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岩手の旅その4世界遺産平泉へ。弁慶餅に平泉式わんこ蕎麦、かっこう団子

岩手県最南端、宮城県の県境の一関市へ移動!
浄土思想の考え方に基づいて平安時代の奥州藤原家が築いた中尊寺や毛越寺などの他にも多くの古寺、庭園、遺跡と数多くの国宝や重要文化財を保有する世界文化遺産登録の町の平泉。中尊寺金色堂には奥州藤原氏歴代当主である清衡、基衡、秀衡3代のミイラと頼朝に敗れた第4代・泰衡の首が安置されている

エントランス
中尊寺
薬草茶は、秘伝薬として平泉の地に受け継がれる100年茶
ワンチャンの神様
絵馬にわんちゃんの健康を願う
杉並木の参道
グリーンが美しい
竹林も
金色堂は撮影禁止だったのでこちらを
中尊寺金色堂は12世紀から残る唯一の美しい建造物
一関の菓子店「松栄堂」 中尊寺の参道の休憩処「弁慶園」で弁慶餅を頂く。胡桃入り醤油団子がたまらなく美味しかった
😋
岩手3大麺の1つわんこ蕎麦を食べたよ。
平泉式は、椀12皿の麺を自分のペースで食べれるの。
じゃじゃ麺、ワンコ蕎麦クリアー。
冷麺は、お家でぴょんぴょん舎の食べる事にするよ。
わんこ蕎麦とは

花巻起源
400年以上の歴史がある。始まりは江戸時代初期の慶長年間。当時の南部家27代目当主南部利直江戸に向かう際に花巻城に立ち寄り食事を所望した。郷土料理の蕎麦を「お殿様に対して庶民と同じ丼で差し上げると失礼」との発想から、山海の幸と共に漆器の「お椀」に一口だけのそばを試しに恐る恐る出したところ、利直公はそれを大変気に入り「何度も何度もお代わりをした」という花巻起源説。
盛岡起源
盛岡出身の政治家原敬は母リツが米寿を迎えた頃から毎年夏に盛岡に帰省し、母が住む別邸「介寿荘」に市民を招き、さんさ踊りや蕎麦でもてなした。このときに出された蕎麦が中蓋に薬味を載せた「椀コそば」であり、原夫妻がもてなしのために考案したと言う説。

昭和22~23年頃、花巻市出身の斎藤市太郎氏が盛岡で始めた「わんこや」(現在廃業)が「わんこそば」を商標登録し、盛岡の蕎麦屋でわんこそばが振舞われるようになったという説。

「お椀」に岩手の方言である語尾に「コ」付け「お椀コ」と呼び、「お椀コ」で食べるそばから「お椀コそば」→「わんこそば」と呼ぶ。

2021年(令和3年)「花巻わんこそば」は文化庁の全国各地の100年フードで「江戸時代から続く郷土の料理」として認定。

「わんこそば」は、手打ちそばの切りたてを、ゆで揚げたものが少時間にのびて、風味減ずることを惜しみ、大器に盛らずに、さい椀に盛り、食べながら盛り替えする。それに使用する椀を地方の方言で「わんこ」のと呼びその呼び名が残されたものに「蕎麦」をプラスして「わんこ蕎麦」と呼ぶ。

平泉名物の「盛り出し式平泉わんこそば」
ひと口大に盛られた蕎麦を、平泉の伝統工芸「秀衡塗」のお椀に自分で移し、お好きな薬味とつゆを入れて食べる。「わんこそば」は「はい、じゃんじゃん。 はい、どんどん。」と言う掛け声(東北新幹線開通の際に盛岡市のそば店「東家(あずまや)」に取材に来たテレビディレクターが、無言で給仕する姿に「声を出してほしい」と要求したところ、おかみがアドリブで「はい、じゃんじゃん」じゃんじゃん=続けて鳴る半鐘の音などを表わす語。たてつづけに行動するさま、積極的に、また、はでに行動するさまの意。と発し、現在まで受け継がれている)お店の方が次々と蕎麦をお椀に入れて急いで食べ(椀を重ねて行く=重ねあり)が「盛り出し式平泉わんこそば」は自分のペースでゆっくりと味わう事ができる自分盛り。平泉駅芭蕉館が元祖。

12皿でもキツキツ
卵白が繋ぎのお蕎麦
フルーツとチーズケーキもついている。
毛越寺へ


平泉キャラのケロ平(ひら)君がいたよ
曲水の宴
達谷窟毘沙門堂


約16.5メートルの高さに掘られ、上下約3.6メートル、肩幅約9.9メートルもの大佛の顔。全国屈指の大きさで、「北限の磨崖佛」として知られている。 
厳美渓は、磐井川沿いに約2キロにわたって広がる渓谷。甌穴(水流の浸食によりできた穴)などがあり、自然がつくり出すダイナミックな絶景
厳美渓名物名勝厳美渓の郭公屋の「かっこうだんご」 渓谷空飛ぶ🍡へ
対岸のお団子屋さんに🔨で叩き合図して、お金を入れたかごを送ると、ロープ伝いにお団子とお茶の入ったカゴが送られて来る。
あっという間に到着
箱を開けると
お茶を飲みながら醤油、ゴマ,あんこの3種のお団子をいただく。
続く

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