ドリカムとわたし
小学生のときに、ドリカムに出会った。新しいアルバムのCMで、水中を泳ぐ美和ちゃんの鮮やかな赤い衣装と、伸びる歌声。一度みたら、忘れられなくなった。
私は父親に頼んでレンタルショップで借りたそのアルバムを、テープに録音して、何度も何度も、繰り返し聞く。美和ちゃんの歌声と、キュートなルックス。
聞きすぎてテープが劣化しはじめるんじゃないかという頃、貯めたお年玉を全て使って全アルバムを買った。ライヴにも毎年行くようになり、ファンクラブにも入った。
小学生の私のすべてだったドリカム。夏休み、毎晩明け方まで、スケッチブックに美和ちゃんを描きまくっていた。はじめての恋よりも先に美和ちゃんという人物に夢中になった。この人をずっとみていたい、この人のことをもっと知りたい、と描いていた。私はそれよりまえから、デッサンを通じて相手を理解するコミュニケーションを好んでいた。描くことでぐっとデッサンのモチーフを理解していく作業が好きだった。その作業として幾枚も美和ちゃんのデッサンを仕上げていた。
そんなドリカム漬けの私に、ふと寂しくなるときが訪れる。自室で日曜日の夕方、CDコンポでファーストアルバムを聞いていたときだった。
私はドリカムのことをこんなに好きなのに
毎日毎日美和ちゃんのことを考えているのに
本棚ひとつぶんのアルバムと、ビデオ、週に一度のラジオ、年一回のライブでしか関わることができない。
美和ちゃんの愛読書を、全て読んだりしても、美和ちゃんが今何を考えているかは、一生わからない
それが、辛くなってきてしまって
好きすぎて
まわりで見かけるファンの方々はそんな思い詰めた様子のひとはいなく、もっとポジティブにドリカムの存在を人生に生かしていて、
私が度を越して好きになりすぎているんだと自覚した。
いつか私の人生がドリカムと交わるように頑張ろう。それが私の夢になった。
その時、私がもっている技術は、絵を描くことしかなかった。私はドリカムのコンサートのセットデザインが出来たらいいなと思い付く。
美術高校から大学に進み、セットデザイナーの勉強をし、卒業とともに大学時代からの先生に弟子入りをした。
すでに在学中から東京の小劇場でデザインをするようになっていた。授業を受けながらデザイン図面を仕上げ、授業後はセットを作成し、夜は稽古場へ行き、深夜に演出家と打ち合わせをして、帰宅しながら電車の中で図面をなおし、帰宅後も朝までデザイン作業をする。ツアーならば全国の劇場へ赴き下見と、舞台の仕込みもその合間に入る。その期間はとても充実していた。自分をフルに使えている感覚があった。海外へ舞台研修へ行くのもこつこつと将来への道を進んでいて楽しかった。17才のとき世田谷シアタートラムでセットデザインとしてデビューしたそのときから、毎日が楽しくて発見ばかりだった。でも、弟子生活が始まってすぐにリタイアしてしまう。
端的に言えばひどいパワハラにあった。布団から起き上がれなくなった。起き上がれなくても携帯に電話はかかってくる。深夜でも寝ているとなぜか責められた。男のひとの大きな声が怖くなった。眠って、閉じこもった。
そして、夢に破れて、時間ができたわたしは、ここ数年忙しくて行けていなかったドリカムのライヴに行く。
多くの人、人。きっとこのなかには夢を叶えられなかった人も沢山いる。それでも美和ちゃんは変わらず『夢よ、みんな、叶ってしまえ』と希望を与えてくれた。
私はそのなかで、寂しさと苦しさがいっぺんに押し寄せてしまった。美和ちゃんは、私が夢破れたことにも、
『いつかドリカムと人生が交差しますように』と、少女のときに、夢抱いたことにさえも気付いていない。し、これからもずっと気付くことはない。
美和ちゃんからもらったエールを人生のどこにぶつけていったらいいのか、わからなくなって、ドリカムを聴くことが出来なくなった。
それから私は結婚をし、出産をする。やっと自分の人生を進めていくことがおぼろげにできはじめたころ
ふと街中でドリカムの曲が聞こえてきた。それにあわせて体が動く自分がいた。
こどもの服を買うために入ったショッピングモールで新曲がかかっていた。雑踏に紛れたなか、はじめて聞くドリカムの曲。それにあわせて、お店の中で踊り出したくなるくらい心が跳ねていた。
今まできいた、どの新譜初オンエアの出会いよりも、プリミティブで幸せな体験だった。
そこからは偶然耳にして好きになった曲だけは配信で聴くスタンスで、ドリカムが聴けるようになった。(ここ10年で3曲程度)
7月発売の新曲『YES AND NO』も、この自粛生活で親しんだYouTubeでたまたま聴いた。歌詞が刺さって、何度も何度も再生させた。その刺さった言葉の理由を知りたい。吉田美和には時々、そういう魔法がある。
『なんで みんなこれ許せるの?』
私の刺さった詩はこの一編だった。これは私(のきもち)だ、と思わされた。正義感からじゃない、素直すぎる言葉。吉田美和の世界を見る視点は今も変わっていない、本当にまっすぐで素直だ。いいわけも、飾りもない。大抵のひとが、過剰な飾付けや、胡散臭い肩書きや、嘘を塗り固めたいいわけばかりを言っているのがこの世の中だと思っていた幼い私に、こんなに素直に世界を見ている人がいると教えてくれた。
そうだ、そうなんだ。
私はずっとこの素直な精神に憧れていただけだったんだ。その吉田美和のまっすぐな視点を知って、この世の中に、美しさや安心感を抱いた。
なんだ、すでに人生の大事なところで交わっていたんじゃないか。
私はドリカムのセットデザイナーにはなれなかった。けれど、ふたりの娘のお母さんになれた。そして最高なことに、まだドリカムは音楽を作ってくれていて、私は聴くことができる。grooveすることさえ、自由だ。
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