自己否定感の芽のありか

むすめが6月からはじめて保育園に通うようになった。生まれてはじめての社会。
そして私にとってもはじめての保育士の先生との関わり。

これは娘から聞いた話なので、細かい差異はあるかもしれないが…。先生に『フラフラマン』と呼ばれている子がいる。どうやら食事中に席を立ってしまうこどもを、『フラフラマン』とよんでいるそうなのだ。

私はこの話を聞いたとき、毛が逆立つほど怒った。

人を注意するやり方として、その行為を『いけないよ』と伝えるのではなく、その存在を(食事中の一時的であれ)みんなのまえで『悪いことをする存在だよ』と呼称して揶揄する行為だと思ったからだ。


『フラフラマン』と呼ばれた子はどんな気持ちでいるのだろう。

人を注意するとき、必ず気を付けなくてはならないことがある。相手がこどもだからといって、自分が他人にされていやなことはしない。相手の行為を注意することはあっても、存在を否定することはあってはいけない。

たとえば、だ。まだ人間関係も育っていないなか、男性上司(自分よりも強い人間)から、その日なにか失敗したことを全社員の前で『エクセルダメ人間』などと揶揄される。
わたしはその光景を考えるだけでぞっとしてしまう。
実際に自分も標的になったときは、(そのときは、ちからのある逆らえない上司に、1日『バカちゃん』と呼ばれた。)目が遠くなり、ここから消えたいと願った。
その自己否定感は10年たった今も消えていないのだ。

きっと保育士の先生は何気なく、ユーモラスにこどもに注意したのだろうと思う。
まさか前述のような経験はされたことも見たこともないのかもしれない。

それでも受け取ったこどものきもちが100%同じだとは、言えないだろう。
そしてそれを見て育った同じ教室の児童は、なにか人が失敗をしたときに、その存在を悪として呼称して、揶揄してもよいのだと学んで、再現していくのだと思うと、怖いことだと思ったのだ。

きっとこれからの保育園生活では、こんなささいな『あれ?』ということがどんどん起こりうる。

私はそれをどう受けとめていこう、とはじめての壁を目の前に考えている。
どう先生に伝えたら、わかってもらえるだろうか。
それとも伝えずに、我が子には自分の正しいと思うことを伝え、他人にそういうことをしないようにしていくのが、精一杯なんだろうか。


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