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「いじめられた側」は悪くないけど「問題があるかないか」は要検証だとおもう件

最近、小学2年生の子供のクラスで、特定の子を避ける動きがあると聞いて、いろいろ考えてしまった。

「苦手だと思う人物と距離を置く」

は、いじめではない。

でも、「ほぼ全員が苦手と思って避けてしまったら」それは、仲間はずれ、無八分、というのだろう。

本来なら、避けるにしても、集団で動かず、個々がそれぞれに適切な距離を置く、ていう方向にすべきなのかもしれないけど、フリースクールみたいに集団行動がない学校ならいざしらず、クラス単位で動く小2には、まぁ無理だろうなぁ。

ニュースを見ていてもたまに思う。

いじめはよくない。当たり前だ。

殺人はもっとよくない、これも当たり前だ。

たまに「いじめられていた復讐で殺人か(真偽不明)」ていう報道が出ると、事実を確認する前から加害者を擁護するコメントを多く見かけて、胸が苦しくなることがある。

いじめか、そうでないか。

仲間はずれか、「苦手な人間を遠ざけたり、嫌いなことを嫌いといっただけ」なのか。

はたまた被害妄想なのかは、双方の解釈によって、異なるケースもままある。

でも、殺人に解釈の違いもなにもない。情状酌量とかはあっても、殺人は殺人だ。

そして、殺人という極端な行動に出る人の中には、もともと、「あまり親しくするのは危険だ」と思われる行動をしていた人もいるだろう。
(もちろん、そうでないケースもあるだろうが)

子供が保育園時代に、小学校受験前の幼児教室の緊張感がすごい、という話をママ友に聞いた。

そんな話の流れで、「Rちゃんママはお若いから知らないかもしれないけど、昔はお受験殺人っていうのがあって」という話になって、罪のない小さな子どもが犠牲になった事件を思い出した。

あの時も、「加害者はいじめられていた」「仲間はずれにされていた」という擁護の声を聞いた気がする。

でも、精神的に追い詰められたら、罪の無い子供を手にかけるような、センシティブすぎるオーラを発している人と、親しく交際できるかというと、少なくとも私は無理だ。

そいった不安定なオーラを「嫌だ」「苦手だ」という人もいたかもしれない。(いたかどうかは分からない)

それが、いいのか悪いのかは意見の分かれるところだけれど。

でも、そんな問題よりはるか上のレベルで、人を殺したらいけない。

それは分かっているはずなのに、どうも、ネットニュースなどでは、「いじめられていた」人の擁護が目についてしまう。

「いじめ」という言葉があまりに人々のトラウマを刺激しすぎるのかもしれない。

殺されたことのある人はいないけど(未遂ならいるかも)、いじめられたこともある人は少なくない。

私自身も、学生時代に村八分になったことはある。

私の場合に限っては、私に悪気はないが、人を不快にさせる過剰な部分が確かにあった。

「いじめられる側にも問題がある」

って嫌な言葉だけど。

「仲間はずれにされる人には、『改善したら本人も楽になる問題点』がある場合もある。(ただ嫉妬されているとか非がない場合ももちろんあるから決めつけはいけないけど)」

という意味では、問題を探ったいい時もある。

例えば、人との距離感が分からず宗教の勧誘をする小学校高学年の子がいた。

善意で「この前亡くなったきみのおじいちゃんの霊を呼んであげる」とつきまとった子もいた。

彼女は仲間はずれにされて「いじめられた」と受け取っていたけど、双方が気の毒なケースだと思っていた。

小動物を殺す男の子もいじめられていた。
本能的に危険を感じたんだと思うけれど、殺されていた小動物はネズミだったので、「害獣じゃん」と言われれば一理あるといえばあるわけで…。

高名な漫画家さんが、幼少期にねずみなどの小動物を殺して解剖して絵を書いていたという「天才児の変わり者列伝」みたいな逸話も聞いたことがある。

一概にサイコ扱いしちゃいけないのかもしれないけど、でもやっぱり、本能で「やばい逃げろ」アラートは鳴ってしまうわけで。

そういう場合は、「いじめる側が悪いに決まっている」と臭いものに蓋をするより、「君にも問題があるかもしれない」と一緒に考えるのはありなのではないかと思いました。

少なくとも、事情も分からず亡くなった被害者を貶めたら、だめだよなぁ。
加害者の情状酌量の余地については、プロが考えるだろうし。
なんて、ニュースを見ながら考えていました。

で、小学生の子供の場合は、まぁご家庭によって違うだろうけれど。

もし、自分の子供が「避けられている」側だったら、私なら仕事を休んで授業に付きそい、問題点を見つけるかな。

もし、容姿をからかうとか理不尽ないじめだったら、スクールカウンセラーに相談して、注意をしてもらう。

その上で、フリースクールにしばらく通うとか、保健室登校で勉強をするとか、子供のメンタルを最優先に「怖く感じないない場所」に移すかもしれない。

うちの子側にも問題があれば、児童精神科とかにも相談するかも。

「苦手な子がいて距離を置きたい」

と言われたら、

「距離をおいてもいいけど、集団からはぶくのではなく、できる限り自分が1人で離れるように心がけよう。学校では普通にご挨拶とかはして。お休みの日に遊ぶ遊ばないは任せるけど、『仲間はずれにして楽しい』という気持ちが少しでも浮かんでしまったら、家に帰っておいで」

というかなぁ。

マウントをとることで、脳から優越感汁がでて楽しくなるのも、思春期前後のホルモンのいたずらかもしれませんが。

元意地悪だった母は断言できる。

その汁は危険だ。

麻薬くらい脳を壊すし、人も自分も信用できなくなる。

相手のため、といいたいけど、自分のためにも、逃げてほしい。

まあ、難しい問題です。

30人全員が仲良く和気あいあい。なんて、幻想だよなあ。

臨機応変に、ゆくしかないか。

人との距離感、て、大事ですよね、やはり。

※アカウントお引越しで移動してきた過去日記です




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