「ロスト・イン・トランスレーション」★4.0~局地的TOKYO2021映画祭の2日目
この微妙な後味は、この島国で公私の仕事に明け暮れて、立派に中年女性になってしまったからなんだと思います。あと、時代のほうが変わったっていうのもあるかも。
こんにちは、ユキッ先生です。
オリンピックの期間中、「東京を舞台にした映画を観て感想を綴る」シリーズの2日目です。本日も無事に開映できました。
本日私がいただいた映画は、こちら。
15年前にDVD買ったまま封開けた形跡なし(ごめんなさい)
記事を書くにあたって検索したら、Amazon様が教えてくれました。
「最後にこの商品を購入したのは2007/3/26です。」
インターネット、すぎょい👏👏👏!
買ったのを封も開けずに15年寝かしてたのかと。
15年前といえば、28歳。28歳ですよ!! 前の職場で思う存分ヨレヨレになっていた頃ですかね、知らんがな。でもこの15年の年月が、作品を鑑賞するにあたって致命的な影響を及ぼしたんじゃないかと、観終えたいまとなっては、思います。
ウィスキーみたいに、寝かせるほどに味わいが増すタイプであれば、むしろ良かったのだけど。
ちなみに念のため、私の趣味がどの方向を向いているかがよりわかるかもしれないので、このDVDが入っていたボックスの中身を写真で晒しておきます。音楽ソフトも入ってるな。
おわかりいただけただろうか? 借りパクしてしまっているのも入っている気がする。人生100年、今後いつか再会したら返そう。
あらすじと概要をコピペる
今回もコピペします(太字は筆者による強調)。
■Amazonレビュー
ソフィア・コッポラ監督が、自らの来日での経験を生かして書き上げた本作で、第76回アカデミー賞脚本賞を受賞。CMを撮るために来日したハリウッドのアクション・スターと、ミュージシャンの夫に同行するも、ホテルに取り残されたアメリカ人女性が、たがいの気持ちを理解し合う。ただそれだけの物語だが、東京のカルチャーが外国人旅行者の目線で鮮やかに映し出され、彼らの高揚感と孤独、とまどいを伝えていく。
タイトルにあるとおり通訳の不備で意志の疎通ができないもどかしさや、某ハリウッド女優をパロったキャラが笑いを誘いつつ、主人公ふたりの感情を台詞の「間(ま)」で表現するなど、アメリカ映画とは思えない曖昧さが本作の魅力。むしろ「間」の感覚を知る日本人の視点で観た方が、より主人公たちの切なさを感じられるかも。コミカルとシビアな表情をさり気なく使い分けるビル・マーレイと、控え目に孤独感を表現するスカーレット・ヨハンソンの演技には存分に共感。「はっぴいえんど」を始めサントラの選曲も含め、映画に描かれるあらゆる要素が、優しく繊細に登場人物の心を代弁する。(斉藤博昭)
監督 : ソフィア・コッポラ
時間 : 1 時間 42 分
発売日 : 2004/12/3
出演 : ビル・マーレイ, スカーレット・ヨハンソン, ジョバンニ・リビシー
東京は来訪者に「お祭り」を提供する「装置」
先に晒したDVDボックスの写真を見て、わかる人にはわかるかもしれないのですが、私はこれまで、物語というよりも映像重視でDVDを購入していました。学生時代はウォン・カーウァイ作品が好きで、岩井俊二監督作品なんかにも人並みにチェックしていた、当時としてはごく平均的な文化部系女子でございました。
映像表現とその評価、見どころについては、上記のAmazonレビューはじめ、わりと語り尽くされているのではないかと思います。私としてもまさにその通りと納得・同意しており、それ以上に発見はできなかったし、説明も困難なのでそちらにお任せするとして。
核心にあるのは、舞台が世界に数多ある他の大都市ではなく「なぜ東京か」ということで、私もそれについて、鑑賞しながらしばらく考えておりました。そしてひとつ見つけたのは、ボブとシャーロットの二人にとって東京が「お祭り」として機能していたという私なりの解釈です。
お祭り行きましたよね、特に小さい頃、思春期の頃。普段はできない夜更かしが許されたり、遊んだり買い食いをしたり、特別な高揚感があるイベントでした。日暮れ後、いつもなら寂しくなる見慣れた街に、人の熱気、商売人とお客さんのがやがやした声、屋台や提灯の明かりが、突如登場します。その日は多くの人がワクワクしたのではないでしょうか。
一方、お祭りというのは神様を”祀る”宗教儀式がルーツでもあって、特に、日本人にすら普段の生活の西洋化がすっかり浸透しきっている現代、民族性・土着性といった要素を再認識させる、ある種「異質な」体験ができる機会でもあるんですよね。
そう定義して思い返すと、「パリピと一緒にウェーイ」な一夜も、唐突な印象だったのがやや共感できるような気がしてきました。
私も、酒場で出会った誰だかよく知らん人と、夜通し飲んだり遊び倒したヨッピャライだった経験もあるので、都市が深夜に運んでくる「お祭り」感、わかります。
もし現代であれば、ラブストーリーである必然性はないんじゃないか
田舎の中高生は夏休み期間中、お祭りきっかけで彼氏彼女ができるパターンがクリスマスやバレンタイン同様に多い(私調べ)のですが、そういう強引な解釈で、二人の関係性がラブロマンスになってしまうこともその一環であるととらえました。
DVDを寝かせた15年のあいだにすっかり日本のドメスティック中年女性(しかもオカン)になってしまった私には「舞台が東京である必然については、独自の社会学・民俗学理論で理解した。だが、中年男性と若い女性が互いの孤独を補い合う結末がラブストーリーに着地することについては、いかんせん安易すぎる印象があり、承服しない」というスタンスです。
そら二十歳そこそこのスカヨハが、異国で満たされない有閑若妻やっとたら、誰も勝たれへんに決まっとるやろ。
(私はいったい何に対して怒っているのでしょうか。)
いや、シャーロットが「ニューヨーク生まれだけど結婚きっかけでロスに来たがどうもしっくり来ていない」ところとか、「哲学を専攻していたけど卒業以後仕事はしてない」という設定はわりとリアルに感じられて、そのあたりをもっと掘り下げてくれたら共感できたかもしれないけど、それ以上補足されないまま、ただただ孤独感を匂わせつつひたすらに美しすぎるスカヨハの罪がデカい。
で、二人の関係性の着地について終始モヤりつつ、「でも、チューはするなよ! チューはするなよ!!」とラストまで祈る気持ちで観ていたのですが…いや、いうまい。
もしこの作品の物語について、私と同じ感覚をモヤモヤしてしまった中年女性がいらっしゃったら、私も一時期ハマった台湾ドラマ「スターな彼」(2010)を観ていただけるとよろしいかと思います。「スター(キラキライケメン)と庶民(貧乏女子)との恋」という鉄板のストーリーで、かなり強引に分類すると、この作品とある種共通しているのですが、アタマからっぽにして楽しめます。心の奥底が渇望したみたいで、何故か思い出したんだよね。契約してないから観れないけど。
壮大な余談:生活拠点の移動と家族の孤独感について、補足しておく
前回もわりと暴走して同様のテキストを書きましたが、東京を舞台にした物語には、主要登場人物の「孤独感」と「退屈感」が丁寧に描かれる必要があるようです。
ボブとシャーロットの場合、「結局は夫婦仲の問題なのでは?」という雑な結論も胸に去来する瞬間が何度かありましたが、シャーロットがN.Y.からL.A.に移住したくだりにも関連がありそうでなさそうで、やっぱりありそうなポイントを最後に付記しておきます。
ニューノーマル云々が謳われる今後、おそらく「移住」とか「複数拠点生活」というのが、家族の選択肢に挙がることがあると思うのですが、夫側の仕事の都合で妻も移動させる場合、よほどの業種(例えば駐在員とか自衛隊員とか、現地での家族間コミュニティづくりについて、ある程度夫の職業リソースで支援される素地がある業種。あと夫婦同一職場とか)でない限りなかなか成功しません。
ですが、妻側の事情を優先して生活拠点を移動する場合は、比較的成功率が高いです。妻の実家近くに引っ越すとか、夫が妻の実家の農業継ぐとか(私調べ)。
しっかり夫婦で話し合ってから決めてください。
映画と関係ない話になったわ。
封を開けたときは、もしかしたら星5いっちゃう? 4.5くらいかも?
と期待をしていましたが、そこまでいかなかったのは、15年寝かした私の責任です。2007年に観てたら、シンプルに楽しめたような気がいたします。
開けずにいてごめんなさい。
というわけで、星4つ[★★★★☆]で。
写真 / 書く前に証拠写真撮りました
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