【ショートショート】ある夢の話
ある夢の話
ある日、ちょっと不思議な夢を見た。
それは台所の流しの情景で、私の視線は何かを探すように流しの縁をキョロキョロとしていた。
(いったい何を探しているんだろう?)
指輪やピアスを探すように低い視線で探している。だが私は流し台に立つときはアクセサリを外すようにしている。
夢の中の自分の意図が読めない。
そのうちあきらめたのか、夢の中の私は流し台に背を向けた。すると、とたんに視線は床に近くなった。前のめりに倒れたのだろうか? そんな速度で一気に床が近づく。しかし私はこの視線の高さに思い当たる物があった。
(これは猫の視線の高さだ!)
そう気づいたとき、私は夢から覚めた。
布団の中で目覚めた私。愛猫の黒猫ムサシが枕を一緒にして、その頭が私のおでこにくっついていた。私が目覚めてもムサシは目覚めず、まだ夢の中だ。
「まさか、今のはムサシの見ていた夢なのだろうか?」
そう思ったらもう一度ムサシが見ている夢を見てみたくなった。
あの日から何度かムサシが見ている出あろう視線の映像が夢の中に出てきた。
ある時はこたつの中のオレンジの光に照らされた世界だった。
毛繕いをする夢を見たこともある。人間では無理な角度に首を回し、背中の毛まで舐める。不思議な体験だ。
またある時は餌の器の中のウェットフードの夢だった。私は普段はドライフード、いわゆる「カリカリ」と呼ばれる物をあげていて、たまにウェットフードを振る舞う。きっとムサシはたまに食べられるウェットフードがおいしくて、それを夢に見ていたのだろう。
何度か体験しているうちにその条件がわかてきた。それは猫の頭と私の頭がくっついて寝ていたときに猫の夢が伝わってきていたのだ。
猫と一緒に寝るとき、その距離や位置が飼い主と猫との信頼度を現すのはよく言われることだ。信頼関係にあるときほど、猫は飼い主の顔に近くなる。同じ枕で寝られるなら、それはかなり信頼してくれているということだ。つまり頭がくっついているということは最上級の信頼を意味するだろう。私はうれしくなり、いっそうムサシが愛しくなった。
こうして猫の夢を見れるようになったが、寝ている間に頭がくっついているというのは思ったより難しく、毎回そうなるというのは無理だった。猫は基本的に眠りが浅い。何か物音がすればすぐに目を覚まし、パトロールに出掛けるのだから。だから夢に見られたときは、その幸運を感謝することにした。
ある日、また流し台の夢を見た。だがかなり視線が低い。ステンレスすれすれに視線が近づいている。
匂いでも嗅いでいるのだろうか? すると、視線の先に黒い影が現れた。
(あれ? この影……ムサシ?)
影は明らかに黒猫だった。こっちを凝視している。あっちがムサシだとすると、私の見ている夢の主は誰だ?
ムサシがさっと手を動かし、夢の主を捕まえようとした。だが夢の主はその攻撃をかわして逃れる。そしてそのまま、食器棚の裏の暗闇に飛び込んだ。
(これって、まさか……あの、ゴ…?)
私は驚いて目を覚ました。
私が目覚めるとその勢いでつられたのか、ムサシも目覚めたようだ。だがこのときのムサシは私の布団にはいなくて、部屋の扉のそばにいた。水でも飲んできたのだろうか? それにしても、変な夢をみた。まさか、ゴ…の視線になった夢なんて。
「という体験をしたんだよ、もう最悪」
私は会社の同僚にこの体験を話した。
「ゴキブリの見ていた夢をねぇ……」
同僚は私の話を聞いてコーヒーを一口飲んだ。私が言葉を濁したのに、躊躇せず「ゴ」から始まる4文字を言い切ってみせた。そしてカップを降ろすとこう言ったのだ。
「ねぇ、飼い猫の見ていた夢をあなたが見たときの条件、もう一度言ってくれる?」
「それは……頭をくっつけて寝ていた時……だけど」
「それじゃ、ゴキブリの夢をあなたが見ていたってことは、あなたが寝ている間、ゴキブリはどこにいたんだろうね?」
その日、私は家に帰ると、ゴミ袋の中に枕をぶち込んだ。
《終》