公認会計士のゆる投資日記~PBRは企業の解散価値ではない
2023年1月末に、東京証券取引所は「市場区分の見直しに関するフォローアップ会議」で議論された内容の取りまとめを公表しました。その中で特に注目されたのが、「継続的にPBRが1倍を割れている会社には、開示を強く要請」という記載で、以降、PBR1倍割れというキーワードを、新聞やテレビ、ネットニュース等で頻繁に目にするようになりました。ただし、PBRの定義の仕方に誤解を生じるのではないかと思うことがあり、ここでは公認会計士の目線から、PBRの意味について解説したいと思います。
1.PBRは企業の解散価値ではなく、解散しないことを前提とした価値である
新聞などで目にするPBRの多くが「PBRは企業の解散価値を意味する」と説明されていますので、このように言うと、「え?」と思われる方が多いのではないでしょうか。例えば、2023年4月6日の日本経済新聞の社説でも「1倍割れは事業をたたんで解散して得られる価値より株価が低いことを意味する」と記載されています。ですが、この説明は誤りだと考えています。上場されている企業の貸借対照表(以下、「BS」)は、継続企業を前提として作成されていますので、継続企業の前提が成立していない、すなわち事業をたたんで解散する企業については、継続企業に対して適用されている会計基準は適用されないのです。以下で具体的に説明します。
2.PBRの意味
PBRの計算式として、一般的に示されているのは下記の式です。
PBR = 株価 ÷ 一株当たり純資産
上記の内、「一株当たり純資産」は財務諸表に注記されている金額であり、算出方法に関する会計基準が存在します。会計基準に従った実際の算出方法は複雑なため、ここではPBRの計算式として利用されることの多い、もう一つの算定式を使用して説明します。
PBR = 時価総額 ÷ BSの純資産
これを簡便的な図にすると、下記のようになります。
【筆者作成】
上記の図の左側(借方といいます)には、企業の資産が計上されていますが、これらの資産の評価額は、今後も事業を行っていく継続企業であることを前提とした評価方法に基づいて計上されています。
例えば、工場や本社ビルなどの建物は、上記の図の有形固定資産に計上されていますが、これらは、支出時から将来の一定の将来の年数に渡って使用し、収益を上げるために支出された資産です。これを、支出時の一時の費用として計上してしまうと、これらの資産を使って上げた収益との対応関係がとれなくなってしまいます。そこで、会計基準では、これらの資産を将来の期間に渡り定期的に償却していくことが求められています。これを減価償却といいます。従って、BSに計上されているこれらの資産の金額は、過去に支出した金額の会計上の未償却残高であって、会社を清算する場合に、今売ったらいくらか、という金額ではないのです。
また、会社を清算する場合には、現金化できない資産の評価額はゼロになります。例えば、最近話題になることが多い“無形資産”のうち、会計基準上の資産の要件を満たすものはBSにも計上されており、無形固定資産に含まれています。典型的な例としては、のれんです。ただし、これも企業を解散するのであれば、上場株式のような金融資産とは異なり換金性がありませんので評価されません。繰延税金資産も同様です。
このように、BSに計上されている資産/負債は、今後も継続して事業を行うことにより、収益を上げていく企業を前提とした会計基準に従って評価されたものであり、BSの純資産は、その差額にすぎず、解散価値とは異なります。
3.PBR1倍割れは何を意味するのか
BSの資産が、例えば現預金の他、上場株式のような流動性が高く、会計上も市場価格で評価される資産で構成されている場合には、PBRは解散価値に近似すると言えるでしょう。一方、多くの製造業のように、収益の源泉が設備や工場などの有形固定資産の利用が主であり、かつ、BSに多額に計上されている場合には、解散価値とは大きく異なる可能性があります。
前述のとおり、例えば有形固定資産のBS残高は、減価償却の未償却残高です。ただし、投資した有形固定資産について、計画していた収益が見込めなくなった場合には、含み損を抱えた状態になるため、回収可能額まで切り下げる事が求められており、これを減損処理といいます。ただし、含み損があれば即減損処理が行われるわけではなく、一定の閾値を上回った場合にのみ減損処理が行われることになります。企業は、毎期、減損の必要がないかどうかをテストしています。
このような企業がPBR1倍割れしているということは、投資家が「この会社は収益性が低く、有形固定資産の投資額を回収できない、すなわち減損している可能性が高い」と評価している、という事もできるのではないかと思います。別のケースとして、現時点ではBSに計上されていなくても、簿外債務(偶発債務として財務諸表に注記されているもの)が多額にあり、実現した場合には多額のキャッシュアウトが発生するリスクがあるかもしれません。
また、固定資産(有形/無形の両方)は、一定のプロジェクトごとに複数の資産をグルーピングして、そのグループごとに減損テストを行うことが一般的です。将来の見積もりが必要となるため、会計監査上のリスクも高く、KAMでも取り上げられることが多い項目です。このような厳しい監査を経ても減損の対象とはならず、BS計上額を上回る収益を生み出せるという見込みがあるのであれば、投資家に対する企業の説明不足という事も言えるかもしれません。
いずれにしても、会社の業種やビジネスモデルによりBSの構成要素は異なりますので、PBR1倍割れには、様々なケースが考えられます。なぜ1倍割れなのか、本当に割安なのかを調べるためには、財務諸表には様々な注記がありますので、BSに計上されていない情報をある程度補うことも可能です。
東証の対応は、個人投資家の一人として大変歓迎しています。一方で、「解散価値を下回る割安株」「1万円の現金が入った財布が5千円で売られているのと同じ」といった新聞・ネットニュース等の報道により、PBR1倍割れの企業に投資をして失敗される方が出てしまうのではないかということも懸念しています。正確な知識とともに、東証の改革や新NISAにより投資環境が整備され、多くの人がその恩恵を受けて資産形成していくことを祈りつつ、本稿を執筆しました。