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パワーポイントによって説明は本当に分かりやすくなったか?

教育現場でもビジネス場面でもパワーポイントは広く活用されるようになりました。すでに基本ソフトの一つとして扱われるようにもなっています。
 パワーポイントを活用すると、視覚情報も追加され、「理解しやすくなる」とか、「分かりやすい」と感じる側面があります。
 一方で、多くの説明を聞いてみると、パワーポイントを活用するからか、ひょっとすると、逆に「分かりにくく」なっているのではないかと感じる場面が多々あります。
 以下に、なぜそのように感じてしまうのか考察してみたいと思います。少しでも参考になればと思います。長文になりますがお付き合いいただければ幸いです。


①「分かりやすさ」とは


説明の分かりやすさとは、ずばり、聴き手と話し手が同じような「イメージを持てる説明のことです。
 聴き手が素早くイメージを持てるようにするために、どんなことをするかというと、説明されている内容や情報をもとに、これまでに学んだ知識等を総動員して、説明内容と「似ているもの」を探ろうとします。
 要は、自分が知っている「似ているもの」を基準にして、何が同じで何が違うかを明らかにしようとします。これには自らの経験や体験も含まれます。新しいことを早く理解する場合に全体像を把握するための一つの方法になるかと思います。
 この「似ているもの」が説明内容と近ければ近いほど、理解が早くなると考えられます。
 未知なるものを理解するために、最低限のイメージを持てるようになると、次は多方面からその細部の特性や特徴を把握しようとします。
 さらに他との関係性やつながり等を把握しようとします。
こういった把握のプロセスを促し、話し手と聴き手が同じようなイメージを持てるようにすることが分かりやすさと言えます。 


②分かりやすい説明とは


分かりやすい説明とは、嚙み砕いていくと、「聴き手が見たり、聞いたりした情報をもとに、聴き手自身が頭の中で処理することに沿って、適宜必要情報を説明すること」と言えます。しかも、聴き手にとっての影響明確になる説明(つまり、何をどうしたらいいか、どのような変化をもたらすか等)があれば、より分かりやすくなります。
 つまり、説明を通して、「似ているもの」と対比してもらい、聴き手自身が自らとの関係性を明確にできるようにすることが「分かりやすい説明」の重要なポイントだということです。

③分かりやすさを阻むもの


パワーポイントが一般的に活用されるようになってから、分かりやすくなったこともあれば、逆に分かりにくさを感じることが多くなったのも事実です。分かりやすさを阻む要素は次のようにまとめられます。


1.情報量の多さ


説明する方は「全体像」を知っていますから、「詳しく描写、記述したほうが分かりやすい」と思いがちです。その影響かは不明ですが、パワーポイントを使うと、なぜか情報量が圧倒的に多いと感じてしまうのです。
 おそらく「情報量が少ない=分かりにくい」と考えてしまうのだと思いますが、パワーポイント資料にありとあらゆる情報が「一度に」詰め込まれてしまうのです。
 「説明」は、情報量が多いから分かりやすいのではありません。あくまでも聴き手がいち早く理解するために頭の中で行っていることに沿って適宜、その都度必要なことを説明するのがベストです
 ところが、限られたスペースに本や論文で掲載するような情報量を一度に掲載しようとするからか、情報処理が追いつかないほどの情報量が詰め込まれてしまい、結果として限られた説明の時間ではよく理解できないまま、説明だけが過ぎていってしまうのです。
 頭の中で追いついていない情報はいくら目や耳でキャッチしていても、処理できないので、認識することはできません
 ですから、本来であれば、限られた時間と制約がある説明では、全体像の把握と、最小限のイメージ化ができるようにすることに専念し、それ以上の情報は別で提供するなどの配慮があると、説明自体がより一層分かりやすくなるはずなのです。
 つまり、イメージ化してもらいたいことを明確にした上で、情報を厳選し、必要最小限に留めることも分かりやすさにつながると考えます。
 様々な配慮の結果として情報量が多くなっていることもあると思いますので、一概には言えませんが、とりあえず「説明したという事実が必要だから、情報量が多くなっているとしたら、それが「分かりづらさ」をもたらしてしまっている可能性があります。


2.「聴きながら見るのか」「見ながら聴くのか」あるいは??


人は「聴きながら見たり」「見ながら聴いたり」することはとても疲れます。特に「視覚情報と「音声情報」の内容が異なると、何に集中すべきか分からなくなり、結局どちらも頭に入ってこないのです
 視覚情報なのか音声情報なのか、どちらに集中したらいいのかよく分からずに、戸惑ってしまう説明があります。スライドをみないといけない場合や配布資料をみないといけない場合、さらに音声での説明が入り乱れて聴き手が混乱しているような説明です。
 一方で、パワーポイント資料をそのまま「音読」している説明もよく見かけますが、それだと、「資料だけもらえれば良い」ということになり、「わざわざ」聴く必要がなくなります。
 ですので、パワーポイントを活用する際には、「資料の位置づけ」が必要不可欠です。
 スクリーンだけに集中したらいいのか、配布した資料に集中したらいいのかです。まずはどこを「見る」のか。その上で口頭での「説明」はどのような分かりやすさを促すためのものか、そのことを最初にはっきりさせておくと聴き手は安心できます
 一例として、基本は口頭で説明しながら、パワーポイントのスライドでは「視覚情報」のみに限定し、視覚的な情報量を最小限にする工夫です。口頭で説明していることは、敢えて文字情報にしないということです(文字情報は説明会終了後に配布するのでも良い)。
 

④その他分かりやすさを阻む説明の「順序」


これはパワーポイントの説明だけに限定されることではありませんが、説明の順序が、聴き手が求める順序になっていないことから起こる「分かりにくさ」もあります。
 説明する方は「全体像」を理解した上で「理路整然」と説明しようとします。ところが、あくまでも「説明する人」にとっての理路整然であり、「聴き手」にとっての理路整然になっていないことが多いのです。
 ですから、説明の順序として、まだイメージできていない聴き手にとって「知りたい順序」になっていないことが多いのです。
 話し手としては、理路整然と、時系列に沿って説明したいと思いがちですが、聴き手は、まずどんなイメージなのか知りたい、そんな説明の順序のミスマッチが「分かりにくさ」をもたらしています。

⑤まとめ

情報量が多くなってしまう要因は多々あると想像できます。パッと思いつくのは次のような点でしょうか。

1.「説明した」という事実を残しておくため

2.説明の場では分からなくても、後から分かるようにするため

3.自分が持っている情報量の多さを知ってもらうため

4.資料だけ見ても理解できるようにするため

5.説明に「手を抜いている」と思われないようにするため

6.専門用語やカタカナ語の多用により更なる解説が必要になるため


様々な制約がある中で説明をすると、上記1や5のようなことが頭を過るのは理解できます。また、聴き手にもいろいろな方がいますから、2や4のことに配慮せざるを得ないのも理解できます。
 一方で、聴き手の理解のしやすさを優先するのであれば、段階に分けて情報を厳選するという考え方もあり得ます。
 説明に際して、どのような意図で資料を作成し分かりやすさに配慮しているのかを明示することも聴き手への敬意につながると考えます。
 パワーポイントの特性を活かすのであれば、「形式的な美しさ」よりも情報を厳選することで、強調し、分かりやすさにつなげるという側面があります。
 専門用語やカタカナ語を最小限にするだけでも、説明時の情報量を減らすことが可能です。それらは、説明終了後に別の資料として提供することで、聴き手のイメージ化を促す配慮につながるはずです。もちろん、聴き手の多くが用語を共通で理解している場合であれば、別ですが。
 要はパワーポイントで見せる情報として、どうすれば最も効果的かということで、聴き手の理解度や状態によっては、本や論文に掲載するような情報量を一度にスライドで見せてしまうと、理解しきれずに、その効果が半減してしまうこともあると思うのです(説明後に再度じっくり読み返す人は別ですが)。
 加えて、パワーポイント資料をそのまま出力すると、文字が小さくなってしまう上に紙が大量に必要になるため、ペーパーの資料としても不経済です。
 パワーポイント資料とペーパー資料をどのように共存させるかも今後のテーマとなり得ます。

 以上、長文になってしまい申し訳ありませんでした。最後までお付き合いくださり感謝申し上げます。






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