仕事で心が折れる ~道端で拾う小銭
小銭が落ちているのを見かけることが時々ある。見かける時は結構立て続けで、しばらくたつと、全然、小銭を見かけなくなる。
見つけた小銭を拾うかどうかについて、ネットにはいろいろな話がある。さすがだ。
たとえば、
・小銭を拾ってはいけない。なぜならば、働いていないのにお金を入手するのは邪なことであり金運が落ちる
・小銭を拾ったら、その5倍のお金を他人のために使わなくてはいけない
・小銭も神様のくださった金運だからありがたく拾うものだ
・表向きの小銭はラッキーだから拾うけれど、裏向きはアンラッキーなので拾わない(場合によっては、拾わないけれど表向きにして立ち去る、などもあり)
などなど。
わたしは、拾う。なんだか、小銭に勘定移入してしまうのだ。
よく、お金持ちになりたかったら、お金と友達になりなさい、と言われるではないか。それで、小銭の気持ちになってみたら、そりゃ拾ってほしいと思った。なので、拾う。そして、汚れを簡単に拭きながら語りかけてみたりする。「寂しかったねー、心細かったねー、人の幸せに役立つように作られたのに、落っこちてて悲しかったよね。もう大丈夫だから安心して、わたしの幸せに貢献してね」と小声で話しかけて、その小銭をにぎりしめてコンビニに入りご褒美お菓子などを買ってその支払いにあてる。
小銭に語り掛けてる時は、自分のこれまでの社会(主に会社)の中での報われなかった日々が思い出され、もう、小銭が他人とは思えなくなり、うるうるしてしまうのだ。当然、ハナもすする。
私は大真面目だけれど、多分、周囲でうっかり目にしてしまったら、かなり不気味だと思う。どこかで見かけた方、ごめんなさい、あれはわたしです。おそらく。
多分、小銭は喜んでくれてると思う。そう、もう、その小銭とは友達になった。はず。それなのに、なぜか私が「お金持ち」にならないのは、支払いの時に、こっそり「また、おっきな友達(=お札)をいっぱい連れて帰ってきてね」とつぶやくせいだろうか。小銭からすると、「安心してね」と言ってた舌の根も乾かないうちにホトバシル下心を見せつけられた、と思うのかもしれない。
ただ、その後、立て続けに小銭を拾うことが続くのも事実なのだ。これはやはり、小銭が他の小銭も拾ってやれ、となにかテレパシーのようなものを送ってくるのだろうか。なんとかそれを大きいお友達につないでもらう方法はないだろうか。
。。。と、かなり真剣に考えていたことがあるのだが、ある日、いきなり気づいてしまった。
小銭を拾うことはなぜか続くのも、拾った小銭に語り掛けてる間に涙ぐんでしまうのも、それは、その時に、自分が文字通り「下を向いて歩いている」からなのだ。仕事で心が折れていて。で、歩くペースも遅くなる。そして、一旦、心が折れると数日ひきずるからなのだ。
だから、もともとしょんぼりしてるし、連想するのも報われなかった日々ばかりになるのも当然といえよう。
なんだ、そうだったのか。
うっかり見かけられたみなさま、お騒がせしました。大丈夫です。わたしは正気です。