豊かさの本質とは。
皆さんは“豊かさ„と聞いて何を想像しますか?
きっと多くの人は“都会„のように物にありふれた光景を想像すると思う。もちろんお金もあると思う。
その想像は決して間違いだとは言えない。ある意味では正しくてある意味では大きな間違いだからだ。
表紙の写真は、ブータンで撮ったタクツァン僧院の写真です。この写真1枚から分かるようにとても壮大で美しい僧院です。
これらはブータンのパロ空港で撮った写真です。
ではこの2枚の写真を見てどう思いましたか?
「どこ?」「何もない」「綺麗」「いい天気」色々な答えがあるでしょう。中でも私が注目したいのは「何もない」という考えです。
たしかに。そこには綺麗な空と山しかありません。
では都会と比べてどちらが豊かでしょうか?
答えは単純じゃない。というか無いのかもしれない。
私ならこう答える。
「どちらも。」と。
私は昨年の夏、ゼミの校外実習でタイとブータンへ行きました。正直行くまでは「何もない田舎で大丈夫かな?」「Wi-Fiとかあるかな?」「食べ物は口に合うかな?」「病気とか大丈夫かな?」
出てくる疑念は全てマイナス。もちろん楽しみ気持ちもあったけれど。
そして私は帰ってきて、それらの感情がどれだけ自分の視野が狭かったが故のものなのかと自分を恥じた。
たった2週間の滞在で私の考えは180°変わった。
豊かさ=物質的なものではないのだと。
話を戻そう。
都会には、飲食店・ショッピングセンター•ビル•整ったインフラ•多すぎる人。
まるで何でもあるかのようだ。
ではこれはどう?
綺麗な空•山•川•海•豊かな自然。
言うまでもないが、都会にはない。
少し尖るが、都会に住む人、都会に憧れる人たちは都会を誇り、田舎と呼ばれる地域より優れていると思い込んでいる。
その理由は単純。
田舎よりも経済的に裕福だからだ。
では、先に述べた豊かな自然が、田舎と呼ばれる地域がなくなったとしたらどうでしょうか?
田舎は経済的に劣っているからと開発され、都会しかない世界。
豊かな自然?経済があれば大丈夫!
そんな訳がないだろう。
田舎が、豊かな自然がなければ我々人類は水も飲めない、野菜も肉も食べ物全てが手に入らない。
もちろん化学が進化して無からそれらを作れるようになった世界ではそんなことはないかもしれない。
しかし現在、そんな化学はない。
化学を完全に否定するつもりはない。化学は素晴らしい。私は全くと言っていいほど知識はないが、化学は必要だと思う。
がしかし、そんな有能な化学も、豊かな自然無しでは、人類が生きるための水、食べ物がなければ何の役にも立たない。
都会ベースで話を進めたが、田舎ベースで話してみよう。都会は消滅して、田舎と呼ばれる豊かな自然しかない世界を。
きっと想像するまでもなく今よりずっとずっとずっと不便な世の中だろう。車もなければビルもないし今私が使っているスマホもないのだから。
しかし人類が生きるための水、食べ物はありふれた世界。
ではもう一度皆さんに質問です。
都会と田舎、どちらが豊かでしょう?
最後にブータンで撮ってきた写真を載せておきます。
初投稿。拙い文章で申し訳ありません。
人類が忘れてはいけない感覚。想像力を働かせて色々考えてみてください。少しでも納得してくれたら幸いです。
ゆうが。