PROTO #022 【サラリーマンが会社の看板外して活動的な個人に囲まれるとどうなるかの実証実験】
最近のPROTO
まず14日は定例。定例と言いつつ、ほぼ3/28クロージングイベント用の週次ミーティングと化している。
内容の詳細はアレとして、一つ気づきがあった。それは違和感をちゃんと違和感だと伝えること。これまでの流れとか、場の空気とか、そういうのは差っ引いてその物事に対してキチンと反応すること。上辺の馴れ合いよりこれが本当の意味での誠意。伝え方とかは別の問題かもしれないけど。ちなみにその誠意を引き出したのは、より企画が具体になってきたからこそとも思う。
あーこれ、前も似たようなことを書いたかもしれない。
GASHA展
そして15日はGASHA展。これがすごかった。
これらは割り箸みたいなサイズの木材をニッパで切ってボンドでつけて、をひたすら繰り返してできた造形物。考案者(PROTO言い出しっぺの実父)が休日の趣味として始めたものが3年経ってここまで来たとのこと。
そして自分たちでも実際につくるワークショップに参加。
こいつらが材料で(あるいは自分で切り出して)、
こうやってくっつけていって、
ここら辺までで2時間ほど。
最終的に4時間ほどやってこんな感じ。
ちなみにこのGASHAの一番大切なことは、成果物そのものではなく、これをつくるプロセスでありその時間とのこと。こういうのを作りたい!というこだわりも捨てて、ただひたすら無心(=我を捨てる=我捨)になること。うーん、奥が深い。
これに参加して自分が何より感じたのは、こんな自分でもモノづくり出来るんだ!ってこと。もともとこういう何かをつくる、ということは苦手だと思い込んでいたけど、やってみると意外と楽しいし、自分がつくったものじゃないと思えるような素敵な造形物が出来て、素直にうれしかった。3Dプリンタの普及とかで「誰でもモノづくりができる時代!」とか理解はしていたけど、こうやって腹に落ちたのは初めての経験でした。
どんなスゴイ人も家族の一員
このGASHA展を通して一番感じたこと。PROTOの言い出しっぺもこのGASHAの考案者も、なかなか小難しいこと考え、それを具体のアクションに落とし込んでいて、本当にすごい人だと思う。だけどそんな人たちに対して変に畏敬の念など抱かず、フラットに対峙している家族がいる。そのスタンスが新鮮だった。(3年間もこんなすごい作品を作り続けていているのに、奥さんは一度も興味を持ったことがないらしい!)
変な言い方かもしれないけど、「あー、みんな人間なんだよな」って感じでした。
※※※※この連載について※※※※
解体前のビルを拠点に半年間限定で活動するプロジェクト「PROTO」に、THE★典型企業のサラリーマンであるYosukeが会社の看板を外し一個人として臨んだら、いったい何が起こるんだろう。そんなことを記していく連載です。(これまでのエントリーはこちら)
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