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ウンブリアとアブルッツォの旅 その1ウンブリアへ
友人と私達夫婦計6人🏍️4台でツーリングの旅に出たよ!
最初にフィレンツェからイタリアで4番目に大きくて、中部では最大の湖。=トラジメーノ湖(1番ガルダ湖2番マジョレ湖3番目コモ湖)へ。
深さ平均4.3 m、最大6mと浅い。層流湖の高さは海抜258m、表面積は128km²、集水域は309km²。
2006年以来、トラジメーノ湖は国際的な「リビング レイク」協会の一員。湖の周りの丘はコッリ デル トラジメーノ ワインの生産地。ヨーロッパで最も重要なブルース音楽フェスティバルの 1 つであるトラジメーノ ブルース フェスティバルは、1996年以来毎年7月末に開催され、国際レベルの芸術的プログラムで、多くの観光客や愛好家を魅了。
トラメジーノ湖に歴史
300万年前、この地域は浅い海で、地質断裂形成のくぼみが、現在のトラメジーノ湖。
紀元前 2世紀初頭のエトルリアの青銅工芸品タブラ コルタネンシスの発見(現在ウンブリア国立考古学博物館に保存されている発見物によって証明)でエトルリアの湖のラテン語の名前であるタルスミナス。地理的にもエトアニアの中心部の位置に湖がある事からエトルリア起源で、この地域には先史時代から人が住んでいた。紀元前217年湖畔ではトラジメーノ湖岸のトゥオーロの戦いで、ハンニバル率いるカルタゴ軍(チュニジア共和国の首都チュニスの近く)が執政官ガイウス・フラミニウスの3万人のローマ軍団(強敵カルタゴ軍を倒して祖国を救済しようとしたが)を罠にかけ、わずか4時間で破った。
2500年前カルタゴの伝説的な指導者ハンニバルが、アルプスを超え、アフリカからスペイン、フランスから来るまでは、10年間、ローマ人の最大の敵エトルリア人たちの地だったのだ。
1422年ペルージャの領主ブラッチョ・ダ・モントーネは、ヴァル・ディ・キアーナ川(イタリア中部,トスカーナ、ウンブリア両州を流れる川。全長約 80km。アレッツォ付近からオリビエイトの近くでパリア川を合せ,南流してテレべ川の支流に注ぐ。フィレンツェとローマを結ぶ歴史的交通路で,中世にキウジ付近に堆積物で天然のダムが形成。広いキアナ河谷はアレッツォからキウジまで湿地になり,マラリアがはやったが,1788~1838年改良工事で流路は運河化され,一部がアルノ川に,一部はテベレ川に排水されて,流域は完全に農耕地となった。)をクラニス川の支流リオ・デランギラーラの沼地に、人工の使者を建設。全長約 1 km、カイナ川に接続し、ほぼ全体がサン サヴィーノ丘の下のトンネル内に開発。この研究でレオナルド・ダ・ヴィンチでも、トラジメーノ川の過剰な流量を調整し、アレッツォ、フィレンツェ、ピサの都市との航行を可能にするため、水力ーを研究したが、実際に運用されることはなかった。16 世紀後半、教皇シクストゥス 5 世は、トラジメーノの唯一の自然の支流、リーゴ マッジョーレ川とトレサ川をキウージ湖に向けることを決めた。18 世紀から 19 世紀にかけて、集水域の縮小が試まれたが (乾燥させるという話もあった)、介入は行われず。
国有財産や投機家との何年にもわたる厳しい戦い後、1896年〜1898年にかけて、グイド・ポンピルジが議長を務める土地埋立協会は、15 世紀と同様の長さ7 km、容量12 m3秒の新しい使者を創設することに成功。こうして人為的乾燥は回避され(これについては王室の譲歩がすでに出されていた)、洪水とマラリア問題は、1940年代から1950年代にかけて、権力者に有利な新しい使者の敷居を下げるという徹底的な手段のおかげで解決。トラジメーノ川は、1950 年代の終わりには最大水深が2.93 mまで減少し、干上がるという深刻な危険さえ抱えていた。 1952 年に16世紀に迂回された自然の支流リオマッジョーレ川とトレサ川が再導入され、1958年に回復。最近、トラシメーノ湖は新たな水危機に陥っている。現在の最大深さは 4.30 m。2007年〜2008年の間に 78cm減少。 2011 年10月と 2012 年3 月の豊富な降雨のおかげで、湖の水位は大幅に (1 m以上) 上昇し、海抜 257.33 の湿度ゼロと比較してマイナス 40 cm に達しました。 2013年春の降雨により、ウンブリア盆地はマイナス29cmに達し、20年間記録されていなかった記録レベルとなった。 2014 年2月トラジメーノは 25年ぶりに再び水深ゼロに到達。 2014 年の春に、サン・サヴィーノの人造使節の水門が再び開かれた (湖を監視レベル以下に戻すため約20,000,000 立方mの水が残された)。この現象はネスレ川を渡ったマルシャーノまで検出。
「トラジメーノ」という名前の由来は3 つ。
①トラジメーノの伝説で知られるニンフ アギッラを愛し騙されて溺死したトラメジーノ王子の物語が、湖の名前の由来。バイロン卿はそれを「銀のベール」に例え、何世紀にもわたって湖は多くの詩人、画家、旅行者を魅了。
②トラジメーノの名前がトランス・イメヌスの敷地、「ヒメノスの向こう」(または「メニウム」)に由来。
③主にフィレンツェからペルージャ市に訪れる外国人を案内するために使用。「トランス マイナス ヴィデ ラカム」=北から来て、以前は見えなかった湖が小さな丘を超えると湖が見える事に由来。
トッリチェッラ(Torricella)でランチ休憩🥪
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他にトラジメーノの西の湖畔はFocusの世界で綺麗な夕日の見れる7つのスポットにノミネートしたサン・フェリチャーノやモンテ・デル・ラーゴ(Monte del Lago)サンタルカ(Sant'Arcangelo)などがある。
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レンズ豆について
アジアでは9000年以上前に栽培されていた。 原産地はシリア。地中海全域に広まり、ヨーロッパでは、 約7千年前から食べられている。古代ギリシャから始まり、ローマを通り、中世は主に修道院で栽培。修道士の断食時の食事や“金曜日の食事”。 最も有名でおいしいイタリアのレンズ豆のいくつかは カステッルッチョ(IGP:保護指定地域表示)で収穫 。モンテ シビッリーニ 標高1,500メートルの国立公園。 皮が薄く、水に浸けず調理できる。 他のイタリアの品種Altamuraの, ヴィラルバ 、コルフィオリト (DOP保護された原産地認証を取得)コインのような形から、お金がたまる縁起の良い食べ物として、年末年始には必ずザンポーネかコテキーノ(豚肉ミンチに塩とスパイスを混ぜ、ザンポーネは豚足、コテキーノは腸に詰めたソーセージ)と一緒に食べる。
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シビリッーニ山脈の山間部
海抜1452mの丘の上。
丘下にはPiano Grande高原には、5月下旬〜7月上旬にフィオリトゥーラと呼ばれる天空の花畑が広がる。
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黄色のレンズ豆の花、黄色の水仙、野生の蘭、白いマーガレット、鮮紅色やピンク色、藍色、白色の矢車草、赤のひなげし、黄色のタンポポ、紫のスミレ、白、紫、黄色のクロッカス、青、紫の忘れな草、赤のポピー、紫のビオラ…など。
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5月22日はカーシャの聖人聖リタの日。
信者で街は賑わっていたよ。
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客室が病院の様でアンティークなホテル。ホテル内が複雑な構造で、お部屋にたどり着くまでが、一苦労。長い廊下を通り、非常階段の様な横の階段を上り、また長い廊下、再び横の階段を登り、右に曲がり、再び長い廊下を更に進みまた横の階段で最後にまた長い廊下を歩いてようやくお部屋へ到着。こんなに謎めいたホテルがあるんだね。ここまで大変だと、用が無い限りお部屋から出たくないけど、お部屋も暗くてちょっぴり怖の部屋だった😱😰😨。
この日は、カトリックの信者さんが教会の聖リタの日のミサの為、訪れていて、どこのホテルも満室。
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本当は、こちらのホテル&レストランに滞在したかったが、満室だったの。いかにカトリック信者が多いかを物語る。
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翌日は、アブルッツォよ!