Xデザインフォーラム デザインリサーチとUXリサーチ
2022年9月4日(土)に実施されたXデザインのセミナーのリフレクション。自分の学びや気づきを整理。
第1部 デザインリサーチを考える
「デザイン的と研究的のわずかな拡張〜コンテクストデザインの運動から」渡邉康太郎 (Takram)
渡邊さんが実践されている「コンテクストデザイン」を踏まえて研究とデザインリサーチに対する考え方についての話題提供。
デュシャンが提起した「誰もが表現者であり鑑賞者である」ということを野沢凡兆、芭蕉、向井去来の連句・連歌の事例から読み取る
発句、脇句、第三句
前の句に対する解釈を自分が行い(鑑賞者)、自らが続く句を唱える(表現者)
「読み替え」が起こることが重要である
連句・連歌をすることは、「場」に自分が入ることで、そこにあるものを解釈し(観察し)、そこから自分の歌を唱える(主観的に立ち上がるものつくる)ことと解釈すると、参与観察の営みと読み取ることもできる。
「私がかかわるできごとのわかりかた」 富田誠(東海大学)
私がかかわることとはなんなのか、わかるとはなんなのか、について自身の実践する研究から話題提供。
「わかった」は不可逆性が高く、「覚えた」は不可逆性が低い
「わかる」を分解すると「かもしれない感」と「じゃない感」がある
早期に「じゃない感」と出会うことは、多様な可能性のなかから行かない方向を決めていることであり、デザイン・プロセスのなかでプロトタイピングが重要といわれることに通ずる。
他、印象に残ったのは、研究における対話のなかで生まれた「感想以上研究未満」という言葉。
知恵を組み合わせる
自分でわかる
第三者が見てもわかる
SECIモデルで解釈すると、知恵を組み合わせる(試行錯誤する)、自分でわかる(暗黙知)、第三者が見てもわかる(形式知)プロセスともいえそう。
第2部 UXリサーチを考える
私の履歴書と新しいUXリサーチャー像
UXリサーチャーとして第一線で実践される方々から、各人のキャリアリフレクションを通じた学びが語れた。三者三様のキャリアではあるが、リサーチをする営みを通じて、他者と出会い、そこから自分が変わる(わかる)ことが語られていた。
松薗氏(メルペイ)から「”知る”ことで、巻き込まれ、自分が変わらざるを得ない」という言葉があった。そこには不可逆的にわかっていく、忘れることができない状態に私が誘われる、するされるでは捉えられない「中動態の世界」があるように感じた。
リサーチャーという立場は「客観的」に振る舞うことをよしと考えがちだが、主観性を排除したデータを示すこと自体がナンセンスである。だからこそ、主観性をも受け入れ、その上でデータと私たちがどう向き合うのか、対話していくか、開いていくか、そういったあり方や関係性を模索することがより一層重要になると考えられる。