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欲深い

わたしは、欲深い。

悪い事とは思っていない。


自分が幸せである為に、どんなに重たいものが後ろからわたしを引っ張ろうが、わたしは、腰に力を入れ、両足を踏ん張りながら、一歩一歩、前に前に踏み進めてきた。


わたしが、見たい物。見たい景色。

それらを見るための欲。


それを叶えるためには。



生まれつきもらえたもの、経験と共に培って来た自分、その時、その時に持っている、使える、武器となる物、道具となる物、それらは、いつも、充分にあると思っている。与えられていると思っている。


誰かの持っている才能や、武器や道具を見て、羨ましいとは思わない。
わたしには、充分に、今のわたしの持っているもので足りている。


それらを、感謝しながら使って行く。


誰かの持ち物に、意識がいって、わたしにはない、と言い続けていると、失って初めて気づく様になる。

ある時に、気付けないものは、失った時に気付く様になっている。

わたしは、自分だけの宝を、自分にしかないもので勝負する。

今ある全てを使って、今ある自分の魅力を頼りに、それらに感謝して、そして、

欲を叶える。




そして、わたしの欲は、自分が本当に欲しいものに向けられている。


あの人のあれが欲しいとか、あの人の様になりたいとかは、それらには、見向きもしない。


その人の中で幸せそうに、心豊かに生きている人を見ると、その人がどの様な思考や行動で、前進しているかは知りたくなるが、その人の欲しいものとわたしの欲しいものは、違うかもしれない。

けれど、自分の人生を生きている人からの学びは、とてもとても大きい。


誰かに認められる為に得たり、誰かに自慢する為に得るのではなくて、わたしの心の為に欲しいもの。
叶えたい事。
その為に、ある物、与えられた物を使って、出来る事を試していく。



欲は、悪い物だと思われるのかもしれないけど、どれだけ欲を捨てようと思っても、捨てられるものではないのではないかと思う。



わたしは、幸せな人に囲まれていたい。

それぞれに、築き上げる、豊かさや、幸せを、分かち合って生きていきたい。

これも、一つの欲だと思っている。


幸せの中に留まる事は、簡単な事ではない。

幸せな人に囲まれているという事は、それだけ、数々の山を乗り越えて、苦しみや悲しみ辛さを、乗り越えて、辿り着いた人と共に生きている、と言える。


それは、どんな地点であれ、皆、実は幸せに向かって歩いていると言うことなのだとも、言えると思う。


幸せでいたいという欲は、とてもとても大切な欲だとわたしは思っている。








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