休職中の出来事を供養兼決別

システム手帳の中身を整理してたら、休職中のメモが出てきたので供養。
休職開始から退職まで、何があったか、何をしたか、書かれていました。当時の自分は怒りと不安と、色々とあり、今後同じことがあったらと書いたのだと思いますが、嫌な思い出が戻ってくるだけなので、事務手続きなど必要なところだけ残して処分。


ちょっと抜粋。

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何かあった時は誰に一番に報告するか必ず確認→チーフと決めたのにその通りにしたら怒られた

復帰させたくなければ会社の方で調整して退職させることが可能(でもそんなことする会社にいる意味ある?)

2ヶ月経っても本部から連絡なし。

4月の面談。人格否定、人のせいにする。復帰や今後のことを話さない。体調の確認や考慮ではなく、できない事を指摘してくる。あなたはできてない、自分はできてると担当がマウント。私物を持ち帰ったか聞いてくる。持ち帰ったと答えると、もう二度と戻れませんからね良かったと言われた。やたら引き延ばす。

5月の面談。今まで「ありません」だった復帰の条件を急に「10月まで8時間勤務。無理なら復職不可」と提示してきた。「正社員なんだから」「8時間」連呼。7月までに昼、10月で8時間の目標。「あくまで目標だから焦らずゆっくり」「10月まで8時間」と矛盾なことを言う。

6月。突然市民税の納付書が届く。会社に確認の連絡をすると「会社辞めたら自分で払うんですよ」と笑いながら言われた。まだやめてないんだけど?連絡くらい寄越したら?

6月の面談。7月〜8月は忙しいし休憩を挟むとまた勝手が違うので過ぎてから勤務延長。それまで昼まで。休憩を挟むリハビリには診断書が必要(初耳)。休憩を挟むと他の人と同じ勤務になるので給与か手当か選べる。給与は働いた分しかもらえない。通常の業務量をしてもらう。4週8休になる。リハビリ、復帰、休職のどれにも当てはまらない(なにそれ)。手当のままにした。

7月の面談。延長するがお盆までは忙しいので、過ぎたら2週間だけ30分延長。この時点でまだ昼まで。眼科の診断の報告をした。以降連絡なし。

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私物を持ち帰ったか聞いたり、理由をつけて時間延長を誤魔化したり、診断書が必要と突然言われたりするあたり、最初から復職させる気はなかったんだなと思いました。特に私は元の部署に戻りたく、その旨も伝えていたのでかなりショックでした。リハビリ先のパートさんからも「多分戻す気ないよ」と言われました。弱みとして使われてしまったかなと思いました。考課面談の際にも、チーフを目指していることや事務(事務職や本部)にも興味があることを伝えていました。支部長が何度か変わりましたが、徐々に笑われたり女は無理と言われることが増え(最初の支部長は応援してくれた)、これ以降、私は仕事では自分の希望や目標などを話さなくなりました。今思えば、最後の支部長とは壊滅的に合わなかったのだと思います。今思わなくても、転勤当時から違和感は感じていたので、やっぱりそういうのって大事ですね。

面談で前回の内容を「知らない」としらばっくれたり、毎回「社会人失格」「私の孫の方ができる」「家事くらいしろ」など人格否定なども酷かったです。最後の1ヶ月に突然復職には産業医面談が必要と言い出し、その時点で延長は叶っておらず昼まで。その後担当が音信不通になり、埒があかないので、通院先の先生も怒り出し心療内科で三者面談して直接話し合おうと意見が合致。担当に提案するも逃げて回り、代わりに来た総務部長は医者の待合室でソファを占領して踏ん反り返って座っており、帰り際に「休職期限?あってないようなものだから。いくらでも働かせてあげるよ。でも復職ではないからタダだよ」と言われ、翌日退職届を出しました。雨の降る中、一時間近くかけて行き、制服を返し退職の旨伝えて「ありがとうございました」とお辞儀をすると「さようなら」の一言で秒で終わりました。かなりショックだったけど、建物から出たら雨が上がっていて虹が出ていて、感動したのを覚えています。

人の出入りが多く休職者も多いようで、その後の手続きなどは面白いほどスムーズに問題なく終わりました。その点は本当に感謝してます。手慣れてるんですね。そういうことです。

7月ごろから私は既に諦めていたので、復職ではなく働ける時間を延ばすに切り替えました。結果的に昼までの4時間までしか延長の許可はおりませんでしたが、4時間働ければパートにはそのくらいの時間の仕事はゴロゴロしてますので働きながら自分でリハビリ出勤の続きをしようと前向きに考えました。8月頃から(もっと前かな?)転職も考えて少し行動を始めてました。

この内容は過去にも書いたと思いますがやはり過去の断片があると長々と語ってしまいます。
改めて見ると酷かったな。早々に「そんなことする会社にいる意味ある?」と書いてるあたりよっぽどですね。

心療内科の先生がとても心強かったのを覚えてます。「担当呼んで面談しましょう。呼びましょう。なんなんですかそれ」とか言ってました。
休職前から、支部長に勧められてこの担当と面談してましたが、その時点で「生理痛?そんなに酷いなんておかしいね」「私の孫は〜あなたも散歩して家事して休みの日は出かけなさい」「私じゃ不満かしら!?」「私は最初は店にいた。総務なんてやりたくなかった。だからあなたの希望なんて通るわけない。通らせない」とか言われました。その時点でダメだったんですね。面談断れば良かった。無理して面談してたのは自分でもわかってました。

チーフは、ぶりっ子の甲高い声の女性社員と自虐風自慢してくる男性社員に挟まれメンタルがかなり削られたので席替えを頼んだら「ガキじゃないんだから我儘言うな」と言われて私一人で休職まで別室で仕事をしてました。「それっていじめじゃない?!」と言ってくれる人もいましたがそれだけ。1ヶ月過ぎた頃に支部長に言ったらしくその頃は休職しようと決めていたので「席替えしたんだから今まで以上にきちんとやれよ」と言われてガタガタとメンタル崩れて「席替えしたのに休職すんのかよ。せっかく席替えしてやったのに」の声とともに会社を休んだ記憶があります。ちょっと定かではない。

周りも、あの人に相談したらとか、相談頼んだとか、散歩してヨーグルトとか、自信持てとか、色々してきたり言ってきたので、断る気力もなく振り回されて、結局休職して1ヶ月くらいは動けなかった。でも家族は何も言わずにいてくれて、歩いて本屋に行って見た時は「行けたじゃん。良かったね」、映画行きたいと言った時は「行きたいなら行きなよ」と好きにさせてくれたうえに、会社の対応についても怒ってくれて「こんな会社辞めたければ辞めなよ」の一言があったので辞めれました。感謝。

今は、7月の面接が結構ダメージあり、8月は頭痛がひどく(老眼と誤診されて中近を買ってかけてた。もちろん老眼ではないので頭痛が起きた)求人は見てたんですが、メガネの対応と体調面を優先して動けませんでした。あと少しメンタルに来る出来事もあり。でも求人もそんなに動きがなかったような。
この内容を書いた紙を捨てるので、軽く日記に書いておこうかな。

リハビリを自分ですると決めましたが、6時間勤務(現在)までは順調にきましたが、その先がなかなか難しいです。あと選択肢も沢山あるので、さらに悩みます。パートか正社員かフルタイムパートかなどですね。そこは贅沢な悩みです。

ブログに書きたいことがまだあるので近々…と言いたいですがなかなか書くことができず。今月は更新したいと思います。