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国交回復~
「WEST SIDE STORY2」を観に行った日のこと。
危うさとまっすぐさが心の中でぶつかりあって、
それらがとてつもない熱量でこちらに伝わってきて終始泣いていた。美しかったなあ。
何であれ、"愛ゆえに"ってところが難しい。
各々が、色んな方向へ気持ちを向けて、それはどれも熱い想いで。だから、反発してしまうことだってあるんだろうけれど。
でも、それを伝えずにはいられないのが私たちなんだよなって思ったりした。
時間は有限ってところにあるんかな。
そんなこんなで、ここで過ごした約3時間に感化された私は、
気づけば1年以上会話をすることのなかった勝手に推して追いかけてた彼に、
会いたい!会うしかない!と直感的に思い、最悪消されてるかもしれない連絡先に電話をかけてみることにした。
自分のそういう直感は大体従ったほうがいい方に向くって知ってたりする。
とはいえ、そんなすんなり出来るものじゃなくて、今流れてるこの曲を聴き終えたら、とか、17時のチャイムが鳴り終えたら、とかうだうだ葛藤してたりした。
恋かよ、なんだよ、って突っ込んでしまった。
そうじゃなくて、愛とか尊さなんだよなあ。
自分とは全く縁のない存在だと思ってたのに仲良くしてくれた。
だけども、果てしなく掴みどころのない人で、いつ離れていかれてもおかしくなかった。
そんで、本当にいつしか会話をしないまま、互いに環境が変わった。
そんな、果てしない掴みどころのなさが好きだったりした。
深いこと考えてるようにみえて意外と単純。
単純に見えて思慮深かったり。
不思議で、興味深くて、魅力的。
こう言ったらこう返ってくるだろう、
こう聞けばこう考えるだろう、ってものをいつだって覆してきて。
自分に流れる感情や思考が新鮮だった。
ずるいなあ、と。
その人は無意識だったようだけど、
自分では意識してないところで、そうやって誰かに魅力を見出してもらえて、好かれるって素敵じゃんかあってなった。
結局その後、
ちゃんと電話をかけて、会うことができて、なんなら次の日も会えて、語らって、幸だった。
そしてまた勝手に憧れて、追っかけて、推してくと心に決めたのである。
今更ながらなんだか小っ恥ずかしくなってしまったのでこの辺で。
とにかく、大事な人たちのうちの1人との国交回復を果たした記念すべき日、!
大事な人たちって、どんな基準?って聞かれたなら、
「自分のこじんまりとした冠婚葬祭、特にお葬式に何がなんでも来てくれと呼びたい人」って答える。
こじんまりとした、がポイント。
自分の命が終わりを迎えて、お別れをするという大事な場面には、
多くの人は要らないから、
自分が、というのも勿論だけれど、
自分に対して、それ相応の想いや思い出がある人に傍にいて欲しいと心底思っている。
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話変わりますが。
「情報」って、「情」と「報」に分けると、
「感情や思考」と「データや数値、事実」ってニュアンスにも捉えられて。
snsで各々が流す情報は山のようだけど、
情報だったら「情」のほう。
分かりたいのも共有したいのも結局はそっちなんだよなあ。