井上ヤスオバーガー服部緑地野外音楽堂【野音でガオーン】行ってきた。井上ヤスオバーガーという人
幸せだった。
今年2月から、ライブというものから離れて、発信場所をネットに求めたり、コロナ第1波。ロックダウンの頃には、気持ちが滅入り、動けなくなったり。
色々あって、人と会うのが怖くなっていた僕。
でもこの企画だけは、それよりも以前にチケット買っていたもの。
直前まで、ぶっちゃけると今の【第3波】の存在が怖くて、行くか、行かないか。悩んでいた。
僕の、通称:人怖病も、今月入ったくらいから、落ち着いてきたので、「コロナより心が腐る方が怖いんだ!」と強行して大阪まで行ってきた。
井上ヤスオバーガーという人
この変な名前の43歳のおっちゃんは、夢をみた普通の若者だった。バンドを組んで売れようとしたが上手くいかなかった。
彼はアコギで1人で歌い始めた。某有名人が経営する店で歌っていた。そこで給料を貰って食っていた。
一方その頃、アコギ1本持って、全国を回るスタイルが確立していく。
現代版の【流し】だ。昭和の流しは、みんなの知っている歌をお客さんからリクエストを受けて歌うものだ。
ただ、全国を回り始めた筆頭ミュージシャンが、昔スターリンというバンドを組んで平成初期のバンドブームの中、当時の若者の中で神格化された遠藤ミチロウだった。
どこに行っても、スターリンファンは居るので、「あの遠藤ミチロウが居酒屋で歌っている!」
と騒ぎになり、誰もリクエストなんてできる状態じゃなかった。
遠藤ミチロウは弾き語り仲間を連れていった。
そして、仲間をマスターに紹介した。47都道府県全てだ。
その仲間、その仲間、とドンドンそういった【年がら年中旅して歌う人】が生まれてきた。
井上ヤスオバーガーも、後発ながら、その流れに乗った。
井上ヤスオバーガーの歌
彼の歌は彼自身だ。メロディにも、歌詞にも、ギターのストロークひとつにも、その暖かい人柄がにじみ出る。
決して背伸びをしない。温かさや情けなさや、色んなものが描かれている。
空は遠い記憶の青
雲は可能性の白
そこには歓びの声
理由も解らず流す涙
心に旗を立てて 風を感じるように
心に旗を立てて 合図を逃さぬように
【ココロの旗】
麺類が好き毎日でも好き
ラーメンもうどんも蕎麦も
スパゲッティも韓国冷麺も好き
だけど素麺は好きじゃない
パンチが足りないから
お酒も好きほどほどに好き
ビールも焼酎も日本酒もウイスキーも
赤ワインもカルピスチューハイも好き
だけどジントニックは好きじゃない
昔吐いたから死ぬほど苦しくて泣きながら吐いたから
【この素晴らしい世界】
2曲目の歌詞とタイトルが、かけ離れてるのはさておき、等身大の大きさを、バーガー流に組み込んで発する。
ただ、ただ、大天才だとぼくは思ってます。
25年目の挑戦
バーガーさんがいつ、音楽を始めたのかは正確には知らないけれども、仮に18歳だとしても、43歳で今年で25年だ。
25年、音楽を続けてきた。【音楽】という自営業なんて、不安だらけだし、その日その場勝負だし。トラブルも山ほどあっただろうし、奥さんも、子供もいる。
遠藤ミチロウは、闘病の末、亡くなった。気がついたら先輩より後輩が多くなった。
25年で1000人のフェスをやる。実際ご時世で1000人は集められなかった。それでも、来てくれたお客さんは、リスク背負って来てる。
それを分かってた。
オープンからスタートまでの間。バーガーさんと仲のいい。バーガーさんを愛してやまない人達が、1本のギターで1曲づつ10人順番に歌った。
共に戦ってきた大切な仲間が、タスキを繋いだ。
10人が終わり、BGMが流れる。注意事項を細かく伝えられる。席について、マスクをして、声を出さないで。
いつものライブは出来ない。
お客さんもそうだ。バーガーさんを愛してやまない。ひと席づつ空間を開けるように、設定されている空席に、風船を貼り付けた。少しでも寂しくならないように。
BGMが、一際大きくなり、バンドメンバーが出てくる。一人ひとり、拍手が送られ、最後に出てくる。
さっきから、ウロウロしてたのに、やっぱりステージに出てくる時は、涙が溢れそうになった。色んなものが駆け巡った。バーガーさんの25年、そして今年のこの状況。それでも決行した覚悟。
等身大の歌が響く。カッコ良さもカッコ悪さも全部飲み込んだ。ありのままの歌が、1000人のキャパの野外ステージに響く。
序盤にステージで話していた。
「お手本になるようなライブにしたい」
アンダーグラウンドの音楽を支え続けた彼だから言える言葉だった。
後輩として、リスペクトはもちろんある。ただ、ステージの上にいると距離がある種近くなる。テレビの中の人を年上でも「君付け」で呼ぶような感覚に似ている。
愛しかないこの空間丸ごと、愛おしくて仕方なかった。
15時から始まったステージは、あっという間だった。気がつけば16時50分、あたりは暗くなってきた。
ライブも終盤、代表曲も惜しみなく歌った。
アンコールの最後、このステージの最後、何歌うんだろう?、ふとそんな事をおもった。
本編が終わり、アンコール。
アンコールは2曲だった。1曲目は僕の大好きな歌
楕円を描いてグルングルン回って近づいたり離れたりして
螺旋を描いてグルングルン回ってどこまでも昇ってゆく
【ダエンノラセンヲノボルノダ】
壮大なバンドサウンドでこの曲を聴く。本当にエネルギーが野外ステージの空に飛んでいきそうだ。
この1曲が終わり、バンドメンバーはステージを降りた。バーガーさん1人になった。
アコギ1本。いつものスタイルで歌った。【シンガーソングライター】
僕はしがないシンガーソングライターです
小さい頃の夢は水族館の飼育員でした
僕はしがないシンガーソングライターです
ラララ ラララ歌って今夜も酔っ払って眠るだけです。
ここへきて、しがないシンガーソングライターと彼はいう。愛して愛されて、みんなに連れてきてもらった1000人のステージ。
その上で歌う最後の歌。
大袈裟に愛と平和を 安心な夜に 希望の朝を疲れ果てるまで歌うのです たとえ届かないとしても
涙がもう止まらなかった。
日本のたった1部のこの空間を、もっともっと広げたら、もっともっと世界は優しくなるのに。
来年も、やると決めたって、教えてくれた。
来年も必ず来よう。それと、僕も動こう。
バーガーさん。本当にありがとうございました。
バーガーさん本当にお疲れ様でした。