誰かを好きになるということ
私にとって誰かを好きになることはものすごくハードルの高いものだった気がする
友達の延長線上で
私を理解してくれるから俺を理解してくれるから向こうが好きだと言えば自分みたいな人を好きになる人はもういないだろうし嫌いではないという理由で付き合う、に発展する
もちろん向こうは遊び半分でも好奇心でもないのだろうが結局他の人(男)を好きになったから、思ってたのと違うから、などと理由をつけて振られる
人を好きだ、触れたい
そんなことを誰かに対して思うことが難しい
その人が自分に向ける思いが信じられないから
こんな人間を好きになる人がいるわけがないと思ってしまうのだ
永遠に手が届くことのないアイドルのおかげで私は今女の子としての自分を受け入れることができたが、
彼と出会わなければ私はきっと男の人として生きていく道を選んでいたことだろう
そうすれば今の生きづらさから逃げられると思っただろうし、今でも思う
私の身体が女の子であるからこそずっと苦しんできた、違和感があった、嫌悪感があった
もうネットで男の子だと言ってもどこか嘘をついているような後ろめたさのような罪悪感に似た嘘ではないのに嘘だと思うこともなくなるだろうに
それと同時に悩みながらもずっと過ごしてきたこの自分をやはり自分自身だと思う自分もいる
身体や性別に違和感はあるものの、男の子が中にいる女の子としての自分もどこかにはいるのだと思う
私が男の子だったら今仲良くしている友達は友達ではなかったかもしれない
そしてこんなに悩んでいる悩みも持たなかったかもしれない
そんなことを考えだすと結局自分の性別がどちらで
女の子である自分を嫌悪しているだけの理由がわからなくなってしまう
恋人を作りたいと考えるのも
誰かを好きになりたいのではなく
甘えたり頼れる場所のような恋人という存在に違い誰かが欲しいだけなのではと思う
人に心を開くのが難しい私は
誰かと仲良くなるだけで自分の中の特別枠に入ってしまう相手がきっと他の人の恋人と同じくらい大事な友達のような存在になる
私と一緒に暮らせる、私とならハグやキスができると言ってくれた友達が
自分を特別な存在だと思ってくれているのだと深く感じてしまう
何か囚われや偏見があるのかもしれない
それができるからこそ特別で付き合うとはそういうことだ!みたいな概念のようなもの
考えれば考えるほど私は自分がよくわからない
寂しいと言いながら1人でいたいと思う
誰もわかってくれないと思いながら誰かにわかってほしいと思う
誰にでも合わせられるわりに誰とも合わないことを自覚しているからこそ友達が少ない、必要はないと思う。
こんな面倒な人間は他にいないだろうという自覚があるからこそこんな自分と仲良くしてくれている人には感謝している。そんな人達に、イライラしてはいけない、嫌だなんて思うなんておこがましいなどという自己肯定感の低さもどこかあったのかもしれない
些細なことで自分のことを特別に思ってくれている人を嫌ってはいけない
嫌だと思うのはおかしい!そんな縛りが自分を傷つける事があることに気づいたのは最近のことである。
友達だと思うことも勿論心を開ているからだと思っていた。
壁を作っていたことに気付けず勝手に距離を感じて突き放したり自分勝手に考えて落ち込んだり
きっと壁を作っていたのは相手ではなく自分だったのだ。
話が脱線したのだが、私にとって
恋愛は普通(あまり使いたくない言葉ですが)の人みたいになれるからしなきゃいけないものだったのかもしれない。
誰かでないといけない
強いこだわりがあるくせに
私を好きでいてくれる女の子であれば
誰でもよかったのだろうなとまで思う。
好きではない感情から始まり、依存に変わって振られて落ち込んで
人を突き放すくせに求めるのは私を必要としてくれる誰かで
満たされないまま孤独を感じる。
きっと恋愛をしなくても満たされるものが満たされていないだけのように思う。
自分を愛せたら今よりは苦しむ事はないのだろうし思っているより誰かを好きになりたいわけでも誰かと付き合いたいわけでもない。
頭の中にあふれた文字を吐き出したのでまとまりのない話が飛んでいる文章ですが、記録のために記しておきます。