Cift ~Ciftとは何か全力で説明してみた~
今回は「結局Ciftって何なのさ?」ということを全力で書いてみようと思う。長い。
■Ciftとは
Ciftはクリエイターたちによるコミュニティでありプロジェクトであり社会実験である。そしてここで言うクリエイターとは「21世紀型のライフスタイルを開拓する人」を指す。だからメンバーは世間が一般的に“クリエイター”と聞いて想起するデザイナーやアーティストに留まらず、弁護士や会社員、はたまたヒッピーまでいる。
それでは「21世紀型のライフスタイル」とはなにか。これを端的に説明することはできないが、いくつかのキーワードを挙げてみる。
ともに暮らし、ともに働く
拡張家族であり協同組合
多拠点生活のハブ
そこで、このキーワードを紐解きながら、その「21世紀型のライフスタイル」とやらに迫っていき、Ciftについて解像度を上げてみようと思う。ともかくCiftはこのライフスタイルを渋谷という都心のど真ん中で追求する社会実験なのだ。
■Ciftの時代観
キーワードを紐解く前に、Ciftの思想の前提となる時代観を示したい。それは資本主義に代表される、“今までを支えてきたルール・枠組み”のなかで追及することが限界を迎え、窮屈になってきた、そんな危機感なんだと思う。
例えば家族。
(日本の文脈ではあるけど、)高度経済成長期を経て核家族が社会の基本単位として多くの制度設計がなされてきた。しかし自由恋愛など社会規範の変化に伴い、単身や片親世帯、事実婚など既存の制度では対応できない世帯も増えた。また血縁とは言え究極的には他人である家族との関係に悩んでも、逃げ場のない核家族という最小単位の在り方ゆえに、綻びも見えてきた。(親族間の殺人率の増加等)
例えば企業と従業員。
(これも日本の文脈ではあるけど、)これまでは一つの企業に勤めあげることが一般的とされていた。そして雇う=雇われるという支配=依存の関係を維持させた終身雇用・年功序列賃金は崩れつつある。雇用の流動化が進まない一方で加速する経済変化に追いつくため、調整弁として派遣制度やオフショアといった仕組みが企業の論理で作られてきた。従業員側は一方的に選択権を狭められ、ますます企業側への依存を高めてしまっている。
こんな既存の仕組みの破たんを乗り越えるような関係性の構築、ひいては生き方を示そうとしているのがCiftなんだと思う。
前置きが長くなったけど、ここからCiftを捉えるキーワードを紐解いていく。
■拡張家族
上記で示したような家族の在り方に軋みが生まれていく中で、一つの萌芽として捉えられるのがシェアハウスだ。物理的なシェアによる便益の享受もあるが、震災以降顕著となった繋がりへの希求を満たす場となっている。言うなれば“友だち以上家族未満”。近年では英語・食・シングルマザーといったテーマを持った(=価値観でつながる)シェアハウスも増えてきた。
Ciftが掲げる拡張家族はシェアハウスのその次と言うとイメージが付きやすいかもしれない。血縁を、“友だち以上家族未満”を、超えるのだ。困っていたら助ける。何かもらえたら共有する。メンバーの子どもを自分の子どもとして育てる。そんな無償の愛を提供しあえる関係。なぜなら家族だから。ただしその絆を結ぶのは血ではなく、価値観である。社会規範で定められた家族に留まらない、自分たちの価値観で築き上げる家族。
■協同組合
上記で示したような企業と従業員の支配=依存関係の不健全化が進む一方で、自身のスキルを武器に、[プロジェクトごとにチームを組成してはミッションを完遂し解散]を繰り返し、企業と対等に渡り歩くような働き方も増えてきている。しかも彼らは報酬ではなく価値観で動く。Ciftメンバーの多くはそんな自立したプロフェッショナルであり、彼らを集団として仕組化するうえで用いようとしているのが協同組合だ。
厳密には企業協同組合。法人でも個人でも組合員となれる法人格だ。これがCiftとして“ともに働く組織”のひとつの在り方であり、拡張家族を支えるシステムにもなり得ると考えている。案件ごとに、様々な顔を持つメンバーが組み合わさり法人格Ciftとして仕事を受け、外貨を稼ぎ、その一部を拡張家族の備えとして還元するのだ。アメーバ状のプロフェッショナル集団であり、一つの法人格であり、セーフティーネットである、それが協同組合。
■多拠点生活のハブ
Ciftメンバーの大半は多拠点生活を送っている。新潟、京都、熊本、山形、長野、鹿児島、静岡など数えだすとキリがない。その生活の東京拠点としてCiftはある(なのでいくつかの部屋ではルームシェアとして複数名で契約している)。
それぞれがホームであり、それぞれにコミュニティがあり、仕事がある。それはある意味で依存先を分散させているとも言える。さらに東京とそれ以外では流れる時間が明らかに違う。つまり彼らは場所を変えることで生き方のモードを切り替えるのだ。
そうやって意識的に環境を選択している人たちが行き交うCiftはまさにハブ。日々各地からの来訪者があり、概念が持ち込まれ、そしてまたここから発信されていく。日本各地で孤軍奮闘していた各地域がCiftを介してつながり、広がっていくかもしれない。
■21世紀型のライフスタイルとは
つらつらと書き綴ってきたが、一つひとつを見ると決して目新しいものではない。ポイントはこれらを同時に(動的平衡で)成り立たせていることだと思う。外から大きな仕事を取ってくるのも、家でみんなのご飯をつくって子どもの面倒を見るのも等価値になり得るということだ。
もう一つのポイントは能動的に選択しているということ。家族も、働き方も、住む場所も、所与のものではなく自分で選んでいく。そして選択の基準は価値観なのだ。(一切触れられなかったが、ここで言う価値観とは究極的には世界平和、個のためではなく全体のためにという精神である)
だいぶ長くなってしまったのでCiftについての説明はいったんここで終える。肝心の、「このCiftに対して僕はどう感じているか」についてはまた次回。
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