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楽に生きたい


過去の自分におきたことを昨日のように思い出して恥ずか死ぬことや、憂鬱になることはありますか?


ぐらはある。しょっちゅうだ。


今日はそんなぐらの学生時代をまたほじくり返して書き殴ろうと思う。


小学校の頃から背の高かったぐらは見たまんまのあだ名をつけられていた。

大仏、ジャイアン、デカetc…


力もそこそこ強かったぐらは本当に嫌な奴だったと思う。


その頃の暗黒歴史を思い返すと本当に自己嫌悪に陥る。


今思えば思春期だし中二病なんだよね。
恥ずかしいわぁ。


高校生からの反抗期はひどかったなー。
朝学校へ行くフリをして遊びに行ったり…

そのままバイト行って友達の家に泊まったりオールしたり。

加藤ミリヤちゃんのロンリーガール気取りですわ。笑


見た目が老けてたし、年上の人達といることが多かったから幸いなことにお巡りさんのお世話になったことはなかった。


でも、両親には会う度にケンカしていた。


ずっと放って置いたくせに、今更なに親みたいなことしてんだよ。
って当時は思ってた。

ぐらは中学からお弁当だったのだが、
母が作ってくれたことはない。


いつも姉と交代で作っていた。


しかもお小遣いをくれなかったので、たまにはパンが食べたいな、って時も買えなかった。


中学時代、オシャレな美容室へ行きたくても行かせてもらえず、母の行ってたおばちゃんがやっている美容室に行かされていた。


洋服が欲しいと言えば、足が太いんだからこれは似合わないとか、色気づいて何様なんだと罵倒されて買ってもらえなかった。


1番ひどかったのは下着かな。

姉のお下がりだったのだ。
パンツは自分のだけど、ブラジャーは中学の間で1枚か2枚しか買ってもらった記憶がない。


小学校で身長が伸び切ったぐらは5年生くらいには結構けしからん体型をしていた。


しかし、母はブラジャーを買ってくれないのだ。


日に日に大人になる自分の体をどうしたらいいのか受け止められず、すごく嫌だった。


小学生の頃には姉の背を越していたのに、
姉のお下がりのスポーツブラジャーを着けていたのだ。
お下がりのブラジャーなんで、アンダーのゴムが伸びてて正直着ける意味がわからないものをつけていた。
あんまりにも下着が足りなくて一回だけ水着をキャミソールみたいにして着て行ったことがある。

え、かわいそう。


そんなこんなで高校生になってからは荒れた。


バイトして自分でお金を持てるようになってからは本当にひどかった。


母は私にかかるお金を払わなくなったのだ。

携帯、教科書、交通費は全部自分で払いながら高校へ行ったし、

自分が服を買ってもらえなくてすごく嫌だったから、妹には何枚も服と下着を買ってあげた。


時給700円〜の高校生なのに税金取られるくらい働いた。

今のぐらよりお金持ってたと思う。

車の免許も全部自分で払ってとった。

まぁ、今思えば家があって他に払ってもらっているお金は絶対にあっただろうけど、その頃の視野は本当に狭くて、反抗しかしなかった。

母から見たらかわいくなかっただろうね。

だがしかし、産まなきゃよかったは言い過ぎだ。


この発言は今も許してない。


ぐらも息子がいるが、産まなきゃよかったなんて口が裂けても言えない。言わない。


憂鬱なぐらの学生時代はまだまだ吐き出していこうと思う。

当時は本当に家が嫌だった。

そんなぐらのお話でした。


ぐら


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