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【遅咲き桜の蕾が開く時】第二話 過去

第二話 過去

桜は恋愛というものがよくわからない。

元々人付き合いも苦手だし、思春期になって同級生が恋人を作るのを見て、どうやったらああいう風になれるのか、わからないまま歳を取った。


東京から新幹線で約2時間の距離にある、雪の降る地方都市で桜は産まれた。
40代間近の両親にとっては、年齢的に子作りを諦めていた頃に授かった、待望の子供。
4月に産まれた為、春らしい古風な名前が良いと母が『桜』と名付けた。
桜を見つめる時のように、周りの人を穏やかな気持ちにさせてくれる様な子になって欲しい、という気持ちも込められていた。
比較的のんびりと何不自由なく幼少期を過ごしていたが、小学校3年時の担任が桜の国語の成績を誉めた事で自体は一変する。


「ねぇ、パパ。桜は国語の才能があるのよ!作文が素晴らしいって!塾に通わせるわ!」


元々娘に過干渉気味だった短時間パート勤めの母は、弾む様な声で会社から帰宅した父に声をかけた。
母の中で何かが変わった。これを機に教育ママに変貌したのだ。

担任の先生からすれば、良い所を伸ばそうとそれぞれの生徒を褒めたに過ぎない。
しかし純真な母は、自分の分身とも考えている娘が賞賛された事で、ならば優秀作品を作り上げようと娘の成績に生きがいを見出すようになってしまった。
一般的なサラリーマン家庭の給料じゃ進学校に通えないと、母はパートの時間を増やして教育費を多めに捻出してくれる様になった。

塾に通うにあたって、桜の賛否の意見を聞く者は誰1人としていなかった。
そして桜も塾に通う事に疑問を持たず、母が望むのなら、と進められるがまま入塾した。
小学生のうちから熱心に塾に通い始め、地元で有名な女子中高一貫校に受験入学。 


塾に通い始めた頃から友達は減り、中学は学区外だった為、同じ小学校から受験した別のクラスの1人しか知り合いはいなかった。


何よりも勉強を優先するしかなかった。
そうしなければ威圧的な母の機嫌を損ねてしまう…機嫌を損ねると自分は捨てられるかもしれない。
一人っ子の桜はそれが怖かった。
仕事を増やした母の為にも期待に応えなければ。
強迫観念めいた感情が、自覚の無いまま幼少期から桜に無意識に重たくのしかかっている。
反抗する事は母を悲しませると思い、桜は必死だった。


大学は都内の有名私立大に進学した。
地方の学生からすれば快挙だ。両親はとても喜んでくれた様に見えたが…実際は父は桜に無関心で、金銭面の支援以外の教育自体には何も関与していなかった。
「うちの桜は勉強しか取り柄がないから!」
親族や近所の人に凄いねって言われる度にこのセリフを返す、母の優越感に満ちた顔しか覚えていない。


桜は勉強というタイトルのゲーム王国の、最終地点の門をくぐる許可を与えられたようで何よりもホッとした。自分がゲームの主人公ならボスキャラのいる最後の城に辿り着いたということか。
期待に応え続ける日々がやっと終わりを告げようとしている。
ここまできたのなら後はオールクリアを目指すだけだ。





母が決めた女子寮に入り、大学生活が始まった。



たくさんの同年代の人達で賑わうキャンバスは、地元では見かけないsns で人気のインフルエンサーの様なメイクや服装に身を包む洗練された人達に溢れ、桜には自分以外がキラキラ眩しく輝いている様に見えた。


大きな教室で他学部と合同の授業を受けようとした時、まだ慣れない校内を迷い出遅れた桜は、座る席を見つけられずウロウロしていた。



すると「ここの席、空いてますよ。」と大きな声が聞こえた。


桜を気使い、目立つように手を挙げて声をかけてくれたのは自然体で飾らない綺麗な女性だった。
黒髪のロングヘアーに、身体にフィットした黒いトップスにスキニーデニム。
定番服をオシャレに着こなすスタイルの良さと、少し日焼けしたほぼすっぴんの肌。
名前は風香、と自分から自己紹介をしてくれた。
それから桜を見つけると声をかけてくれて、会うと一緒に過ごす様になった。


風香は東京生まれで、親の仕事の関係でアメリカで生活した事のある帰国子女。
一緒にいるといつも誰かが風香に声をかける程、男女問わず知り合いが多い。
でも図書館で1人で本を読んでいる時もあったりと、バランスの良い人間関係を築けるタイプだった。
人付き合いを避けていつも1人でいる自分と正反対の位置にいるその姿は、自立心に溢れ、心に一本芯を持っている力強さを感じた。
桜も風香と一緒にいる事で少しずつ顔見知りが増えていき、誘われれば学内外問わず一緒に行動するようになった。


風香と同じ東京出身者の多い顔見知り達の10数名程のグループは、子供の頃から勉強ができるのが当たり前でそこから人生がスタートしているようだった。
留学経験がある者もいれば目指す職業も視野が広く、企業を考える者、外資系企業や海外移住を考えている者もいた。生活水準も高く、親が留学資金を出したり、当たり前の様に日常にハイブランドを身に纏って生活している者もいた。


何よりも社交性と行動力を兼ね備えている。
学業はもちろんの事、部活にも熱を入れていた人達もいて、他の大学に人脈がある人達も多い。
東京に実家があり大学に楽に通えるにも関わらず、一人暮らしをしている者もいた。


青春を勉強に捧げ、名のある大学に入る事を人生の目的としていた桜は度肝を抜かれてしまった。

自分が見ていた地方都市の進学校の世界は何て視野が狭かったのだろう、と初めて思い知らされた。


日本の首都、東京には全てが揃っている。
地方都市の一般的なサラリーマンの娘は、留学なんて考えた事も無ければ、与えられた事をこなすだけで毎日精一杯で、学生生活を楽しむ余裕なんてものは無かった。



とても自分が惨めに思えた。

勉強だけが取り柄だったのに、ここではそれすらも霞んでしまう。


初夏の汗ばむ陽気が近づいてきた頃、風香と仲間達から人生初の飲み会に誘われた。
どうやら知り合いのお店を貸し切り、学年問わず大人数で交流を深めるのが目的らしい。

東京に出てくる前に地元の量販店で買った、3000円のお気に入りの花柄ワンピースも、気後れしてここでは着るのが憚られた。でも他の人達みたいに質の良さそうな服を新調するお金の余裕は今の桜には無かった。



夕方、騒がしい繁華街で待ち合わせとなり、どこを歩いているのかもよくわからぬまま雑居ビルに入っているお店に辿り着いた。
ビルのワンフロアのお店を貸し切る程の大人数。軽く20人以上はいるだろう。
もちろん桜はお酒を飲んだ事が無いし、飲みの席というものがよくわかっていなかった。

普段大人しく見える人達でも、お酒が入ると日頃のストレスを発散するかのように声が大きくなり、1時間もするとみんな出来上がっていて自己主張が激しくなっているように感じた。

学生特有の騒ぐノリについていけず傍観していた桜は、慣れない飲み会の空気に頭がクラクラし、壁際の端っこの席に大人しく座っていた。
すると何度かキャンパスですれ違った事があり、顔を覚えていた1年先輩の男が声をかけてきた。


「そのワンピース、可愛いね。
 普段と雰囲気違う!
 他の子達みたいに競うように、
 流行りガチガチの服で着飾ってなくて、
 清楚で好きだよ。」

産まれてから一度も染めた事のない、桜の鎖骨位まである漆黒の、艶のあるストレートの髪の毛に指で軽く触れながら男は言った。
お酒が入っているからなのか、いつも饒舌なのかわからないが、男は人慣れしているようでフレンドリーに距離を詰めて話しかけてきた。

お店の隅で2人でひっそりとする会話は、盛り上がって中央で騒いでいる人達と完全に隔離され、宇宙に突き飛ばされた異空間のように邪魔が入らなかった。

桜は男に聞かれた事にポツリ、ポツリと返事を返しながら生まれて初めての感覚に襲われていた。
社交的じゃない事、勉強しかしてこなかった事、野暮ったい見た目だと自分が感じている事…男は桜が恥ずかしく思う部分を心地よく褒めてくれる。

上京してから抱いてた劣等感が少し解消された気がして、心が少し軽くなった。



気づいたらLINEを交換していて、数日後には一人暮らしのその男の家にいた。

そして、人生初のSEXをした。


初めてちゃんと嗅ぐ、同年代の男性の匂い。

初めて触れる、汗ばんだがっしりとした厚みのある肩幅や胸周り。

彼氏ができてからSEXをするものだと思っていたけれど、自分が求められた事が嬉しく訳がわからないままそれに応えてしまった。


『みんなこんな事をしているんだ。』


今まで感じた事の無い、男性の荒い息使いや力強さに桜は圧倒されっぱなしだった。


特段気持ち良かった訳では無いけれど、キスも何もかも初めての体験だった。
男は慣れているのか、初めての桜を面倒臭がらず程々丁寧に抱いてくれた。

行為が終わって側でタバコを吸う姿を見て、桜は大人の仲間入りをしたような気分になった。
何よりも男性の一人暮らしの部屋に入るのが初めてで、同世代なのに遠い世界に住んでいる人の様に感じた。

しばらくしていつも通り授業を受けていると、飲み会で一緒だった女の子達がヒソヒソとこちらを見ながら何か話している様子が見えた。


「見た目より遊んでて股が緩いんだね。」


大学の廊下を歩いていると、すれ違いざまに知らない女の子に耳打ちされた。
振り返ると甘い香水の残り香と、手入れされたロングヘアをなびかせながら、ヒールの音をコツコツ鳴らして歩くスタイルの良い後ろ姿が目に入った。


桜は激しく動揺した。


同時に、他人に男との関係を直接言われた事で、ほんわかした自分と相手だけの夢の世界から引き摺り下ろされ、世間中からゴシップを元に避難されている有名人のような感覚になった。
誰も知らないはずの2人だけの行為を世間が知っている。
全身に鳥肌が立ち、見えないものに避難されている恐怖に包まれた。



『好きかどうかもわからず、誘われた男と簡単に寝た事を知ったら母はどう思うだろう。
こんな事、怖くて絶対に言えないし、知られてもいけない。』


自分が粗末に扱われた事よりも、こんな時でも桜は母の目を優先していた。
気づけば男にLINEをブロックされていた。廊下ですれ違っても男は目も合わさず、桜の前を無言で通り過ぎた。


『きっと私が入ってはいけない世界だったんだ。そもそも高校時代も友達付き合いをした事が無いのに
 あんな高いレベルの仲間になろうとした事がいけなかった。
 私は今まで通り、学業というゲームの世界をクリアする事を目標に生きていかなければ。』


自分を責めて相手から距離を取ることで、最初から何も無かった事にしようと自分の心を守る為に必死だった。
そこからはまた勉強に専念する日々が始まった。
人と関わると自分の解決できない、厄介な問題事がきっとまた起きる。
だったら1人でいる方が気が楽だ。


休みの日はたまに1人で都内をぶらつき、後は授業を休まず出てバイトもせず真面目な大学生活を過ごした。ほぼ毎日大学と寮の直行直帰。
外に出る事もそうそう無く、散財もしない為親からの仕送りだけで十分生活できた。
勉強という与えられたやる事さえ有れば、自分の心を保つのは平気だった。



「桜ちゃん!
 最近あまり会わないけど元気なの?」


相変わらず風香は桜を見かけると声をかけ気にかけてくれる。あえて桜は風香を見つけると見つからないように避けていたが、風香は1人でいる人を放って置けないタイプなのだろう。
けれど人と話す気力が桜には無かった。
風香と仲良くすると、耳打ちしてきた女の子達とのグループとも必然的に関わる事になる。

風香は我関せずという感じで桜に声をかけてくるが、後ろに佇むその女の子達の視線が嫌で桜は自分から距離を置いたのたった。


「風香が声かけてるのにさー…感じ悪いよね」


またあのグループの女の子達が聞こえる声で桜に何か言っている。
言い返す勇気もないまま、桜は1人でいる事を選んだ。
風香にその女の子達や男と寝た事の事実を伝えて、拒否されるのも怖かった。
しばらくすると風香も桜に声をかけなくなった。




就職は真面目さを買われて大学から推薦をもらった。
新宿にある大きなビル一棟がその会社で、同期は5名。
なかなかの大手企業だった。
新宿から40分位の場所に部屋を借り、社会人生活が始まった。
大学の学部で勉強した事はほば生かされない一般企業。
桜は企画開発部に所属になった。


大学までとは一変、1日に社内外たくさんの人と同時にコミュニケーションを取らないと仕事が回らない。
最初は新卒だから、と寛容だった同僚も、半年を経つ頃には小さな仕事でも言われた事でしか進められない桜に苛立ちを現す人が出てきた。
本来なら励ましあう関係の同期ともうまく距離を測れず、変わり者扱いされて浮いていた。
相変わらず雑談そのものが苦手だった。


何のためにこの会社に入ったのか、何のために働くのか。
根本的な事から何もかもわからなくなっていった。
人とうまく付き合えない苛立ちが、小さな雫となってどんどん心に散り積もっていく。
うまくいかない事を他人に話すことも人間にとって大切なストレス発散のツールなのに、そこをもがれている桜はますます内向的になり、自信が無くなっていった。


約1年で、桜は潰れた。


ストレスの雫が心のタンクに容量満杯になった時、溢れ出し大きな洪水となって桜を襲った。
何の変哲もない至って普通の日に、一人暮らしの部屋から突然出られなくなり、会社を欠勤した。

自分でもよく訳がわからない。でも会社に行こうと思ってもベッドから起き上がれず、身体が拒否してしまう。
最初は2日位休めば何とかなると思っていたけれど、欠勤が1週間続いても何も状況は変わらなかった。
一日中ベットの上でパジャマで横になって過ごし、食事も電話でピザの宅配を頼みそれを1日かけて食べた。


無気力過ぎて何もする気が起きず、何も食べない日もあった。
もちろん風呂にも入らず歯も磨かかない。



ちょっと普通じゃないかもしれない。
今までに感じた事のない身体の力の入らなさ、食欲の無さに身の危険を感じた。
桜は電話で母に助けを求めた。

母は部屋にすぐ駆けつけ、青白い顔をした桜を見て病院に連れて行った。
内科に行くと精神科を勧められた。
予約をとり診療を受けると鬱病と言われた。
母親と逃げるように東京の部屋を引き払い、会社も診断書を出して退職した。




そうして地元に戻ってきて、約10年。
数年実家で療養し、最初は短期のアルバイトから生活を立て直し、3年前から母が知り合いに紹介された今の職場で働くことになった。

『ボスキャラの住む城には辿り着けたけれど、
 お姫様は助けられなかったな。
 ここで私の人生はゲームオーバーだった。』

桜は自分自身に落胆した。


何を目的に生きていたのか。
よくわからない。

ただ、紹介された仕事だけは自分なりに頑張ろう。
やはり母を失望させたくない。
こんな事態になっても、まだ母基準で考える自分がいた。



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