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処理水海洋放出問題で思ったこと

twitterでこんな記事を見かけました。

まぁ、記事の基本は武田さんと足立さんの言い争いなんですが。

それはともかく、原発の汚染水を処理したものを希釈して、基準以下に下げた上で海洋放出することが決まりました。

私としてはIAEAがそのように指導しているなら、それに従うべきなのが現実的な対処方法だと思います。

しかし武田氏は先の文の中で

1980年から1990年に確立している、薄めて出すの駄目だという原則くらいは、守ったほうがいいんじゃないか

と書かれています。およそ工学者らしさ、科学的な見地が感じられない発言です。

しかも、それは彼の見てきた範囲だけの話ではないでしょうか?

私は2000年代に知り合った製薬会社のMR(メディカル・リプレゼンタティブ=医薬情報担当者)と話したときに「新薬開発で出た失敗作や毒性があったものをどう処理するのか?」という話題になったことがあり、その中で返された答えは「無限希釈って言葉があってね、どんな毒でもある程度の濃度がなければ害にならない物質なんだ。だから処理して、成分として成り立たないほど希釈して、放出するんだよ」というものでした。

確かに同じ場所に捨て続ければ、いずれはそこで濃縮されるでしょうが、絶対に濃縮されない「大気放出」や「海洋放出」は生体に影響を与えないわけです。つまり先の武田氏の言っていた日本企業が行ってきたこととは「科学的に何も問題がないのだが、消費者への心理的アピールとして『我社では海を汚すようなことはいたしません』と言っていただけ」でしかないのです。消費者の中には科学的説得が全く通用しない感情だけでしか動かない人が多数存在するので、そういった人にアピールすることは経営的見地からは正しいとは言えます。科学的見地をもった消費者は「やってもやらなくても、どちらにしろ問題ない」とわかっているのでマイナスに働くことはありませんし。

例えば、コロナ患者が誰もいない海に行ってそこで唾液を垂らしたとしよう。そうしたら、あなたは海全体は汚染されたと考えるでしょうか?

いや、そもそも「密にならないよう、2mの間隔を開け、換気を良くして」というのは「2mあれば、大気で希釈されて感染リスクが抑えられるから」という希釈理論に他ならないではないか。

コロナでの希釈はありなのに、処理水の希釈はなしというのは、どういう判断なのだろうか?

そしてそもそも、今回放出される処理水に含まれる「トリチウム」とは普通に自然界で合成されては崩壊するありふれた物質だ。それを自然界の濃度より下げての放流である。この処理水が危険を及ぼすには、逆にどうすればいいのかを問いたいほどだ。

結局、この処理水海洋放出に反対する人というのは、科学ではなく感情による判断であると言わざるを得ないだろう。


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葉月 陽
ゲーム業界に身を置いたのは、はるか昔…… ファミコンやゲームボーイのタイトルにも携わりました。 デジタルガジェット好きで、趣味で小説などを書いています。 よろしければ暇つぶしにでもご覧ください。