お世話になりました
ラジオ3年間お世話になりました。
日本陸連7年間お世話になりました。厳密には6年10ヶ月らしい。そういうとこ陸連っぽくて好きです。
悪の権化と思われがちな日本陸連は中に入るとめっちゃいい人たちばっかりだし、真面目に陸上界がどうしたら良くなるか考えている人たち。ただ抱えている課題がややこし過ぎたり、都道府県も47あるし、中体連、高体連、実業団とか学連とか横並びで調整しなきゃいけない人たちがたくさんいるし、見ている方向性もそれぞれ違います。ひもの結び目が絡まっているのかと思いきや、そもそもひも同士が交わってなかったということもたくさんあります。仕事の面白さにも、スタートアップのように色んなことを次々とやれる面白さもあると思いますが、難攻不落の城をじ〜っと根比べしながら攻めていくような面白さが陸連の仕事にはあったかなぁと思います。例えば僕の仕事だと市民マラソンのネットタイム導入OKにするとか。記事にすると簡単な話なんですけどあっちこっちに話を持っていきボコボコにやられながら同意を取り付けにいくみたいなことをします。ちなみに僕はあんまり深く考えずにとりあえず突っ込むタイプなので基本ボコボコにやられます笑
僕は課題が見えなくなった時が陸連の仕事の終わりだなと思っていました。コロナになってその時が突然訪れました。空の飛び方が分からなくなっちゃった魔女の宅急便のキキちゃん状態です。その時に、やっぱりもうひと回りふた回り強くならないとダメだなと。年齢的にも今年35。もう若手じゃないしな。思い切って環境変えるのはラストチャンスかもしれない。そう決めたのが1年前。誰かに相談すると迷いそうだったので全員に事後報告。内定もらった後もそこから時間を開けたらそれも迷いそうだったので翌日に辞表も出しました。10回ぐらい書き直しました。ムズかったぁ。笑
最終日は何故か朝イチで中野瞳さんと内山さんとZOOMしました。(内容は後日アップします。)お昼はT広報課長と陸連メディアチームのK地さんと陸連関係者行きつけの蕎麦屋でラーメン半カレーセット。
T課長とD吾さんは僕とほぼ同期。ちなみにT課長は酔っ払うと夜中に訳の分からないアツいメールを僕に送ってくる僻があります。D吾さんはおだてるとネイティブのかっこい発音でウェイウェイ場を盛り上げてくれます。
リモート期間中だから最終日もみんないないかと思ったらたくさんいました。僕の陸上界のお父ちゃん風間専務だけいなかった笑 しれぇっと最終日を迎えるはずが最後は盛大に。会長から「歓迎会で大はしゃぎしてたのが今でも印象に残ってます」とのお言葉をいただきました。笑
今後はフリーランスとなり屋号はEnjoyOfficeにしましたのでエンジョイ職員を継続しようかと。フリーランスと言いつつ、ほぼほぼとある会社でお世話になりつつ、W大学で講師をながら研究活動もする予定です。
僕の転職のドタバタ劇はまぁそんなところです。7年間お陰様で楽しい時間を過ごすことができました。またこの世界に戻ってこれるようにしばらく別の世界でチカラをつけていきます。
ここからが大事で陸上界との関わり方って色々あるよねと教えてもらったのがOTTボランティアの皆さん。みんな普段陸上以外の仕事しながらOTTに関わったりレースを観に行っている。Paulさんは普段何しているのか謎過ぎて実態が全く掴めないけど真面目に仕事してるみたいだしパパもやってるみたいだし、その中でOTTやレース観戦を楽しんでいる。そう別に陸上競技を仕事にしなくたってできることあるよね、と。
自分の今後の関わり方として実業団選手権を見に行って良かったと思っています。ラジオでもお話しましたが、あんまり自覚はなかったけど日本陸連という看板の重みを知らぬ間に感じていたようです。素直に心から楽しむことができました。
僕は相変わらず結果にはあんまり興味がないみたいで萩ちゃん駅伝部の競歩カミザワ・トムーンスが周回差をつけられて撃沈する姿や、男子5000m竹内颯くんが序盤から攻めて後半撃沈する姿とか中野瞳さんが手振ってくれて余裕あるなぁとか。ホンモノの柚乃様見かけも声も小っちぇとか、そういう姿がおかしかった笑
運動会で1位になろうがビリになろうがとにかく無駄に僕を褒めてくれたばあちゃんの気持ちが分かる気がした。勝手に孫を応援するじいちゃんみたいな気持ちになっておりました。
リアルで観ることの楽しさは写真や映像に映らない出来事がたくさんあるということですが、それはスタジアムの中だけでなく外にもたくさんあるということが今回の発見です。スタジアムの外ではあっちこっちで引退する選手の撮影会が。
気付けば僕も若干ラジオは陸連の仕事とプライベートとごっちゃになっていましたが、このnoteも萩ちゃん駅伝部もマラソン博士森岡さんとの観戦会も趣味でやってるだけなのに、この半年ぐらい僕がなんとなくやってきたことに意外と楽しんでくださる方がいて有難いというか、こんなパンピーでも役に立てることあるんだなぁと不思議な気分でした。もちろんラジオがあったからこそなのですが。。
ということで陸連とラジオはやめましたが陸上界とおさらばするつもりはなかったんですけど、山田PがTwitterで僕を完全に消し去ろうとしているのでその流れに逆らっていきたいと思います。
clubhouseもTwitterもnoteも普通に業務外の趣味の活動としてやっていたことなので実はあんまり変わらないんじゃないかと思っていました
Twitterもこのまま残しますのでマラソン博士の森岡さんや萩ちゃん駅伝部のみんなとスペースを定期的にしていきたいと思います。noteもきままにやっていこうと思います。
ということでラジオの最終収録も特に込み上げるものもなく味気ないものになってしまいましたが、あんまし変わらないと思ってるからだと思います。最後の収録も横田さんとも西本さんともサクッと撮ってサクっと帰る。そういえばTrackTownShibuyaのときもそんな感じだったなぁと。
とはいえ放っておくと気が変わっちゃうのが僕の性格なので変わらないでいられるような環境をなんとか作っていこうと思います。
ということで終わりのような始まりのような。また誰かと一緒に公園でお弁当食べれるように色んなところに足を運んでみたいと思います。
ひとまず。お世話になりました。これからもよろしくお願いします。