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Cift #3 ~企業人の僕が感じるCiftとか入居プロセスとか~

前回長々とCiftとは何ぞやということについて書いたが、今回はそんなCiftに対して僕がどう感じているのか、スタート地点(とは言えもう3か月経った…)の備忘録として記したいと思う。

■己が人生を手段と捉えられるか

まず当初感じていたことで言えば“説明する相手を選んでしまう”という感覚だ。『拡張家族?協同組合?なんか難しそうだね(というか宗教なのそれ?ヒソヒソ…)』といったリアクションを想像して恐れてしまう気持ち。なにせ究極的な目的は平和であり、己が人生をその実現のための手段として捉え行動するんだ!と掲げているのだ。そしてみんなそれに違和感なく本気で考えられる人たちなのだ。僕が持っている“一般的”な感覚に照らし合わせると、それは宗教と大差ない。そしてつい敬遠してしまう対象物なのだ。

ありがたくも大学まで通わせもらい、大きな挫折もなく企業に就職した僕。自力で生き抜く術も持たず、会社からの給料に依存し、敷かれたレールの上をひた走る一企業人である。そんな僕にとって人生は己のものであり、人との出会いや共創は自己成長や自己実現の機会であった。しかしほかのメンバーは自己実現のフェーズは卒業し、“社会実現”とでも言うべきものに目を向けている人ばかり。そこに大きなギャップ(さらに言えば劣等感)を感じたことはきちんと記録として残しておこうと思う。

■安心感を生む入居プロセス

そして直近で感じること、もう一つ。高尚なコンセプトで集ったメンバーだけど、意外と“コミュニティあるある”な壁にはぶつかるもんだな、という点。暮らしの中でのマイルールの違い、意思疎通の機会の持ち方、コミュニケーション量の濃淡などなど。ちまたのシェアハウス等でも発生しがちなことが、ここでも発生している気がする。
ただ違いがあるとすれば、それに対する受容と変容が圧倒的に早い。お互いの価値観が違うことに自覚的で、なおかつお互いに対する一定のリスペクトがあるからなのだろう。そうリスペクト。これが大きい。この源泉はCiftの入居プロセスにある。

Ciftは一般的なシェアハウスとは違い、メンバーとして入居に至るまでやや面倒なプロセスを経ている。まず言い出しっぺとでもいうべきコンセプターによる説明会?に参加する。クローズドなのでこの時点で一定のフィルターがかかる。そして説明会で聞いたCiftのコンセプトに共感した人だけがアプライシートを提出する。最後にコンセプターやすでに入居を決めたメンバーと、シートをもとに対話を行い、双方納得した場合のみ入居に至る。つまり価値観ありきなのだ。そのため契約する前に誰一人として部屋を内見していない。人によっては賃料すら見ていない。価値観に共鳴し、その活動をともに歩む家族として、この拠点を選んでいるのだ。そして約半年の歳月をかけて38人のメンバーが集ったのだ。

話が逸れた。言いたかったのはこの就活をも彷彿させる入居プロセスを経ている人たちだから、たとえ初対面であっても根底には“安心感”がある。だからこそお互いを知り合うコミュニティ初期であるこのフェーズにおいても、普通とは違うスピード感ですり合わせができるんだと思っている。

今回はここまで。

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