![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/119156475/rectangle_large_type_2_ab33b5339ac9a281ccd4a3b6386e58ac.png?width=1200)
ビデオカメラから男性性をのぞいてみる ー「aftersun/アフターサン」
『aftersun/アフターサン』を見に行った。「アフターサン」は、ビーチで塗る日焼け止めであり、この映画全体が抱えている感覚的な印象を伝えている。つまるところ、常にヒリヒリさせられる。映画の冒頭からビデオカメラの独特な「うぃーん」という音から始まる。見ている人の年代によっては、この音に馴染みがないだろう。舞台はトルコのリゾート地。夏休み期間中に父親と娘、2人だけのバカンスを父親の年齢になった娘が捉え返してゆく。そこで明かされるのは、「父親」という1人の男性が抱える多面性となっている。父親は、娘といる時間はどこか多幸感に溢れる表情をしており、一緒にビーチで泳いだり、スキューバダイビングに興じたりしている。夜に娘と食事を楽しむシーンでは、父親が楽しげに踊り、とても素直に感情表現ができる人物であると想像させる。一方、ホテルに帰り、娘が寝静まった後、ベランダの手すりに立ち、手を広げ、飛び込む様子を見せたり、真っ暗闇の海に1人で向かったり、どこか様子が変わってゆく。これは、自殺を安易に仄めかしているとも思える。が、格闘技を習得し、自身をメンタルケアしているシーンから、どこか不安定な父親であると映画を通して明らかになる。途中で差し込まれた点滅するライトの中で踊る父親。そして、少しずつ判明する一緒に踊っているのが大人になった娘の像。そのとき流れるデヴィッド・ボウイとフレディー・マーキュリーの『under pressure』は、この旅が父親との最後の時間であると意識させた。大人になった娘は、それを回想している。その娘が振り返る眼差しの補助線となっているのは、あの「うぃーん」という旧来型のメディア。そう、ビデオカメラで撮影された映像である。映画の中盤では、父親と娘がビデオカメラを交換し合いながら撮りあっているシーンがある。そのシーンは、宿泊先のホテルの部屋で行われており、電源OFFのブラウン管越しに取り合っている姿が見える撮影の仕方をしている。常に旧来型のメディアについて考えさせられるのは、フィルムを意識させる映画というメディア故の試みだからではないだろうか。