都市雑感 #2 雑居ビルのある街並みを守りたい
突然ですが僕は、デベロッパーに身を置きながら、雑居ビルを次々壊して再開発する東京の現状に納得がいっていません。
地震大国である日本はどうしても建物の寿命は限られている。寿命を迎えたビルを所有するオーナーは、経済合理性を考えると単独の建替えではなく、周辺のビルとともに再開発を志向するのは必然かも知れない。
また、デベロッパーは〔土地仕入→企画→建設→運用→売買〕と言うサイクル繰り返すことが事業収益の屋台骨なのだ(運用し続けることも多いけど、事業収支指標は売却前提)。なので開発ありきのビジネスモデル思考。そして開発はとても時間のかかるので、『今後はもうこんなにビルなんて要らない』と分かっていながら、でも他の選択肢が少ないので止められない。
そんないびつな経済合理性を突き詰めた結果、ヒューマンスケールから逸脱した大規模区画&画一的な街に収斂していく。それは何か違うんじゃないかという思いがここ最近ずっと悶々としていました。
僕は雑然さや猥雑さ、そしてそこに生まれる“余白”こそが、経済合理性には沿わないものの、街の文化を醸成させる一要素としては大切だと考えているんです。
ルールはちょっと守れていないけど、チャレンジの余白があって、工夫する余白があって、面白い人が集い、その集合体が“発酵”して、街の文化となっていく。そう信じているんです。
でも仮にビルはそのままにして、例えば設備更新と耐震補強と、そして中に入るコンテンツ(テナント等)をまとめてパッケージにしてプロデュースするようなサービスが安価に提供できれば、建物更新を迎えたビルオーナーさんの選択肢の一つに入るのではないか。
そして日本の文化として、経済合理性だけでなく、そういった既存を残しながら更新していくことを美徳感じる風潮を醸成できないか。そんなのが最近の興味関心です。
インフラ整備も含めた再開発も大切。でも、それ以外の“都市の更新方法”が選択肢としてある世の中にしていけたらなー、と。