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梅雨とカメラとコーヒーと

私の脳天から伸びたアンテナが、この人混みを構成する人間たち一人ひとりの感情すべてをキャッチして、莫大な量の情報が一気に体内に流れ込んできているような気分になって、その途方もなさに心臓のあたりがぎゅっと苦しくなる。

そんな気がするのは、昔読んだ詩の影響。

学生の頃だったか新入社員の頃だったか、人間が血流のように太い管を流れるのにわたしも混ざっていた。下界から見上げたカフェのカウンターからまたこちらを見下ろしてるのはやっぱり疲れた顔した大人たちで、なのに私はそこの一員になりたかった。
数年越しに今、そこで酸っぱいコーヒーを飲んでいる。
カウンター席を陣取るカップルたちと、MacBookを開いてクリエイティブそうな格好した人たちがテーブルを囲んでクリエイティブっぽい商談してるのと、zoom越しに部下を叱る人を端に見ながら、未だにわたしのいる場所じゃないと感じる。
寝癖でボサボサの髪を帽子で隠して、下着の洗濯が間に合わずノーブラ、ユニクロのTシャツ。
もう何もかもダメな日がきっと今日だ。割り切った方が楽なのに無駄に抗って余計な傷を増やす。
見方を変えれば、今日だってそこそこいい日なはずだ。
昨日夜中に思い立って作ったマフィンはそこそこ美味しかったし、仕事の勉強もした。掃除と洗濯をして、スーパー行ったらナスが安かった。どこも行きたくないと思いながらもこのまま家にいても腐るだけ!と家を出た決断。久々にカメラを構えて写真を撮った。昔憧れてたカフェに入ることができた。
ようは、日常をうまく切り取って綺麗に繋ぎ合わせていけばいいのだ。

なーんて、現実を捻じ曲げてポジティブに捉えて自滅したのはどこの誰だったか。

現実は、
昨日作ったマフィンはレシピ通りなのに生地が緩く、見た目と食感が最悪だった。朝スマホでしょーもない情報をダラダラ眺めて2時間くらい無駄にした。お昼はたまごとろろご飯にしようとして、わざわざ買った卵を入れ忘れた。仕事の勉強だって少ししか進んでない。昼までのダメさを取り返そうとして、家を飛び出したが行きたい場所もなく、とりあえず電車で行きやすい品川駅に着いたので水族館に入ってみたはいいものの、メンテナンス中で魅力に欠け、さらにイルカのショーはちょうど終わった時間だった。(どおりで人が少ないわけだ)水槽にカメラを構えたけど、自分の腕にもカメラという趣味にも限界を感じ、そそくさと退館。せめて品川に来た意味を見出したいと、あの日見上げたカフェのカウンターに座ってコーヒーを啜り下界を眺めている。

あの日ここに座ってた人たちは、押し流されるように目的地へ向かう私たちを眺めほくそ笑みながらコーヒーを啜ってるんだろうと想像していたけど、実際このカウンターに座って見える人間の顔は、なんだか生き生きしていて少しつまらない。ほくそ笑みたかったのは今も昔も私だったってことだろう。私はあれから何か変わっただろうか。捻くれた精神はそのままだ。繊細すぎた感受性はいくらか鈍くなったけど、今日みたいな湿気の多い日はまたささくれ立って、自分と他人の境界がぐちゃぐちゃになる。

幸い、頼んだモカはフルーティな酸味があっておいしい。湿気で霧がかっていた思考がクリアになる。

私を中心に半径1kmの輪の中にいる人間の、楽しい感情も悲しい感情も全部受け止めなければならない気がしてしまう時は、単に疲れていて、感覚が過敏になってるだけだと知ったのは最近のこと。さらに感覚が過敏になってるのは梅雨の時期だからっていうのも知ってる。私が輪の中心なわけがなくて、そもそも輪なんて存在しないのだ。(あと、天気が不安定な日にカフェイン摂ったらいけないのも知ってる)

記念?にカウンター席からコンコースの写真を撮ってみる。持ってきた一眼カメラじゃなくて、スマホでこっそり。カメラは好きだけど、人はもちろん街や建物にも一眼のカメラのレンズを向けるのは憚られる。私だって知らない誰かの被写体になるのは嫌だ。写真を撮るのは好きだけれど、歳を重ねるにつれモラルとかマナーがますます気になって、"好き"の感情が乾いてきているのを感じる。そもそも誰もが気軽にスマホでハイクオリティな写真が撮れて自由に加工できる時代の写真の価値にずっと疑問を抱いている。上手く撮れた!と思うのと同時に、これインスタで見た写真と同じだな、と冷める。設定いじくり回して撮った一枚は、スマホでサッと撮れる一枚とさして変わらない。動画が主流の時代に一瞬を切り取ったところで、印刷するわけでもないのに、一体何になるのか。そんなこと考えながら撮ってるからか、当たり前にいいものは撮れない。腕も上がらない。カメラを持っててもかつてのような高揚感は全くない。さっきも青にピンクに照らされたクラゲを撮ってみたけど、なにも面白くなかった。クラゲの気持ちになって勝手に悲しくなった。クソだ。心も思考もどっちもクソだ。

あー、ダメかつクソな日だ。

家にいればよかったのに、カメラなんか持って、外に出るから。いや、家にいようがいまいがダメさは変わらなかったと思う……ちょっと出費が嵩んだからやっぱりマイナスかもしれない。本当にひどい。最悪だ。

ダメな日は、ダメな現実を真正面から見据えて受け止めることが大切ということはここ数年で学んだ。未熟でプライドの塊だったかつての私は現実をポジティブに捻じ曲げて素敵な日に捏造することで自分を守ってたけど最終的には自壊した。
でもしっかり現実を受け止めた上で、ダメな理由は全部運気とか天気のせいにする。だって誰も悪くないもの。そして次の一手を見出す。私は今日という日に抗う。ベッドに入る頃にはもう傷だらけでぼろぼろだろう。こうやってエッセイみたいに全部をネタにして1日を締めくくるのも、後から見返すと痛々しいからきっと後悔するけど、やめない。公開までしちゃうもんね。
まだ体力は残っているので、これからライトアップされた東京駅でもカメラで撮りに行こう。きっとまた思うように撮れなくて落胆するけど、撮りたい気持ちが少しでも残っているのなら、それに縋ってみるべきだって、下界からあの時の私が叫んでいる。

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