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最近、身近な人に興味がなくなってきた。

興味がないという表現は語弊があるのかもしれない。どうでもいいというか、なんとも思わないというか。

以前は年上の人と話すのが楽しかったし、色んな人たちのやりたいことや将来のこと、得意なこと、考え、そんなことを聞くのが好きだった。そして心惹かれる部分を感じたり尊敬したり、仲良くなったり。

体壊して考え方が変わったのか、他人に対して惹かれることがほとんどなくなった。話してても何も感じない。しょうもないなとか、浅いなとか、そんな感じに思う人が増えてしまった。

今まで気付かなかっただけで、みんなこれまでも表面でしか生きてこなかったのだろうか。いや、そう生きていた。会社で仲の良かった人たちが何人も「ここは信用ならないから相手を見極めなさい」とか「みんな表面上の付き合いだけで実は仲良くないんだよ」と言っていたから。会社では表面だけの仮面を被り、家では家族への態度を作り。それは生きていく上で当たり前。だけどそれを私は素直に全部受け入れて、すごいなと思っていたのだなと思うと無知だったと感じる。

前の職場の人と以前会った。少し話をした。前は冗談を言い合う仲だったのに、こちらが話そうとすると「ふーん」と流して一方的に「あーでもない。こうしたら」と話されて終わった。楽しさはなかった。一度離れたらそういう態度を取るのだなと学んだ。そして人は人に興味がなく話を聞いていないということも。

今、スーパーで働いているが、こちらの方が俄然わかりやすい。すれ違うときは笑顔で挨拶するが過ぎた途端に愚痴を言ったり真顔になる。仲が悪いと挨拶すらしない。自分の機嫌の良い時だけ挨拶。これは私もされた。これほど頭にくることはない。そして最後は「挨拶してくれない」と被害者ぶり。目を合わせない挨拶は挨拶ではないよ?お昼は世間話と愚痴。本人がいないところで愚痴大会。
今の先輩も、今では残業させたり愚痴を言ってきたり、良かったのは最初だけ。ほとんどの物事は最初だけ良いよね。でもわかるまで教えてくれたり体調を考慮してくれたり行動に対して叱ってくれたり、先輩として立派なところももちろんある。けれど尊敬というよりは世渡り上手というのかな。たぶん世の中の人は大抵それに当てはまるんだろう。

私は管理者を目指していたから、前の職場の上司たちのことも2、3年くらいは尊敬していた。こうしたい、部下にはこうなってほしいという話もたくさん聞いた。けれど実は裏で勤務中に家に帰ってサボっていたり、「今のポジションが楽で最高。お金もそこそこだし何もしなくてもいいし、時間自由だし」と言っていたのを聞いてショックだった。
長くお世話になった上司は二人いた。
一人はアドバイスをくれて、異動になっても連絡をしてくれて相談ものってくれていた。けれど実は、私の同期とお気に入りの部下たちと夜な夜な遊んでいてその時や勤務中の私用の電話で私の悪口を言っていたらしい。そして病気になったら離れていった。救急車で運ばれた後も病院には行くなとか休むと他の人が休めないから休むなとか言われた。これは私の見る目がなかった。しかしショックだった。そして会社の携帯をプライベート長電話に使うな。
もう一人は私の上司だった人だけど、この人は先ほどの上司のようにアドバイス、相談、それに加えて、体調の相談や心配、勉強に付き合ってくれたり、管理者を目指してるのを応援してくれていた。体調を崩したとき、この上司のせいかと言われたが違うと答えていた。残業や作業量の見直しなどをしてくれなかったのでよく考えたらこの人も原因だろう。期待と応援という言葉に誤魔化されていたんだと今になって気付く。色々と割愛するけれど、休職前には、休むな、残業、お前がいると邪魔になるなどなど。その少し前から私から距離を置き始め、目つきが変わってしまった。これがとどめとなり診断書を叩きつけ逃げるように休んだ。リハビリを始めた頃、たまたま会い「生きてて良かった」と言われた。出勤最終日、笑顔で早く帰れと追い出したお前のどの口が言うかと思った。俺のせいで死なれては困るということだろう。その辺りでまた揉めて「頭がおかしい。二度と人と関わらない方がいい。俺にもう関わるな」と言われた。これはさすがにこたえた。そして愛がどうのと長々と説教メールが来た。「悪いところも全て受け入れてこその愛。でもお前のそれは愛じゃないよね。お前は俺を愛してくれなかったよね」みたいな内容。いや、お前が愛を説く権利ないから。というか奥さんに言って。愛は奥さんに求めて。今までこの人のせいにされそうになった時は庇っていたのだが、何をやっていたんだろうと思った。その人から「五年も一緒にいたんだから何を考えているのかわかるよ」と言われた。何も分かってなかったね。5年ごときでわかるわけがないよ。私の何がわかるの。まあ、いつまでも一緒にいてもわからないことがあるからいつまでも一緒にいるんだと思うけどね。そう思える人がいなくなってしまった。

今、ツイッターで精神疾患のある方たちと交流している。身近の人たちよりも、必死で生きていこうとするこちらの方たちのほうが素敵だ。姿が見えなかったり本音が漏れていたり何もわからないのもあるからかもしれない。けど、人付き合いはそういう距離の方が良いのだと思う。現在うつ真っ只中の人もいるし、私にコメントをくれて人と繋がろうとする人もいるし、問題を越えようとしていて、きちんと生きているなと思う。

そういうことがあったからかもしれない。
そもそも私は集団に属した時点で壁を作ってしまう。この会社の人、と捉えてしまう。日本人の性質。毎日会ったり、近いと逆に壁を作ってしまう。だからスーパー勤務は向いてないのだな。
でも、知らない人や前の仕事のお客様とは仲良くなれた。誰でもというわけではないがフラットに話せる。縛られない関係だからだろう。
この間のメガネ屋さんの接客も素敵だった。やはり私は外に出て人と話したいなと改めて思った。学生の頃は人と会うのが嫌で事務職希望、営業は絶対嫌だと思っていたのに、こんなことを思う日が来るなんて。

中学生の頃、みんなで愚痴を言っていて「あなたもあの子嫌だよね」と振られたことがある。仲が良かったし嫌いじゃないから「ううん」と言った。帰りに一人が「みんな嫌いって言ってるのに、そうじゃないって言えるのすごい」と言われた。何を言ってるんだろうと思った。私はお世辞が言える人ではないし、嫌いじゃないからノーと言った。まあ好きじゃないものや心動かされないものや下手なものに「上手ですね」「素敵ですね」と言えないので子供の相手と営業で相手を褒めるのはできないし嫌いだ。営業で褒めて買わせるという行為自体好きではないからしないけども。

みんな困ってることや嫌なことがあるけれども、生き方が上っ面だけでしょうもないなあと思う。でもそれが一番良い生き方なのだろうか。私は、転職してしまった人だけれど一人尊敬する人がいる。人に平等に接して人前では愚痴を垂れず、率先して働くけど要領がよく、自分の強い意志を持っている。前に上司にパワハラを受けてそれはおかしいと立ち向かったが殴られて退職。色んな仕事をして、私の職場に来た。その時に私に「就きたい仕事がある」と語り、無事にそこに転職できた。しかも別れ際に応援と約束をしてくれた。魅力があって強くて優しい人ってこの人をいうのだろうなと思う。後にも先にもその人以外に心動かされる人はいない。

私が真面目で素直すぎた。もっと人を見る目を養って世間を知らないとな。でも真面目で素直は良いことだからそのままにして、優しさと周りに流されずノーといえることも変わらず持ち合わせていきたいと思う。

何が言いたいのかわからなくなったけど、人は表面的に生きているから真面目に受け取らない、尊敬する人元気かな、素敵な人に会いたい、かな。あと営業したいと思うなんてびっくり。久々に長くなった。

人付き合いって難しい。