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雑談が疲れる



子どもの頃、ボールで遊ぶのが下手だった。

投げれば、思わぬ方向に飛ぶか、近距離に着地する。
受け取るのは怖いから、目を逸らして逃げてばかり。
最終的には動くことすら馬鹿らしくなって、コートの隅にぼーっと突っ立っていた。

さらに足も遅かったし、マット運動や跳び箱もできなかったから、運動神経が皆無なんだと思う。

それだけだったら「運動音痴」のレッテルを貼られるだけだったんだけど、私は言葉のキャッチボールも苦手だ。

大人になって良かったと思うのは、数学と体育の授業が無くなったことだ。
(なんと、私が通ってた大学はまだ体育があって、必修科目だった)
もうボールを投げたり受け止めたりせずに済むんだ!と思ってたのに、大人になったら言葉のキャッチボールが必須になるみたいだった。
なんだよそれ。

会話。
基本的な言葉のやり取りはできてる。多分。
報連相は、なんとか伝わってるはず。
教えるのはむしろ得意な方だ。
でも人との親交を深めるための会話は本当に苦手だ。
いわゆる、雑談というやつ。

雑談を振られると、脳みそがフル回転する。

えっなんで今私に話しかけてきたの?なんでその話題を出したの?なにか感想を求められてるのか、同意した方がいいのか、本当に同意していいのか?こう答えたら自分どう見られるんだろう、あれもう次の話題?早すぎるよ!そういえばこんなエピソードあるけど言った方がいいのかな?その方が会話っぽくなる?いや待て人の話の横取りになりそうだ、……もしかして今ボケてる?ツッコミした方がいい?でも良い返しが思いつかない!とりあえずノっておいた方がいいのかな、あーなんか期待されてる答えと違うこと言った気がする、うわ気まずい空気、別の話題考えないと、面白い話なんか無いよ、プライベートのことってどこまで話していいの?これ地雷だったかな、顔色は…分からない、でも楽しくなさそうなのは分かる、、、


ああ、疲弊。

ひととおり会話が終わると、脳みそを使いすぎたせいか、いつも頭が痛くなる。なぜか息切れもしている。首や肩は緊張で凝り固まってるし、愛想笑いしすぎて顔の戻し方が分からない。

こんなにあれこれ考えるわりには、口から出てくるのは当たり障りのない「そうなんですね〜」とか「分かります〜」とか、うわべの共感だけだ。

雑談って、フルマラソン走ってるくらい疲れる。
くたくたになるから、なるべく話しかけないでくれ!と思いながら過ごしている。

もちろん自分から話しかけることはまずない。
自分から話題を振っても続け方が分からないからだ。
そもそも話しかけることって、相手をいくらか下に見てないとできなくない?そんなこと考えるの私だけ?


今思えば、子どもの頃から人と会話するのは得意じゃなかった。

私の話し相手はもっぱら、紙の上に描いた自作のキャラクターたちと、お気に入りのタオルケットと、たまに先生に提出する作文くらい。

なんなら小学校低学年の頃はいじめられていたので、友達という存在は敵に等しかった。

家では母とは話したけど、幼い頃から家族は機能不全気味だったので、大人同士の会話をほぼ全くと言っていいほど聞いてこなかった。

中学生になるとオタクを気取れば話ができると勘違いして、好きな漫画やアニメの話ばかりしていた。とは言っても、漫画もアニメもほぼ禁止の家だったので見たことある作品は片手で数えられるくらい。当たり前だけど、話す相手もいなかった。

あまり黙ってるのも悪目立ちするので、話しかけられれば、ある事ない事言って、その場をやり過ごすための嘘ばかりついていた。誰になんの嘘をついたか分からなくなって、だんだんと話の辻褄が合わなくなるのを苦痛に思っていた。自分のせいなのに。

学生は勉強が第一という言葉を隠れ蓑にして、机に向かって勉強ばかりして、人との交流は最小限に留めるようにしていた。

大人になって急に、雑談とかいうコミュニケーションの取り方を求められるようになった。
でも対処の仕方が分からない。

話しかけられるとまず「なんで私に話しかけるんだろう?」と思う。それが表向きのコミュニケーションの取り方だと知っていても。会話に対するちょうどいい答えも持ち合わせていない。
思ったことそのまま言えばいいんだろう。相手もそこまで面白い返事を求めているわけじゃない。そんなことは知っている。
それでも私は勝手に緊張して1人空回る。

社会人になって結構経つけど、いまだに話しかけられると少しびっくりする。そして警戒する。
この人はどこまで踏み込んでくるのだろうか。
いつまで経っても深く踏み込まれるのは苦手だし、自分からひけらかすことも苦手だ。


耳が悪いのか、集中力が散漫なのか、はたまた緊張しすぎなのか、人の話を聞いてても半分くらいしか理解できないことがある。
途中で意識が別の方向に飛んだり、人の声と周囲の音が混ざって聞こえて判別できなかったり。
これを聞き返すと嫌な顔をする人がいる。苛立つ顔を見るのも結構しんどい。

いわゆるコミュ障ってやつだ。
地頭が悪い。残念ながら。

でもそれを悟られたくないから、自己開示もできない。弱いと知られると、一斉に攻撃されるというのは子どもの頃に経験済みだ。これはトラウマなのかプライドなのかもわからない。

質問に答えられている自信がない。人を傷つけない返事ができてるか、気が気でならない。意見を言うことで変な目で見られるのも嫌だ。気を遣われるのはもっと嫌だ。嘘をつくのはさすがに信用を失うと分かったのでやめた。

そうやって何もできないから、うわべだけの共感の言葉「そうですね〜」しか出てこない。
こんなの建前にもならない。


だがしかし。

これが、美容室だとわりと平気だったりする。
雑談が始まっても、深く考えずに言葉がスラスラと出てくる。つっかえても、会話が止まってもなんとも思わない。
相手がその場限りの関係で、こちらが客だから、何を言ってもぞんざいに扱われることはないだろうという安心感があるからなんだろう。
その場限りの関係の人との会話も大丈夫だ。
その後会う予定がないから何言っても許されると思ってる。

ある程度、長いスパンで関係を築いていかなきゃいけない人たちといるのがそもそもストレスなのかもしれない。
……なんで私、会社員やってんだ?

会社とか学校ではその人の人間性や、外見、能力、趣味嗜好で、扱いが変わったりするのが、きっと怖い。
私は出来が悪くて悪目立ちするタイプだったから、当たり障りのない人間でいたかった。
なのになんでだろう。
いつのまにか、職場にいる無口でちょっと変な人になってしまった。当たりと障りでしかない。

そう悩んでたのは数年前までのこと。

最近は開き直って、それでもいいと思い始めた。
その方が話しかけられないし、余計な傷が増えないから。
これは"逃げ"でもあるし、嫌な思いをしないために試行錯誤した結果だ。



そうは言うものの、楽しそうに雑談できる人を羨ましく思う。

言葉を投げて、受け止めて、また投げて。
ポンポンとリズムのいい言葉のキャッチボール。
みんな、なんでそんなにスムーズに言葉が出てくるのだろう。
私は未だにコートの隅に突っ立っていて、でもその中には絶対混ざりたくなくて、じっとその様子を見ているだけ。


雑談するのは苦手だけど、人の雑談を聞くのは好きだ。
職場やカフェで聞こえてくる話や、お笑い芸人のトーク系youtube、ラジオやポッドキャスト。
どれも面白いなぁ、と思う。思うだけ。

人の倍疲れてしまうことを、あえて無理に頑張らなくてもいいんじゃないか。

これは私が常に大事にしている考えであって、私が全く進歩しない理由の一つだ。


幸い、文字を書く能力(not 才能)はあるみたいだから、言葉が口から出てこない私は、思考の切れ端を時間差でここにタラタラと書き残していくしかない。

キャッチボールが苦手なら、壁打ちでもいい。

そして通りすがった人がちらっとでも読んでくれれば、それで充分だ。

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