加えるものと被るもの

厳密には違うのだけれど、国・国民が大切にしてきたものとしては、間違いではないのかもしれない。
そして、全国一斉にという意味合いとしても、そうかもしれない。
意味を考えれば、実はいつだって良いのかもしれないとも思える。

加えるものがあるならば、被るものもある。
相手があっての加えるものである。
相手があって被るものである。

それは一方通行ではなくて、相互のときもある。
むしろ、この場合は必ず相互である。
誰が最初かも重要だが、はじまってからは双方に責任がある。

その背景に何があったのか。
必ず、物事には理由がある。
結果を見ることも大切だが、それまでの経過を見るこのも大切だ。

申し訳なさも大切だが、反省も大切だ。
ただ、時間をかける部分は考えなければ、永遠に立場が同じままだ。
反省も大切だが、それによって、ただただ悪とするのは、先人に申し訳ない。
反省は確かな事実に基づくことが求められる。

当時の状況がどうであれ、各個人の想いはあって、信じて進んだ者もいれば、憂いた者もいただろう。
そうした1人1人の心に思いをいたせば、頭のどこかには置いて、ものを考えねばと思う。

当時の国際情勢と国際ルールも加味して、字面のみでは表現しきれない部分を正確に補足する必要がある。
言葉は思う以上に含みを持っている。
言葉を信じて使う必要があると同時に、その言葉がもたらす影響を慎重に考えねば、”なんとなく”という印象が蓄積してしまう。

普段はクローズアップされない当事国の声にも耳を傾けたい。
同じ境遇にありながら、当事国によって印象や対応は異なっている。

加えるものも被るものも、どちらの視点も大切。
大きな事柄も大切だが、それ以外の事柄にも目を向けたい。
大小あれど、みな同じである。

過去も大切だが、これからのことも大切。
正しく過去を認識して、これからに繋げていく。
過去に戻る扉はない。
物語はこれからも、ずっと続いていくのだから。

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