突然、日記を書いてみようと思った。
Twitterに登録して10年経った。
小学生のころからやっていたブログは中二病の完治に伴い辞めてしまったため、私の脳は140字以上で語る機能をすっかり失ってしまっている。
幼少期は本を読むことが大好きで、国語のテストは大得意だった。自分は勉強が得意だと信じていた。他人より教養があり思慮深く、表現力に長けた人間だと思い込んでいた。
中学生で小説家になりたいなんて憧れて、文章を書き始めたとき初めて気付いたことがあった。「私は"完成させる"のが極端に苦手」だということだ。
新品のノートに書き始めた小説はすべて数枚で頓挫した。単純なショートショートすら成立しなかった。星新一は天才なんだと知った。ノートは使い切ることもできず、数ページ落書きして捨てた。小説の才能「は」ないんだと思った。勉強を頑張ればいつか何かは書けると自分に言い聞かせた。
高校生になると小論文や作文を書く機会が増えたけど、すべて話の途中で舌を抜かれたみたいに不恰好に終わった。進学校での勉強は楽しかったし成績も悪くなかったから、自分への期待は捨てられなかった。まあまあ頑張ってまあまあいい大学に受かった。
いちばんショックだったのは、大学1年生の夏、ただの1つも期末レポートを書き上げられなかったことだった。さらに情けないことに、見て見ぬふりしてきた自分の性質を目の当たりにしたからといって何か革命が起きるわけでもなく、そのまま授業に行くのをやめてしまった。結局大学は4年間サークルで遊んで逃げるように退学した。
そのあと少しの期待にしがみついて東京で就職してみたけれど、生活はままならなかった。
こんな風にして、文章だけでなく仕事や人間関係、生活まで中途半端にして投げ出す人間が出来上がっていた。同時に、臆病な自尊心と尊大な羞恥心もたくましく育っていった。
自業自得で削った心が砂みたいに積み重なり狭いワンルームをどんどん満たしていって、面白いように呼吸困難になった。本も読めなくなったし、SOSを発するための言葉すら口に出せなくなっていた。
だから今の恋人と出会ったとき、地獄に垂らされた蜘蛛の糸みたいだと思った。しかも飛びついてみたら思ったよりも強いロープだった。ヤッピー。人を見る目だけはしっかり磨いてきて本当によかった。
大好きな人と一緒に暮らし始めると、今まで吸収できなかった養分が全身すみずみまで生き渡って、みるみるうちに呼吸が楽になった。1日中歌ったり騒いだり踊ったりしている。なんて幸せ。
同居を始めて1年になり、心の働きを観察する余裕が出てきたのか、先日急に「日記を書いてみようかな」と思った。平松洋子のエッセイを読んでいる影響もあるかもしれない。書く内容も決めていないのでまたすぐ頓挫するかもしれないけど、それもまた人生の記録として面白いかもしれないと思えるようになった。
この夏は楽しい予定がたくさんあるので、ネタには困らないはず。少しずつ書いてみようと思う。
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