読まない読書
読まない読書。ブログなどで要点や書評を見ること。興味を持ったら購入する。手元にきて初めて読書になる。
私にとって読書は娯楽。ちなみに勉強も娯楽。保育園の頃から本が好きだった。小学生の頃に叔母にプレゼントしてもらった「王様のたまごやき」は今でも面白くて大好きだ。学生時代はもっぱら小説。一番衝撃を受けたのは「ダレン・シャン」。あれを超える本はいまだにない。他に好きな作家は、乙一と嶽本野ばら。どの作品も想像を超えてくるのだが、特にロリヰタとzooが好きだ。
社会人になってからはビジネス書や、ストレッチや裁縫などの参考書などを読む。小説は読まないのではなく読めなくなった。頭に入ってこなくなったのだ。高校時代にメンタルがやられて一度読書ができなくなったのを引きずっている。メンタルがやられると頭に何も入ってこないというのは本当なのだな。
話を戻して、ビジネス書は勉強の意味で興味があるし読みやすいので良い。ただ、お金を出して買うかと言われれば一度しか読まないだろうから躊躇する。処分するのも面倒だ。なのでお金と場所の節約のために、書評を見て要点だけ掴んでいる。気になったら本屋へ。
そんな状態だが、探している本がある。「困難な結婚」だ。もちろん書評で興味を持った。結婚するつもりがない人がしたくなる。読みたくなるキャッチコピーだ。結婚相手は宇宙人だからわからないのが当たり前で、宇宙人なのにご飯を作ってくれるなんてすごい!こんな内容らしい(実際の所は読んで確かめてください)。
その本では、結婚は誰としても大して変わらないという。Aさんといると私の中にたくさんいる人格のうちの1人が出てくる。BさんといるとAさんといるときと違う私の中の人格の1人が出てくるだけらしい。なので誰といる私の人格が好きなのかを考える必要があるという。
そして、結婚するには条件を絞ること。これはよく言われる。私は「辛い時に隣にいて、私が落ち着いたら「大丈夫か」とコーヒーを出してくれる人」がいい。もう少し欲を出すならば「その後にこうしたいという私のわがままをきいてくれる」。さらに追加できるなら「ちゃんと最後には私のところに帰ってきてくれる」。他に別の条件があった気がするが、日記にそっと記しておいた気がする。後で探してみよう。
以上、私の結婚についての考えが変わった話でした。読書と探している本についてはそのための長い前置きでした。もっと本を読みたいけれど、まずは困難な結婚を読まなければ。