我々は本当の社会主義経済を見たことがないし、知ることはできない。
2023/11/27伝網投稿論評。https://note.com/precious_nijiko/n/nc831ded6992e
記事の真偽は不明だが、習近平がこう言ったとしたら彼も資本主義言論界の影響下にあることが分かる。
また資本論の解釈もその範囲に閉じ込められていることがわかる。
つまりこの程度だと分かる。
人類が生活の必要から物々交換が始まり、貨幣交換に移行したのは経済学の常識であり、マルクスエンゲルスが想定していなかったなどという理論は、現代人がその常識的経済学を知らないことをいいことにした、難癖の類と言わざるを得ない。
現代人の我々も、人類史初期イチバ経済の実態とその知識を特別に思い返し確認はしない。
しかしマルクスエンゲルスが生きていた当時は、経済学と経済を云々する人々は僅かであり、また経済学が確立して間もない時期であったため、
経済学理論を語る人々にはその初期商業市場とその商業経済主義(商業資本主義以前)の実態を知ってることは当然な常識でした。
つまりマルクスエンゲルスと当時の知識人たちにとっては語る必要がないことなのです。
また目の前の市場経済の事実がそうあるのですから。
ただ私も貴方や私たち現代人は、それを自覚的分析的には知らないのです。
私たちが体験し知っているイチバ生活経済は、小規模商店は潰されなくなりスーパーとコンビニが残る矮性市場経済なのです。
シャター商店街市場経済なのです。商業資本主義経済と資本主義市場経済とも別な経済現象のことなのです。
ロシアも中国も資本主義が未成熟な遅れた社会のことでしたから、そこで起こした社会主義革命もその遅れを取り戻す物ではなかったのです。
レーニンも毛沢東が生きていた当時の 市場経済は、マルス資本論でさえ書籍としての本も輸入されてないし、翻訳されてもいない社会状態ですから、
社会主義建設を創造していく初期に、その生活場面としてのイチバ経済を自覚して作為計画できなかったはずだし、しなかったはずなのです。
レーニンはその経済計画の不備を自覚して計画を修正しなければならないと公表した時に病気が発症して、急速に第一線から姿を消していきました。
その後を引き継いだスターリンは資本論を読んでないことは明らかだし、他の常識的な経済学の書籍理論も身に付けていません。
イチバ経済を自覚して作為計画できなかったはずなのです。
そこで社会主義計画経済なるものが、デッチあげられてしまうことになったのです。
それでも実際生活の場面ではイチバ経済はそのままあったので市民や国民は生活出来ていたのです。
表層の計画経済の経済要素が徐々に枯渇していき、官僚主義が広がるにつれて計画経済が徹底され行く中で、さらに物かない経済と社会及び国になって行ったのです。
しかし労働生産は続いてあり、裏のイチバ商店の物流と消費経済は、絶対的に必要なシステムですから実際はにあったのです。
経済学を学んだ人は分かるのですが、原始から古代にあった生活必需品の交換とイチバの形式と時代は二度と戻っできたりせず、再現されることはありえないのです。
ここにも、私の哲学箴言を記しておく。
つまり現代人類が自覚するべきことを、これを解決しないと人類未来が拓けないことを、人々の愛も幸せも真理もないことを記しておく。
社会の姿は5つある。
1.個人が日々生活体験する時空。
2.報道記事が描き出す社会。
3.社会・科学が示す社会。
4.宗教が作り出す社会。
5.哲学が示す社会。
本物実物の社会はどこにあるのだろう?人々は仮定や措定として現実だと倒錯している。
ここでは「社会」をいってるが、宇宙と地球や自然、国々、人間、歴史の言葉を代入してもいい。
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