『夢を叶える』の範疇とは
幼い頃の『○○になりたい』と言う夢
それは夢と言うには可愛らしく
まさに希望に溢れている
大人からの『大きくなったら何になりたいの?』
と言う質問に無邪気に答え
ある時は大人が望んでいるような答えを
無邪気なフリで答えたりして
可愛らしい夢も
成長と共にカタチを変えて行き
努力をして手が届きそうだったり
努力をしても手が届かなかったり
そうして大人になる頃には
食べていける仕事に就く
多くの人はそのような選択をする
好きな事を仕事にする人がいる
趣味が高じてそれを仕事とする人がいる
仕事とは?趣味とは?
食べていける程の稼ぎがある場合は仕事
食べていける程の稼ぎがない場合は趣味
となるのか、、、
芸人さんや役者さんで
なかなか売れなくて収入がほぼ無くて
でも諦められなくて
いい歳をして親から仕送りをして貰って
死ぬほどバイトもして
でも賞を取ったり
オーディションに受かったりして
それを機にTVに出て
ようやく食べていけるようになったとか
そんな人がいるけれど
食べていける様になって
仕事となり職業となり
初めて夢は叶ったとなるのか、、、
そんな芸人さんや役者さんの中でも
食べていけないけど家庭を持ち
苦労した時期を奥さまに支えて貰ったとか
もちろん今は売れて食べていけるから
そのようなエピソードも美談となるわけだけど
一方で何年も交際していて
心の支えになってた彼女と
食べていけるようになったから
家庭を持つ決心をしたと言う人
こちらももちろん売れたと言う実績があって
長い春のケジメ的な美談となる
どちらが正しいとかでは無くて
今の多様性が叫ばれてる世の中
稼ぎの良い方が家計を支えるとか
父と母と子と言う家族構成の場合で
父が経済的な大黒柱である必要性が
必ずしもあるとは思わない
でも私の場合は
それは他人の話ならば、、だ
私の幼い頃の夢は
言えば人から笑われるようなモノで
だから言わなくなって
他になりたいモノなんて無かったから
食べていける会社員となった
結婚して子供が産まれて
子育てのため会社を辞めた
どちらがとか考える事も無かった
単純に夫の稼ぎの方が良かったから
2人の子供を産み育て
家を建てるためにローンを組んだのを機に
パートに出るようになった
仕事に出ている時間は短時間だとしても
家事に育児とほとんどワンオペでこなし
朝から晩まで忙しい日々だった
もし夫が
叶えたい夢があると
決まった収入も無く
家を建てるなどの将来的な安定も無いとしたら
そのような人と付き合った事が無いから
今の自分の価値観から考えると
自分ひとりの生活も儘ならないのに
家庭を持つとか有り得ない
大好きだったら
その夢が叶うように応援して
ある程度は待つかもしれないけど
私が夢を叶えていて
それで充分食べていける程の稼ぎがあって
家計の事は何とかなるわ的な
そんな感じだったら考えは違うのかな
いくら多様性な世の中だと言っても
自立していない大人✖️2では
定まらない生活にお互い疲弊するだけ
やはり家庭を持つ時点では
ある程度の将来性は不可欠だと思う
難しいと思える夢を叶えるために
定まらない生活を送る事と
夢を諦めて食べていける仕事に就き
安定の中に楽しみを見つける生活と
どちらを選ぶのも本人の自由であるけど
共に生きる生きたいパートナーが
側にいるのなら
叶えるとか諦めるとかに囚われず
また違う視点から“夢”を見ると
より良い未来が見えてくるかもしれない