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都市と保存 ─都市雑感#6─

半年ほど前、タイトルにある「都市と保存」というテーマでポッドキャストで話す機会があり、そこで自分で考えていたことを言葉に出してみると、「これはもう少しまとめたり調べたり言語化するべきだな」と思ったことがあった。

リノベ、古民家といったものが一つの主要なジャンルとして地位を確立しつつある昨今、自分なりに思うこと、感じることをつらつらと書き連ねてみる。

■都城市民会館の解体

ポッドキャストの出演から半年経ったこのタイミングで書こうと思ったキッカケは、Twitterで見かけたこの議論だ。


都城市民会館は1966年に菊川清訓の設計により完成、メタボリズム建築の代表作の一つとされていた建築物である。繰り広げられている議論を乱暴に要約すると、こうだ。

-施設の老朽化のため行政が解体を決定
-市民会館の解体に反対する建築界隈の団体
-実は行政は解体を避けるため10年努力した
-反対者は解体が決まるまで何をしてきたか?

古き良き建物の価値を顧みず無慈悲に壊そうと行政と、それをがんばって守ろうとする市民(?)という美談らしきものに見えて、けれどもそんなシンプルな対立構造で片付けられる問題なのか?

ここで飛び交う様々な論点は、そんな疑問を浮かび上がらせているように感じる。


■保存・活用の成立要件

では世の中すべての建物が都城市民会館のような末路かと言うとそうではない。一方で歴史的な建造物が、その文化的価値の保護のためだけにいたずらに保存されている事例ばかりでもない。

歴史的価値を土台にしながらも、きちんと事業に供する形で活用されている建築物も数多いのだ。

その中でもとくに竹中工務店はそういった活用に積極的だと思っている。

有名どころで行くと横浜の赤レンガ倉庫や神戸の旧ジェームス邸をはじめとして、近年では「レガシー事業」と銘打って、旧山口萬吉邸(九段ハウス)や堀ビル(GOOD OFFICE新橋)といった物件を手掛けている。
※レガシー事業についてはコチラ→


では都城市民会館が解体となり、旧山口萬吉邸が活用されるのはなぜなのだろうか。多くの要因が考えられるが、その中でも今回は以下の3点に注目したい。

1.所有者の意思
2.改修に耐えうる事業性(立地・用途など)
3.活用できる人(事業者)の存在

1はそもそも出発点。
これが無いと保存も活用も何も始まらない。所有者が個人や事業者であれば、現金欲しさに解体して土地を売るかもしれないし、行政であれば住民の合意や議会プロセスなどもクリアしなければならない。

そのうえで2だ。
保存・活用のための改修は、下手すると新築よりカネがかかる。その資金を投下するに見合う事業性はあるのか。立地も大いに影響する。文化財の指定などが絡めば使い方にも制限がつくだろう。

最後に3だ。
文化財指定の絡みも含めて改修には新築とは違う技術・ノウハウが要求され、応えられる事業者は限られる。建造物が地方であれば、距離という意味でもさらに事業者は限られるだろう。

上で挙げた竹中工務店の事例が実現した理由は、物件所有者にその意思があり(1)、事業性(2)も事業者(3)も確保できる都内の優良立地だから──、そう説明できるかもしれない。

 ■場所は人と記憶の結節点

さてここで一度、冒頭で挙げたポッドキャスト出演の話に戻る。ここで話したうち、自分で強く心に留めた話が2つある。一つは「場所は人と記憶の結節点」であると話だ。

世の中では日々多くの建物や空間がその姿を消し、そしてそれぞれに消失を悲しむ人がいる。

ただ、その人たちのうち、建物や空間そのものに純然な価値を見出して悲しんだり声を上げるのは少数ではないかと考える。都城市民会館の例でいえば、建築関係団体は少数派だと。

むしろ多くの人は、場所そのものではなく、そこにおける自身の記憶に価値を感じているのではないか。建物・空間はその記憶の再生装置であり、すなわち「場の消失=記憶の消失」となりうる。だからみんな悲しむのではないか、と。

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その場を利用することは多くないが、どうか自分の記憶のままであってほしい──意地悪な言い方をすればこんなところだ。挙式した結婚式場が潰れるなどは分かりやすい例かも知れない。

ただこの話を裏返すと、こうも考えられないか。
「建物を残せればそれが最良だが、叶わないなら何か別の方法で記憶を留める」というアプローチだ。

たとえば東急東横線の旧渋谷駅が解体され建設された渋谷ストリームにはデッキの一部が当時の駅舎の特徴であったかまぼこ屋根をモチーフにしている。

これをどう評価するかは、評価者の‟記憶”次第ではあるが、保存という意味では一つのアイデアかも知れない。


■場のステークホルダーと事業リスク負担者のかい離


ポッドキャストの話で強く心に留めたもう一つは「場のステークホルダーと事業リスク負担者のかい離」だ。

たとえば都城市民会館の例でいけば、ステークホルダーは行政、利用者、運営受託者、そして少しレイヤーは変わるが建築関連団体といったあたりだろう。

一方で事業リスク負担者は行政のみとなる(※)。つまりステークホルダーが多様で多数いるのに対してリスク負担者は限られるという構造なのだ。

これは何も都城市民会館に限った話ではない。

昔ながらの喫茶店にしても、老舗の蕎麦屋にしても、昭和初期の名建築アパートにしても構造は同じだ。リスク負担者は限られる。

事業リスクが負いきれなくなっても、代わりに誰かが負う仕組みがあるワケではない。熱心な常連が通い続けるにしても限度がある。

だから何かしらの理由(経済的、人的理由など)でリスク負担者が負いきれなくなると、ステークホルダーからどんなに惜しまれようと場をたたむのだ。

中には常連客が店を継いだり、閉店する店舗のレシピが継承されたりという例はあるが、それでも「ステークホルダーに対して事業リスク負担者が限られる」という構造自体は変わらない。

※正確には税金であり、利用者以外も含めた市民であるが、あくまでステークホルダーに対して事業リスク負担者が限られる旨の例として


■クラウドファンディング

しかし近年はステークホルダーと事業リスク負担者をより一致させうるサービスが普及してきた。そう、クラウドファンディングだ。これは、建物に思い入れのあるステークホルダーがともに事業リスクを負担していくための仕組みになりうる

建物などの不動産においてもクラウドファンディングは活用されており、かつ、その性質に応じて専門的なサービスも増えている。あえて分類すると、以下3つぐらいに大別できそうだ。

①通常型
②小口投資型
③応援出資型

①通常型
我々がよく目にするクラウドファンディングサービス上で行われるものはほぼコレ。開業支援やそれこそ古民家維持活用のための修繕など、特定の目的に向けて資金を募る形だ。支援者から見ると、一定の返礼メニューはあるものの利益目的と言うより応援という意味合いが強い。

②小口投資型
特定の物件への出資を小口化して募るパターン。REITと現物不動産投資の中間と言ったところだ。「不動産投資型クラウドファンディング」と呼ばれるものの多くはこれで、既存のマンションや店舗、ホテル等が主流。応援というより金融商品としての色合いが強く、利回りが評価軸の世界だ。

代表例→cozuchicrealRimple

③応援出資型
②と同じく投資形態ではあるものの、利回りだけがすべてではなく「応援としての出資」を押し出すサービスだ。ある物件での事業立ち上げ時の初期投資を対象に、ファンド化して小口で出資を募る案件が多い。出資のため①とも違って、支援して返礼メニューを受け取って終了、という一回性よりももっと継続していく関係になる。つまりその事業の伴走者ともなるわけだ。

①〜③をまとめるとこんなところ。

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さて「ステークホルダーと事業リスク負担者のかい離」という課題意識に立ち返ると、①は手軽に事業リスクを分担する機会にはなるだろう。ただ一回性で持続的な形ではない。②は事業リスク負担者にはなっても、志を共にするステークホルダーとはなりづらいだろう。利回りが評価軸なので、解体・売却で利益が出るなら止められない。

そうなると③が一番理想的なのかもしれないが、ここにもまだ課題はある。基本は事業への投資という形が多いため、活用シーンが限定的なのだ。「古民家を守るため、活用してホテル始めます!」は出来るが、「まちのシンボルとして保存します!」はハマらない。また‟事業期間”を設定される事が通常で、その間で投資回収しきる事業は稀だ。すると事業期間終了のタイミングでいわゆるリファイナンスが必要になることが多いはずだ。

■E2Cという考え方


都市と保存というテーマでグルグルと考えてきたが、最後にE2Cという考え方を紹介したい。

E2CとはExit to Communityの意で、IPO(上場)、M&A(別企業による買収)に続くスタートアップ企業の第3の選択肢として近年取り上げられている手法だ。

「Exit to community」(以下E2C)では、会社は投資家が所有するものから、会社を最も信頼している人々に所有されるものへと移行します。ここでいう会社を最も信用している人々とは、ユーザー、労働者、顧客、参加組織、またはそのようなステークホルダーグループの組み合わせかもしれません。(下記記事本文より引用)


ベンチャーキャピタルがスタートアップに投資する際、通常はファンドの償還期間(5~7年ほどが多い)の間にIPOやM&Aによるキャピタルゲインを期待して投資する。しかし近年、社会的意義に重きを置き、短期間での利益拡大は志向しない企業も増えている。そこでこういった考え方が生まれている。

そしてこのE2Cの考え方を、先ほどの不動産クラウドファンディングの領域にも持ち込めないだろうか?たとえば③を事業投資から変形させ、建物の事業性の有無にかかわらず想いのある人たちで共同所有し、負担し続けるといった仕組みといったところだ。

持続可能性という意味では可能な限り事業という形を取るべきだが、幅を持たせるためにも事業への出資ではなく、共同所有というアイデアにしてみたが、これが適切かは分からない。

さらに、その共同所有の方法や実際の運営者の立て方、意思決定スキームや所有者の流動性の確保など、検討しなければならないことは山ほどある。見方によっては往年のナショナルトラスト運動に近い話かもしれない。

しかし現状の仕組みに任せ、失われることを嘆き、仮想敵を立ててただ批判するくらいであれば、なにかしらリスクを引き取って首を突っ込む方が建設的なのではないだろうか。

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最後に。
このリスクを引き取るという意味で最も手軽な行動は、そこに通うことだと思う。そしてカネを落とすのだ。

冒頭の都城市民会館の議論では、反対した建築団体の代表は「都城市は遠いからそんなに来れるわけないですよ」と半笑いしたそうだ。(真偽は定かではないが)

「購買とは投票である」とは言い得て妙である。守りたい建物や店があるのであれば足しげく通うこと。シンプルだけど着実な行動だ。

そんなことを考えながら私は今夜もとりかつチキンで3品定食をいただいた。


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