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クリープハイプが照らしてくれる光
2024年11月16日。
クリープハイプ現体制15周年記念ワンマンライブの会場に自分は居た。
約2万人ものオーディエンスとともに、皆でその記念日を祝い尽くすような、歴史も感じられるセットリストで展開されたライブ本編。
でも2万人もいるからこそ、MCでも尾崎さんが言ってくれていたように、
「お前に歌ってんのにな」
というのがめちゃめちゃ際立って伝わってくる気がして、何度もグッときた。
時にあまりにもまっすぐに、時にねじまがったような形でいろんな感情を歌にしてくれるクリープハイプだから、それぞれ届き方は違うだろうけど、きっと2万通りのそうした感動があって、それらが集まって作られたアンコールでの長い拍手は、それはそれは大きなものだった。
「アンコールはどうする?」と始まった『おやすみ泣き声、さよなら歌姫』も物凄い歓声と手拍子の中曲が進んでいき、最後の4小節、客電が点いた瞬間のあの満員の景色は一生忘れないと思う。
観客がほぼ居ない中演奏していたMVとは対照的な、あの景色。
あのときのKアリーナの客電は、自分たち観客一人ひとりに向けられたスポットライトのようだった。
"こんなところに居たのかやっと見つけたよ"
と、自分たちを照らし出してくれるように。
そしてライブが終わり、会場を出た2万人一人ひとりの日常がそこからまた始まっていく…。
そこから約1ヶ月後にリリースされたアルバムがまさに「こんなところに居たのかやっと見つけたよ」だ。
これはそのKアリーナのワンマンでもいち早く披露された『天の声』の一節から取られたタイトルであり、きっとこのアルバムを象徴するキーワードなのかもしれない。
そこにはどんなメッセージが込められているのだろうか。
15周年にちなんでアルバムに収録された全15曲を1曲ずつ紐解きながら、自分なりに考えてみる。
1.ままごと
「ままごと」とは、大人にならないとできないようなことを子供が真似る、言わばごっこ遊びのようなものである。
"楽しいままごと子供の仕事"というのは裏を返せば、大人になればこそ、好きな人と好きなことをしたり好きなものを食べたり、ありのまま、思うがままにやりたいことができるということかもしれない。
それを突き抜けるような疾走感で教えてくれるような曲。
2.人と人と人と人
大阪のラジオ局FM802の企画で作られたということもあり、大阪駅を舞台としたMVが印象的な曲。
ともすると歌詞に出てくる"桜の橋"というのは、大阪駅の桜橋口のこと?と思ったり。
桜橋口は高速バスの発着地になることもよくあり、"朝を連れて走り出した5時"とか、"夜と帰る22時"という、やけに朝早かったり夜遅かったりする時刻に自分はその発着時間を重ねた。
別に誰かと一緒に乗るわけでもなく、だからと言って行った先々で全く出会いが無いわけでもない、そんな人と人と人と人が行き交う高速バスの旅が好きだったりする。
3.青梅
マッチングアプリのCMソングになっているので、"青い梅干し"から"赤い梅干し"、"ひとりで酸っぱい顔してた"から"ふたりで酸っぱい顔してる"という歌詞の変遷に、恋が実って熟していく変化が感じられて微笑ましくなる。
過去形から現在形になってるのも素敵。
マッチングアプリというツールもそうだし、恋愛の形も多様化している今、MVに出てくる2人の女性も現在進行形でずっと幸せだといいな。
4.生レバ
食品衛生法で牛の生レバーが禁止されてから久しいけれど、どうしても食べたくなってしまったり、ライブのチケットを転売する、いわゆる"ダフ屋"行為に手を染めようとしたり。
人は誰しもタブーを犯してしまいたくなるような欲求を孕んでるもので、実際にそういう行為をしなかったとしても、「食べたら、転売すれば、どうなるかな?」と想像くらいはしてしまうものである。
そんなタラレバを言っても仕方ないのに…。
その愚かさを曲の禍々しさが物語っている。
5.I
"どうせ、愛だ"と歌っているこの曲。
でもタイトルを敢えて『I』にしているところが気になるが、かつては「吹き零れる程のI、哀、愛」というアルバムを出していることもあるし、単純な愛の歌ではなさそうだ。
どこか悲哀に満ちた雰囲気も感じられる。
だがこの曲の元ネタになっている空音とのコラボ曲『どうせ、愛だ』のMVも観てみると、『I』というタイトルにも合点がいく。
"何から何まで違うのに こんなところだけは同じだ"
そうだとしても、愛は愛だ。
6.インタビュー
自分の感情を言語化するのは凄く難しい。
現に今もこうして、アルバムの感動を1曲1曲言葉にして紡いでいるが、この6曲目に来るまででもかなり時間を要している。
「どう感じた?」「どこにグッときた?」と、まさに自分で自分にインタビューをしている感覚。
でも難しいからこそ「この感動は何なのか?」が知りたいし、それを誰かに伝えられたときの喜びはきっと大きい。
7.べつに有名人でもないのに
SNSでバズったりするとものすごい数の注目を浴びて、時に炎上すると何を言っても叩かれてしまうので、アカウントに鍵をかけたり削除したりと、有名人でもないのに活動自粛を余儀なくされてしまう。
同じ趣味を通じて繋がった当初はリプライやDMで頻繁にやり取りしていても、やがて疎遠になり、有名人でもないのに時々「今どうしてるかな? またいつか会えるかな?」とその人の活動をこっそり追ったりする。
その不思議さにハッとさせられる曲。
8.星にでも願ってろ
ショートアニメ「ぽちゃーズ」のテーマソング。
動物をモチーフにしたかわいらしい見た目のキャラクターたちが毒を吐き合うという内容に、"星にでも願ってろ"、"星も困るだろうけど"というカオナシさんの詞や歌唱のシュールさがめちゃめちゃマッチしている。
"あの娘"というのがSNSでフォローしている相手だとしたら、前曲『べつに有名人でもないのに』ともリンクしているようにも思える。
9.dmrks
こちらもSNSをテーマにしているであろう曲。
ここで歌っている"窓"というのはスマホの画面のことだろう。
人と楽しさや喜びを共有できることもあれば逆もしかりで、自分や自分の好きなものに対して向けられたヘイトがつい目についてしまうこともある。
そんなものは無いはず…と願いながらも、ダラダラ検索してしまう。
もしそうした許しがたい投稿を見つけてしまい、それに対して怒りの一言を打ち込むときは、まるで怨念を込めて刺すような勢いで画面を強くタップするのだろう…。
そんなことなら見なきゃいいのに、と本当に思う。
10.喉仏
手や表情の分かりやすい動きだけではなくて、喉仏の動きだけで何かをグッと飲み込んだことが分かってしまうからこそ、その何かとは何か?という、真意を探りたくなる。
そう、人はどうしたって気付いてしまうものなのだ。
MVのように、盛り上がっている観客の中で唯一人棒立ちの人が居たりすると分かってしまうように。
そういった人の表には見えない心情にこそ目を向けたいという願いが込められているような曲。
11.本屋の
昔から変わらない、クリープハイプのこの疾走感と切れ味鋭いロックサウンドがたまらなく好きだ。
今や、電子で本が読める時代。
実際、町の本屋もどんどん閉店していってしまい、数が少なくなってしまった。
それでも、ワクワクしながらめくったページの感触は残ってるし、自分も未だに紙媒体の本を本屋で買うことが多い。
愛おしくて捨てられない昔ながらの手触りがサウンドからも伝わってくるような曲。
12.センチメンタルママ
本当に不思議なもので、高熱で身体のあちこちに痛みや不調を来して苦しいときほど、生きていることを実感するし、平熱だったときが恋しくなる。
"電話してくれるママもいない"と言いながら、"ねぇいいからしばらくほっといて"という相反する感情が同居するグチャグチャ感もリアルで、平熱のときに聴くとそのときの気持ちを思い出すから、結果、今のこの健康な時間が尊いなと感じさせてくれる曲。
13.もうおしまいだよさようなら
恋人どうしであったり、大切な人どうしの帰り際の別れの場面を歌っているように取れるし、クリープハイプが歌うとライブの終わりの場面が思い浮かぶ。
イントロで鳴っているフィードバックのような音は、最後の一音を鳴らし終えたバンドの音だろうか。
ライブは終わってしまうけれど、"泣かないで笑ってくれ 会いたくなったらまたおいで"。
そう思ってくれているのだとしたら泣けるし、次のツアーでライブ終盤にこの曲が歌われたりしたら、やっぱり泣いてしまう。
14.あと5秒
動画サイトでお目当ての動画を見つけて再生しようとすると、商品やサービスのプロモーション動画=CMが流れたりして、特に興味が無かったとしても数秒間は観なくてはならない。
そして一定のタイミングでその動画をスキップし、観たい動画本編を観られるようになる。
この動画本編を好きな人の本命の相手に、CM動画の方を自分に例えた曲。
そのスキップされてしまうCMの方にフォーカスを当てるという、そっちかよ!という発想と、「あと5秒でこのCMをスキップできます」の"あと5秒"をタイトルにしてしまうセンスが本当にクリープハイプらしい。
15.天の声
自分がクリープハイプを知ったのは『憂、燦々』という曲からだった。
切なげなサビの"連れて行ってあげる"が印象的で心掴まれ、そこから本当に彼らの曲の世界に連れて行ってもらえたような出会い。
桜が綺麗に咲き誇ったり舞っている描写ではなく、"桜散る"(『栞』)と地面に花びらが落ちている様子を歌う彼らが何だか自分には合っていて、安心できた。
特に目立った出来事もなく、時々何のために生きているのかもわからなくなったりする中で、スマホという"窓"の中のSNSで存在証明をするような毎日。
そんな日々に光を射してくれるのが自分にとっては音楽で、気付いたらクリープハイプもそうなっていた。
そんな彼らがこの『天の声』で歌ってくれる、
"大丈夫それなら曲の中でぶっ殺すから"。
暴力的な表現なのにめちゃめちゃ優しさに溢れていて、何度聴いてもグッときてしまう。
きっと見てくれているんだなぁと。
いや、実際には見えなくても、スマホという窓の中のSNSの向こう側にいる自分たちに想いを馳せて、歌ってくれていたんだなぁと。
今のクリープハイプになって15年、アルバム最後の曲は紛れもなく、クリープハイプから自分たちリスナーに向けたラブソングだった。
「こんなところに居たのかやっと見つけたよ」。
いざアルバムを通して聴いてみると、やっぱりこの現代に生きる自分たち、個人個人にスポットが当たっているなぁと感じて、そのどんな生き方も包み込んで見守ってくれているような優しさを感じた。
恋してる人、欲望のまま生きる人、夢を追って旅してる人、昔を懐かしむ人。
現実世界にもSNSの中にも、いろんな人と人と人と人がいて、みんな生きている。
そんな一人ひとりを、あのときのKアリーナの客電のように照らしてくれるのがこのアルバムであり、クリープハイプの音楽。
そんなクリープハイプが照らしてくれる光があるから、この先どんなに見通しが悪かったとしても、何とか生きていけるような気がしてる。
見つけてくれてありがとう。