」と言うことがある。
それは世間が環境問題に向けている関心と同じぐらいの関心を超少子高齢化社会が生み出している介護の問題にも向けてほしいという意味で述べているのだが、しかし逆も然りなのである。
環境問題も介護 ー つまり福祉の問題と同じ社会問題なのだ。
つまり、人類の福祉を考えるときには人類単独のことだけでなく、必然、自然環境のことを考えないと成り立たないのだ。
人類の幸福は地球の幸福なしには成り立たない。
福祉とは取りも直さず地球福祉のことに他ならない。
<参考文献>