民主主義は議論をはじめるところから

民主主義は、多様な意見の存在を認め合えるところが究極だろう。
何も受け入れる必要はないのだから、一先ず意見の存在を認めることだ。

たとえば、「人を殺してはならない」という意見が、今のスタンダードであるし、今後も変わることはないだろう。
そこに「報復目的であれば自力救済ばりに人を殺しても良い」という意見があったとしよう。
それはそれで多様性なのだから、意見として存在を認めても良い。
ただ、だからといって、その意見を受け入れる必要はない。
それは、これまで積み上げられた事柄などを見ても、相当、混乱するからだ。

これに加え、相容れない意見だからと、端から謝絶することも、あまり好ましくない。
例に出した内容が強烈なので、これは意見が分かれるところだと思う。
ただ、特定意見を排除したり、触れてはならない話題として取り扱ったりすることは、新たな可能性の芽を摘むことにもなりそうだ。
これは、核兵器に対する考え方からも同じことが言えるだろう。

また、ジェンダー平等が必要だからと、無条件に女性の割合を示すなどは危険かもしれない。
それは、性別に関係なく、個人個人の生命や財産を尊重する上で、弊害が生じかねないということだ。

これに限らず、何らかのお題目を設定することで、無条件に良いものとすることは、思考の停止にもなる。

さまざまな意見が出ることは大変嬉しいことだ。
そして、「こういったロジックもあるんだ」と勉強になることもある。
これを知れば、「今の社会通念を守るには、こう対策をすれば良い」という逆説的な話も考えられる。
どうしても受け入れられない意見があるなら、意見を聞いてから、多数決で解決すれば良い。

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