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青いYAMAHAパッソル

かれこれ20年くらい前にYAMAHAのパッソルという昭和レトロな原付に乗っていた。


当時すでにレアなレトロ原付で、走っていると注目されることもしばしば。
「あ、パッソルだ!」と指をさされたこともあった。

この写真は鎌倉の七里ヶ浜辺りか。海がよく似合う。Tシャツ姿でパッソルに乗る私は夏の海辺の景色に溶け込んでいたはず。日焼け対策を欠かさない今思うと恐ろしいけれど、めちゃくちゃ日焼けもしていた。打ち上げ花火禁止の看板は今はもうないかもしれない。

レトロ感を強調したく使い捨てカメラで撮影。現像しないと仕上がりがわからなかったけど、良く撮れていると思う。

見た目が可愛いパッソルはスペックも可愛かった。。。速度は出ない。そのため原付の法定速度はほぼ守ることになる。よく意地悪な車にクラクション鳴らされたよな。

当時は街で他のパッソルを見かけることが時々あったけど、今はない。流石にもう現役の車体は希少か。

あの頃は玄関先に使い古したパッソルを停めている家がちらほらあった。私が所有していた青色の他に、赤や黄色、緑もあったように記憶している。

私のパッソルは何年か乗った後に動かなくなり、近所のバイク屋で古すぎて部品がなく修理できないと言われお別れした。調べれば修理できるお店はあったかもしれないけれど、そこまで労力とお金をかける余裕は当時の私にはなかった。

パッソルで一度、鎌倉の花火大会に行ったことがある。

北鎌倉から鎌倉市街に入る道は当然ながら渋滞。バイクは車の隙間を縫って行けるが、そんなふうに進んだバイクが道幅の狭い場所や踏切等で同じスペースにどんどん溜まっていき、だんだん集団化していった。

ごっついバイク。2人乗りのカップル。見知らぬバイクたちで構成された集団のなかを私もパッソルで走った。
「なんだこれ」
そう思いながら。

海と山に囲まれた鎌倉はその地形が天然の要塞として幕府を守ったが、それゆえに鎌倉に入る道は限られている。抜け道もほぼなくこのような現象が起きやすいのだろう。集団の一員としてバイクを走らせたのはあれが最初で最後である。

あの時は大変だったがパッソルとの貴重な思い出の一つ。エピソードは記憶として幾つか残っているが、目に見えるものはこの写真が一枚残るのみだ。

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