若い人は「コミュニケーション」能力が低い?
「最近の若者はコミュニケーション能力が低い」とよくビジネスの場で言われます。特に違う世代の人とうまく関われないケースをよく耳にします。
でも、そもそも「コミュニケーション」って何でしょうか?私は、いろいろ定義はありますが、「互いに分かりあうために聴くプロセス」と考えます。これが、これからの時代にもっとも腑に落ちる考え方です。
一方、現状は「伝えること」というのが一般的な考え方かと思います。
その考え方では問題が多く、それにもとづいて「能力が低い」とするのは、ちょっと無理があると考えます。
新しい時代の「コミュニケーションのあり方」として、以下に自分の意見を述べられたらと思います。
少し長くなりますが、最後までご覧いただきましたら幸いです。
①そもそも何ができないということ?
一般的にビジネスの場で「コミュニケーション能力が低い」という時にどんなことができないのか、少し整理してみたいと思います。
1.反応が噛み合わない(鈍い、弱い)
話しかけても相槌を打ったり、返事をしたり、目線を合わせたり、質問をしたり、にこやかな表情をするといった「反応」が鈍い、もしくは弱い場合です。時には挨拶がないこともあるとか。
話している方からすると、「聞いているのか」不安になるのと同時に、「関心がない」のではないかと不安になってしまいます。
2.聴き手や周囲の状況と噛み合わない
聴き手や周囲の状況のことを考えずに、一方的に主張を始めたりするようなケースです。
「今ここ」では自分が話していいのか、持ち出すテーマとして妥当かというようなことが考慮されず、文脈が無視されるような場合です。
1.もそうですが、聴き手がそれによってどんな気持ちになるかの配慮が欠けているとも言えます。
3.「分かち合う」行動が噛み合わない
いわゆる「コミュニケーション」とは、互いに「分かち合って」いくプロセスとも言えますから、互いに知り合おうとする行動が噛み合って初めて成立します。どちらか一方だけで成立することではありません。例えば、相手を知ろうとしているのに、避けられたり、かわされたりするようなことです。
私は、この「互いに分かり合おうとする行動」を「足場づくり」と考えています。互いに分かりあうために、小さな架け橋(足場)を少しずつかけていくプロセスです。
「コミュニケーションができない、苦手」と一般的に言われることを少し整理すると、以上のように大きく3つに分けることができます(他にもあるかもしれませんが)。
つまり、いろいろな部分で「噛み合わない」ということなのです。「ツウ」と言えば「カー」というような「対話上のやりとり」から「信頼関係を築くための行動」に至るまでうまく嚙み合わないということです。
②なぜ噛み合わないのか
なぜ噛み合わないのか。それは、前提が「伝えること」だからだと考えています。「伝えること」が前提になると、経験や知識、情報が乏しい人と、十分にそれらを備えている人とは「対等」な関係になります。同じ土俵で「さあ、話してみろ」ということになるのです。
コミュニケーションにも組織ごとに文化があります。どこまで、何をどのように表現していいか、その時にどう反応すると良いのかは組織によって少しずつ違うのです。
でも、「伝えること」が前提になると、そんなことはお構いなしです。
経験も知識も、情報も乏しい人が、いきなり発言して、回答しようとすると、どうしても周囲は「不十分なところ」にしか目がいかないのです。
観たり、教えられたりしながらできるようになるのですから、できなくても仕方ないのです(できないレベルもあるのかもしれませんが)。
③「コミュニケーション」は「伝える」こと?
「コミュニケーション」はよく「自分の考えや思いを伝えること」と言われますが、本当にそうでしょうか?
経験上、「コミュニケーション」を「伝えること」と考えると、どうもうまく行かないことが多いように思います。理由は次のとおりです。
A.「伝えること」と考えると、意識の方向は、常に自分から相手に向かうため。
B. すると、「自分から話さないといけない」と考えてしまう
C. 経験、知識、情報が豊富な人とそうでない人が「対等」に対話することになってしまう
D. 先輩や上司から「伝えられる」と、「押し付けられている」感がある。
E. 「伝えた」つもりでも「伝わっていない」ので齟齬が多く、不都合が多い
以上のように組織の文化も分からないうちから、自分から発言することを求められると、タイミングや言い方等で適切性から外れてしまうことが多くなります。これまでの経験や知識も乏しいのですから当然です。
それをもって、「コミュニケーション能力が低い」と言われるのは、合理性に欠くのではないかと思うのです。
だからこそ、「コミュニケーション」を「聴くこと」と考えてはどうでしょうか?
④「コミュニケーション」は「聴くこと」
「聴くこと」の方向性は「相手」から「自分」です。自分から聴いたとしても、情報を引き出したり、聴き出したりしますから、方向性は「相手」から「自分」です。感覚的にも「押し付けられる」というよりは「リードしてもらう」となります。不足することを補いながら対話を進められるのも「聴くこと」です。
よって、「自分から話さないといけない」という固定観念からは解放されるでしょう。
いきなり、自分をさらけ出して話をしなくても、分からないことや疑問に感じることから「聴く」ということで対応できます。
互いに「聴くこと」を「分かち合う」、つまりコミュニケーションだと思えば、心理的ハードルが下がるだけではなく、相手発信の言動が乏しくても、不可思議でも、自分から「聴くこと」で解消し、場合によってはサポートもできるのです。
特に新しく組織に入った人にとっては、どのように反応し、どのようなことを発言したらいいかについては分かりにくいことも多くあります。自分の発言で、周囲がどのような反応になるかは組織ごとに違いがありますから、まずは周りの人がどのような発言に対して、どのような反応をしているのか見てみたいと思うものです。
だって、いきなり「浮いてしまう」のは絶対に避けたいですから。最近の若い人は特に「失敗」とか「浮いてしまう」ということを避けたいという気持ちが強いように感じます。
また、受け入れる上司や先輩にとっても、「教える」という方向性よりも「聴く」というプロセスを通して大切なことや重要なことを分かち合っていくという方法のほうが信頼関係を築きやすいと言えます。若者にとっては「押し付けられている感」が少ないので。
⑤「観る」こともコミュニケーションの勉強
「社会人だからちゃんと挨拶できて当然」「なんでも経験」という考え方から、新しく組織に入った若手がすぐに「伝えること」を求められることはまだまだ多いかと思います。
確かに職種によっては、若手であろうがなかろうが、どんどん自分からアウトプットしないといけないこともあるでしょう。失敗から学ぶということも非常に多いというのはよく理解できます。
一方で、「コミュニケーションは聴くこと」という考えのもと、「伝えること」を無理に求めず、「聴くことを重視」し、様子を観察することで少しずつ組織に馴染んでもらうという考え方もあるかと思います。
経験上、「ちゃんと聴ける」ようになれば、自ずとアウトプットできるようになっていきます。アウトプットの修正はそれからでも遅くはないと考えます。
「失敗」を避けたいと思う若者にとっては、「観る」こともまた勉強ではないかと思います。
⑥まとめ
「コミュニケーション」にも基本はあります。自分から挨拶するとか、呼ばれたら返事するとか、目を合わせて話す等々。
一方で、「コミュニケーションは伝えること」というこれまでの解釈だと、組織に新しく入った若者にいきなり、経験豊富な人と「対等に」対話することや適切に回答することを求めることになってしまいます。
しかし、誰であっても慣れない組織に入れば、その組織のコミュニケーション文化に馴染んでいないし、知識や情報も乏しいため、どのような言動が適切かは分かりにくいことがあります。
最近の若い人は特に、人に迷惑をかけないようにするという意識や失敗して目立ちたくないという思いも強いようですから、これまでのように「失敗しながら学んでいく」という方針が適切かどうかは検討の余地があります。
以上のことを踏まえると、「コミュニケーションは聴くこと」という考え方はこれからの時代にあっているように思います。